Give and Take(12)

ノックもそこそこに八戒が三蔵の部屋のドアを開けると、微かなアルコールの香りが鼻についた。
大怪我で寝込んでいる筈の部屋の主の姿は、ベッドにはない。

「安静にしとけって言いませんでしたか、僕」

雨は上がったものの月明かりも十分には届かない部屋で、三蔵は明かりも灯さずベッドに背をもたせかけ床に座り込んでいた。どこから調達してきたのか、バーボンの瓶と氷入れまでもが床に直置きされている。

三蔵が悟浄にした仕打ちへのほんの些細な意趣返しのつもりで、三蔵が意識を失っている間には気孔による手当てを行わなかった八戒だったが、目覚めてからも三蔵は治療を求めてはこなかった。八戒もあえて自分からその話題には触れていないので、今も三蔵は結構な怪我人だ。

「‥‥世話をかけたな」
「全くですよ、不良園児さんたちのおかげでいい迷惑です。―――御相伴にあずかっても?」
「勝手にやれ」

いただきます、と八戒は三蔵の隣に腰を下ろし、ちゃっかりと持参してきたグラスに氷と酒を注いだ。元から、今夜は三蔵と飲むつもりで部屋を訪ねたのだ。
自分が用意してきたボトルは、とりあえず脇に置いておく。どうせ後で、これも空けることになるだろう。
そのまま二人とも口を噤んでしまったので、しばらくの間、部屋には静寂が訪れた。

「‥‥悟浄は、どうしてる」
「ようやく寝てくれましたけど?」

本当に三蔵が聞きたいのはそんな事ではないと知りながら、わざとそっけなく八戒は答える。少々、底意地の悪い気分になっているのを自覚していた。

「‥‥で?」

案の定、三蔵は痺れを切らせたようだ。

「はい?」
「俺を責めるために来たんじゃねぇのか?」
「まぁ、実際そのつもりでしたけどねぇ」

軽く言い置いてから、グラスの中身を一気に飲み干す。

「責められたがってる人を責めても、気は晴れませんから」

三蔵が嫌そうに眉を顰めたのを見て、多少の溜飲は下がったような気分になった。再びバーボンの瓶に手を伸ばしたが、三蔵は別に咎めもしない。八戒の酒のペースを知っているからだろう。
もうひと口含んでから、ふうと息を吐き出した。

「ま、それは冗談ですけど。‥‥実を言えば、貴方のしたことは責められるべきなのかどうかも、分からなくなりまして」

三蔵は、意外な事を聞いたという面持ちで八戒を見ている。自分の行為は当然厳しく糾弾されるべきものだと考えていたのだろう。
自らの行動から逃げない三蔵の潔さは、八戒に多くの憧憬と僅かの嫉妬を抱かせるものだ。
また、いつの間にか、グラスが空になっていた。普段よりもピッチが早くなっている。

「愛するものを傷付けてまで‥‥‥ですか。確かに、最低ですね‥‥‥」

ぴくりと三蔵の肩が揺れたが、八戒は見ない振りをした。三蔵の視線を感じながら、手元のグラスを弄ぶ。

「―――けど、僕や悟空には、出来なかった」

半分は、ため息になった。少しだけ開かれた窓から、僅かに風を感じた。

 

 

 

 

 

酒の瓶を傾けると、途端にむせ返るような芳香が一面に漂う。だが、八戒も三蔵も、今はそれを楽しむ気分ではなかった。アルコールを摂取することだけが目的の、機械的な作業に過ぎない。
八戒は、自分のグラスに酒を満たすと、三蔵へも瓶を差し出した。三蔵は黙って、八戒の酌を受ける。
三蔵は、八戒が自らのグラスに口をつけるのを待って、口を開いた。

「‥‥‥お前らには、悟浄を苦しめたりはできんだろうさ」

自嘲的な声音。だが、八戒は即座に首を振った。

「そうじゃありません。僕たちにはそこまで悟浄に対して覚悟を負う自信がないと言ってるんです。例え自分の手で悟浄を壊すことになっても、という覚悟と、悟浄の心が滅茶苦茶になっても彼を受け入れられる、という自信と」

