Don’t cry(2)

「それで、何か体に異常はありますか?」
「いや‥‥今のところは、特にねぇな」

宿についてから、合流した八戒に事情を話した三蔵は、そのまま手当てを受けていた。子犬が悟浄の腕から飛び出す際、三蔵の右手を引っかいていったのだ。
悟浄と悟空は、適当な理由を付け別室に追いやった。傷を見せると、何かと煩い。

「傷自体は深いものではありませんが‥‥塞がりませんね」
八戒が気を当てながら、心配げな声を出す。

「刺客だと思います?」
「いや、それならもっと直接的な攻撃があるはずだがな‥‥」

どこか考え込むような三蔵の様子に、八戒は眉を顰めた。

「気になることが、あるんですね?」
「‥‥‥‥」

気になる、といえるのかどうか判らない。ただ、あの妖怪が見せた悟浄に対する態度と、悟空と自分へのそれは全く違っていた。それが、妙に引っかかる。
ただ、このまま放っておく訳にはいかなくなったのは確かだった。

(嫌な予感がしやがる―――)

三蔵は、自分の手に残された傷跡を、じっと見つめた。
 

 

 

 

その日の深夜、悟浄の眠る部屋の窓に、一つの影が現れた。音も無く、窓が開く。
そこから部屋に降り立ったその影は、ゆっくりと悟浄のベッドに近付いていく。そして、あともう一歩、というところで、部屋の明かりが灯された。

「うわ〜、本当に来たよ。マジ、妖怪だったんだ〜」
「躾がなってないですねぇ、人の部屋に黙って入ってくるなんて。僕に預けてもらえれば、ちゃんと躾けて差上げるんですが」

部屋の隅から、気配を殺していた悟空と八戒が立ち上がる。
侵入者は、思わず後ずさりした。

「どこに行くつもりだ?」

反対側から、三蔵の声。ベッドでは、既に起き上がった悟浄が、床を見下ろしていた。

そこにいるのは、確かに、昼間の子犬。

「俺に何か用でもあんのかよ。ええ?ワンちゃん妖怪さんよ」

周りを囲まれてた子犬は、入ってきた窓の方向へ逃げようと駆け出した。

「‥‥無駄だ」

三蔵は、テーブルの上にあった悟浄のライターを手に取り、口の中で短く何かを唱えると、子犬に向かって軽く放った。大した勢いもなく放られたはずのそのライターが、子犬の体に命中する直前、耳を塞ぎたくなる様な絶叫と共に白煙が子犬の全身から立ちのぼる。
そしてその煙は、やがて人型を形作った。すかさず、三蔵は印を切る。完全に妖怪がその姿を現した時には、その体は見えない何かで完全に拘束されていた。

「わお。三蔵様って、多芸ねv」
「芸じゃねぇ」
「がーん。さっきまであんなに可愛かったのに。夢壊されたってカンジ」
「見た目で判断してはいけませんよ、悟空」

四人がくだらない会話を交わしている間にも、妖怪は何とかその束縛から逃れようとあがき、もがいている。

「諦めろ。俺の捕縛術からは逃れられん」

三蔵は、懐から銃を取り出し、妖怪に向かって狙いを定めた。
途端、響き渡る哄笑。まるで気が触れたかのように、妖怪が笑っている。訝しげな四人の視線を浴びつつ笑いを収め、それでも肩を震わせながら、妖怪は初めて口を開いた。

「―――いいのかな?俺をここで殺しちまって。後で後悔することになるのはそっちだぜ?」
「何だと?」
「えーと、そろそろだなあ。万が一ってことがあるから、ちゃーんと、時間計って来たんだよ。正解だったな」
「‥‥‥‥貴様‥‥!」
「本当は、銃構えてるだけでも辛いんだろ?さっきから、汗かいてるもんな。よっしゃ、ばっちり時間通り!調合に苦労した甲斐があったってもんだ」

「「「三蔵!?」」」

慌てて三人が三蔵を見やると、確かに大量に汗をかき、呼吸が荒くなっている。明らかに、尋常な様子ではない。

「毒‥‥ですね。昼間三蔵を引っかいた時に、仕掛けたんですね?」

な、と悟浄と悟空は目を見開く。二人は全く気付いていなかったのだ。勿論、三蔵が気付かせないように振舞ったせいでもあるのだが。

「お前に使った毒は俺のオリジナルだぜ?そんじょそこらの解毒剤なんざ役にたちゃしねぇよ。消せるのは、俺だけだ」

得意げな妖怪の口調が、その場の全員の神経を逆撫でする。

「その口ぶりだと、俺の命が目的ではないようだな‥‥。何が、望みだ?経文か?」
「話が早いね、流石は最高僧様だ。残念だけど、俺は経文には興味ねぇよ。もちろん、不老不死にもな。『三蔵』を食った妖怪が、あっさり倒されたって話、噂で聞いたぜ?」

そして妖怪は、勝ち誇った声で三蔵に告げた。

「取りあえず、コレ外して貰おうかな。――――それから、お前」

首を回し、声をかける先にいたのは、悟浄。

「一緒に、来て貰おうか」

にやりと妖怪は、笑った。
 

 

 

「いい気になってんじゃねぇぞ、誰が‥‥‥」

三蔵は銃の引き金を引こうとした。が、既に指先に力が入らない。視界が霞み、立っていることすら困難だ。
倒れようとした三蔵の体を、支えたのは悟浄だった。

「三蔵‥‥奴の拘束、解けよ」
「な、に、寝ぼけた事、言ってんだ」

荒い息をつきながらも、三蔵は悟浄を睨み付ける。その視線を、悟浄は穏やかに受け止めた。

「いいから。俺、ちょっと行って来るわ」
「「悟浄!?」」

八戒と悟空の焦った声が響く。

「このまんまじゃ、埒があかねぇ。―――俺が一緒に行けば、三蔵は助けてくれるんだな?」
「それは、お前の態度如何によるなぁ」
「余計な真似、すんな‥‥勝手に話、進めんじゃ、ねぇぞ」

しかし、当の三蔵本人は、もう既に術を保っていられない状態だった。三蔵の足が崩れるのと同時に、妖怪を拘束していた何かが消える。妖怪はこきこきと肩を捻った。

「あー、やれやれ。怖いお坊さんだこと。心配しなくてもいいよ。どうせ二人一緒に連れて行くから。そっちの君たち二人はお留守番ね。―――もっとも、もう帰ってこないと思うけど」
「な‥‥!」

突然妖怪から発せられた閃光に、八戒と悟空は思わず目を閉じる。

二人が再び目を開けた時には、妖怪も、悟浄と三蔵の姿も、掻き消すように消えていた。
 

 

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