Give and Take(11)

全てが裏目に出た事を、三蔵は知った。

自分が悟浄にした事は。
悟浄に母親の死の記憶がないのを利用して、愛されたかもしれないと期待を持たせた。
きっかけなど、何でもよかった。何でもいいから、失われた記憶を取り戻したいと願わせるために。それには、心の傷が深ければ深いほど、利用する価値があった。精神に与える影響が大きいと思われるからだ。

果たして、その目論見は成功したかに思われた。
頭痛は起きた。だが、悟浄の記憶を呼び戻すには至らなかった。三蔵が中途半端に悟浄を頭痛から解放したせいもある。が、あのまま続けて、果たして悟浄が正気を保っていられたのか。あの時の悟浄の様子を思い出すと、とてもそうだとは確信できなかった。

何にせよ、もう一度同じ真似は出来そうにもなかった。今なら、かつて三蔵が自らにかけられた術に対抗しようとしたときに、三蔵を殴ってまでも解呪を止めた悟浄の気持ちが良く分かる。

そして悟浄は、事実を知ってしまった。最期まで悟浄を愛することが出来なかった、母親の死のいきさつ全てを。
きっと悟浄は、三蔵が悟浄の心を弄んだと思っただろう。母親を慕う気持ちをからかわれたと取られたかもしれない。
悟浄の記憶を揺さぶるために三蔵が母親を持ち出した事を察した悟空も、まさか三蔵が彼女の死を利用するために悟浄に真実を話していないとは思いもよらなかったのだ。
だから、悟浄に話してしまった。純粋に、悟浄を慰めるために。

 

『お母さんが壊れたのは悲しいし』
『確かに悟浄の兄貴が悟浄を庇って、お母さん死なせちゃったのかもしれないけど』
『悟浄のせいだとか悟浄が悪いからだとか、そんなんじゃないと思う』

 

――――その時の悟浄がどんな想いをしたのか想像もできない。想像したくもなかった。

 

 

「八戒が、怒ってるんだ。理由は教えてくれないんだけど‥‥」

流石に八戒は、悟浄の言動から三蔵が何をしたのか察しているのだろう。裏を返せば、それだけ悟浄が受けた傷が深いということを示している。悟空に何も告げなかったのは、三蔵自身で話せということなのだろう。
気を抜けば倒れそうなほどの眩暈が、三蔵を襲っていた。

「‥‥嫌な思いをさせたな。悪かった」

それだけを、口にするのがやっとだった。悟空の顔をまともに見られない自分が不甲斐ない。そのまま黙って悟空の横を通り抜ける。
三蔵、ともう一度呼ばれて足を止めた。
普段の悟空からは想像も付かないような悲しい声が、僅かに震えていた。

「―――今は、会わない方が良いと思う」
 

 

 

 

 

「三蔵、待てってば!」

悟空の制止を振り切って、隣の部屋に飛び込んだ。勢いよく開かれた扉に、麗華と八戒が咄嗟に目を向ける。

「三蔵様!」
「三蔵!?駄目です、入らないで‥‥!」

大きな破壊音が、二人の声に被さった。
頬に鋭い痛みを感じる。投げつけられた花瓶が、すぐ横の壁で割れて飛び散ったのだと理解するのに一瞬の間があった。破片が頬を傷付けていたが、三蔵は気に止めなかった。
部屋の隅のベッドに紅い色を見つける、と同時に獣のような叫び声があがる。

「がぁぁあああああっ!」

紅い髪を振り乱した悟浄が突進してくる。そのまま三蔵に殴りかかろうとするのを、八戒が背後から羽交い絞めにする格好で制止する。

「出て行って、三蔵!」

三蔵は、動かなかった。
憎しみに燃える悟浄の紅い瞳に魅入られたかのように、その場から動かなかった。三蔵に向けられる明らかな敵意。悟浄は三蔵を、自分を傷付ける敵とみなしたのだ。
悟浄は八戒の腕を振りほどこうとがむしゃらに暴れ始める。力は成人の妖怪のままの悟浄相手では、さすがに八戒だけでは押さえきれず引き摺られる。

「くっ‥‥!」

焦る八戒を振りほどき、三蔵に襲い掛かろうとした悟浄の動きが、不意に止まった。
いつの間にか三蔵の前にまわった悟空が、悟浄の腹に拳をめり込ませていた。

 

 

 

 

ベッドに横たえられ眠る悟浄の顔を、三蔵はただ黙って見下ろしていた。
こうして目を閉じていれば何ひとつ変わっていないように思える、悟浄の見慣れた寝顔。額にかかる髪を除けてやろうとすると、悟浄が僅かに身じろぎした。まるで、拒絶されたかのように感じ、手が止まる。
それ以上手を伸ばすことも忘れ、立ち尽くす三蔵の隣に、八戒が並ぶ。

「昨日までは、まだ喋ってくれてたんですけど‥‥。だんだん、口数が少なくなって。今日は、ずっと黙ったままでした」
「‥‥‥‥」

直後に普通に話していたのなら、精神に異常をきたしているわけではないだろう。ただ、突き付けられた残酷な現実から心を守るべく、幼い精神が自分の殻に閉じ篭ってしまったのだ。

「貴方に殺されかけたと言ってました。‥‥‥この村での出来事について、ひと通りは説明してありますが、なにせ、今の悟浄の精神は子供です。貴方の行動の意味を理解しろというのは難しいでしょうね」
「‥‥‥お前にも、だろう?」

悟浄の寝顔から視線を外さずに、三蔵は呟いた。
糾弾は覚悟している。だが八戒は、静かに首を横に振っただけだった。悟空の言葉からすると相当に怒っている筈だが、言いたい事を抑えているのか、言っても遅いと思ったのか。八戒はそれきり黙って、悟浄に掛けられた毛布を直している。

三蔵もまた黙って、目を閉じた。
雨は止んでいる筈なのに、三蔵の耳には大きな雨音が聞こえるようだった。
 

 

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なかなか話が動きませんね…。

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