八戒の言葉に、三蔵は自身を嘲笑うかのように口元を引き上げる。

「そんなご大層なモンじゃねぇ。俺はただ、このまま何もせずに終わるのは嫌だった。それだけだ」

悟浄の運命が第三者に委ねられているのならば、その裁断を下すのは自分でありたい。
たとえ結果はどうあろうとも、他人には譲れない。

言外に語られる三蔵の決意に、八戒は胸が詰まる思いだった。

「―――――それを、覚悟というんですよ」
「中途半端に投げ出しておいてか?‥‥俺のした事は、結局はただの自己満足に過ぎねぇよ」
「別に、実際に悟浄を壊したいと思っていた訳ではないでしょう」

三蔵は答えず、酒を煽る。

三蔵の、悟浄への想い。
溢れた気持ちは未だ収まる事を知らず、今も三蔵の中で渦巻いている。恐らくは、収まる事などないのだろう。この先も、ずっと。

再び、二人の間に沈黙が落ちた。
静かな夜だった。今日ばかりは雨が降っていてくれた方が良かったと、八戒は勝手なことを考えた。この静けさは、人の思考をマイナスへと向かわせる。深みに沈むまで沈んで、二度とは這い上がれなくなるような、そんな静けさを孕む夜だった。

 

 

「‥‥‥‥今回ばかりはさすがに堪えた」

まるで独り言のような呟きに、八戒は三蔵の顔を見やった。

「ざまあねぇな‥‥。なりふり構わず突っ走って、挙句がこのザマだ」

カラン、と氷がグラスの中で音をたてる。いくら飲んでも酔えないらしく、三蔵の顔には赤味もさしていない。返事を期待されていない事は気配で察せられたので、八戒は黙って三蔵のグラスに酒を注ぎ足した。

 

 

八戒が口を開いたのは、しばらく経った頃だ。

「それで、これからどうするつもりですか。『お母さん』の手は、もう使えませんよ」

三蔵は答えなかった。
これからのこと。悟浄のこと。旅のこと。考えなければならないことは山のようにあった。
時間は容赦なく過ぎていく。三蔵たちは目的ある旅の途中だ。いつまでもこのまま町に留まっているわけにはいかない。それは、三蔵が一番理解している筈だ。

「三蔵」

八戒が静かに呼びかける。三蔵は目だけで返事を返してきた。

「悟浄は逃げずに、貴方の側で震えてました」
「?」

突然に告げられた言葉に、三蔵は僅かに眉根を寄せた。八戒は目を逸らさずに、三蔵へ翡翠色の瞳を向ける。

「逃げることも忘れて、うろたえて‥‥‥。僕らが部屋に踏み込んだとき、縋るような目さえ見せました。いくら他人に怪我をさせたからって、相手は自分を殺そうとした‥‥と、思い込んでいる人物でしょう?普通あんなに動転しませんよ」
「‥‥‥‥」

三蔵は言葉を捜しあぐねているようだ。無理もない、花瓶を投げつけ、怒り狂って殴りかかってきた悟浄からは想像もつかない話だった。

「悟浄にはちゃんと分かってるんだと思います。例え無意識にでも、貴方が大事だって、ちゃんと残ってるんだと思います」

そうでなければ。
悟浄は気を失った三蔵を捨てて、とっくに逃げ出していた筈だ。
いや、それ以前に。
三蔵がここにこうして生存しているという事実が。悟浄が本気で三蔵を攻撃しなかったという現われではないのか。
少なくとも三蔵はその時、悟浄に対して、きっと無防備だった筈だから。

「貴方と同じような記憶の失い方だったら、きっと悟浄だってもっと早くに頭が痛いって大騒ぎしてますよ。ひょっとしたら、速攻で記憶が戻ってたかも」

八戒はわざとおどけた口調で語った。
だが決して気休めのつもりではない。悟浄の想いは、そんなに簡単に消せるものじゃない。
根拠などなくても、八戒にははっきりと断言できた。

「頭が忘れても心が覚えてるって、あるんですよ」

例え記憶は失くしても。
悟浄の心は、三蔵を忘れたりしない。

そう。
あのとき、三蔵がそうだったように。
 

 

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ヘタレ三蔵様がぐるぐるしてます。
でも、うちの三蔵様は自分の弱さを口に出来る強さがあるのかも。
悟浄さんは、自分で何もかも抱え込むタイプ。それも、強さなのでしょうけど。
それにしても、二人の人生相談を引き受ける八戒兄さんって、気の毒な人…(涙)

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