Don't cry

「何。どうかした?悟浄?」

悟空の声で、我に返る。
ここは、街の中のとある食堂。夕飯のために立ち寄った店である。
さっきまで悟空とふざけ合いながら食事をしていた悟浄が、急に黙り込んだのを不審に思われたらしい。

「いんや、別にぃ」

軽く返しながらも、悟浄は神経を別なところに集中させていた。
誰かに、見られている。
この街に入ったときから、ずっと纏わり付くような視線を感じていた。
ただ、特段妖気は感じない。

「それで、聞いてるのかお前は」

三蔵の言葉に、悟浄はビールを軽く持ち上げて応える。今は、この街に出現する妖怪の事を話していたのだ。街のいたるところ―――この店も例外ではないが―――に貼られた魔除けの護符。さっき店の亭主に聞いたところでは、時々街の裏手にそびえる山から妖怪が下りてきては、好き放題をやらかすらしい。最近は人が食われる事もあるのだ、と、亭主は嘆いていた。

『けど、自分たちには妖怪を倒す力もないし、この街を出て行くアテもないんだよ』

何か言いたげに寄せられる視線を、三蔵は黙殺した。

「どうします?」
「他力本願な連中の面倒見るのは御免だな」
「そうも言ってられないでしょう。放っておいたら、この街の人、いずれ皆食べられちゃいますよ」

貼られている護符には大した力は無い。現に妖怪である三人が店に入っても平気なのだ。妖怪に襲われれば、為すすべも無いだろう。

「ウゼェな‥‥」

三蔵は、眉間に皺を寄せた。
 

 

「あれ、お前どうしたのよ?」

食事を終えた一行が、店を出てふと見れば、街角の薄汚いゴミの山に隠れた、白い動くもの。悟浄が何かと思って近付くと、一匹の子犬がうずくまって震えている。どうやら足を怪我して動けないらしい。

「あーよしよし。ちょっと待ってな、手当てしてやっから」

八戒がいれば、気で直してくれるのだろうが。ちょうど八戒は、所用の為に一足早く店を出ていた。この先の宿で落ち合う予定になっている。
悟浄は、自分の額のバンダナを取り、子犬の足に巻きつけた。
 

 

 

「なー、あいつ。まだくっついてくるよ」
「あちゃ〜」
「妙な情けをかけるからだ。連れてけねぇぞ、何とかしろ」
「うー。どうしたもんかな」

ひょこひょことおぼつかない足取りながら、白い子犬は一行の、いや悟浄の後を必死についてくる。やれやれといった体で、悟浄は子犬を抱き上げた。子犬は猛烈な勢いで尻尾を振りながら、べろべろと悟浄の顔を舐めてくる。

「こら!くすぐったいって!」
口ではそう言いながら、やはり可愛くて仕方が無いのか、悟浄は子犬を離そうとしない。
「いいなー悟浄。俺にも抱かせてよー」
「乱暴にすんなよ」

悟浄が子犬を悟空に手渡そうとした時、ウウウ、と子犬が唸り声を上げた。

「あれ?どーしたんだろ。俺のこと、嫌いなのかなあ」
「まあ、昔から猿と犬は仲が悪いって相場が決まってるからなぁ」
「誰が猿だよ!」
「お前だお前!」

例のごとく、ぎゃあぎゃあと食事後の腹ごなしを二人が始めようとした時。

「悟浄」

馬鹿コンビの言い争いを止めたのは、三蔵の、低い声。

「その犬、捨てろ」
「あ?何だよ、急に。心配しなくても連れてきゃしねーって」
「いいから、捨てろ」

声音に含まれる真剣さに、どうやらただ事ではないらしい、と悟空と悟浄が顔を見合わせる。業を煮やしたのか三蔵は、子犬を悟浄から取り上げようと手を伸ばした。

「っ!」

三蔵の手が届くかどうか、というところで、今までおとなしく抱かれていたはずの子犬が急に暴れだし、思わず悟浄が緩めた腕の中から飛び出した。一目散に駆けていくその姿に、怪我をしているはずの足を庇う様子は見られない。
あっという間に、子犬の姿は消えていた。

「な‥‥」

呆然としている悟浄に、三蔵は告げる。

「‥‥あれは、妖怪だ」
「え?でも妖気なんて別に‥‥?」

悟空が代わりに返事をしたが、勿論、悟浄も同じ気持ちだった。

「妖気を封じていたらしいが‥‥さっき悟空が触れようとした時、僅かに漏れた。お前らは自分たちの妖気と干渉しあって、気付かなかったんだろ」
「じゃあ、あれが噂の?まさか、刺客って事は‥‥」
「‥‥さあな」

会話を交わしながら三蔵は、右手をそっと後ろに隠した。
 

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