在るべき処へ(5)

案内されるままに、街の中心部にある大きな建物に入る。多くのチンピラと思しき男たちが遠巻きに悟浄を眺めていた。どうやら、数に物を言わせて襲ってくるというわけではなさそうだ。
ある部屋に通されると、果たしてそこに『ボス』はいた。

「ようこそ、『沙悟浄』君。是非お会いしたいと思っていたよ」
「俺は別に会いたくなかったんだけど」

ボス、というから結構なジジイを連想していた悟浄だったが、そこに立っていたのはまだ40を過ぎていないだろう若い男だった。かなりのやり手、ということだ。
名前が割れていると言う事は、他の連中の事や自分たちの旅の目的もバレているということだ。面倒なことになる前に、何としても、ここでケリをつけなければならない。
 

「話は聞いたよ。‥‥ウチの連中が、随分世話になったそうだね」
「賭けに負けたからって、逆ギレして襲ってくるなんて、お世辞にも教育が行き届いてるとは言えねーな」

勧められたソファを断って、悟浄は部屋を見回した。他に誰かが潜んでいる気配は無い。

「まったくお恥ずかしい、連中の無礼は私が詫びよう。実は私も困っているんだよ、少々手を広げすぎてね、末端まで目が行き届かない」
「それは、アンタが自分の器量以上にシマを広げすぎたって事だろぉが。自業自得だろ」
「‥‥いい度胸だ。だが、あまり調子に乗るのは感心しないな」

今まで柔和な表情を浮かべていた男の顔が一変する。そして発せられたのは凄みのある低い声。一癖も二癖もある連中をまとめ上げる組織の「ボス」としての威圧感。
だが、悟浄には全くひるむ様子は見られない。

「世辞が聞きたかったら、手下と話せば?んで、一体何の用なワケ?明け方までに帰ってないとまずいんですけど、俺」

「ボス」の威圧感をものともせず、どこかのんびりとした口調で話す悟浄に毒気を抜かれたのか、男を包んでいた刺々しいまでの空気が急激に消えていく。代わりに男はくつくつと、喉を震わせて笑った。

「成る程、面白い男だな、君は。‥‥益々気に入った。どうだ、うちに来ないか?」

「は?」

「この街に残って、うちの組織に入らないか、と言っているんだよ。賭けの腕、駆け引きの上手さ、度胸、腕っ節。相当な場数を踏んで無ければ身につかない見事なものだ。是非うちでその腕を生かしてもらいたい」

突然の申し出に、初めはぽかんとしていた悟浄だが、どうやら本気で勧誘されているらしいと察すると、慌ててぶんぶんと手を振った。

「買いかぶりだね。俺はそんなにご大層なもんじゃねーよ」
「そう思うこと自体が、既に今の君が正当な評価を受けていないという証明ではないかね?そこは、本当に君の居場所かね?本当に君はそこに必要なのか?君はこちら側の世界の住人だ、表の世界は異端の存在にあまり寛容ではない。その紅い髪では、今まで苦労も多かったんじゃないかね?君は、こちらの世界でこそ、君らしく生きることが出来る。誰も君の出生の事など気にしない。うちに来てくれれば、それなりの地位を約束しよう。金も、色も思いのままだよ」
 

「せっかくのお申し出だけど、俺は」
「三蔵法師様、か」
 

悟浄の断り文句を遮って発せられた特定の人物の名前に、悟浄の顔から表情が消えた。
 

 

近付いてきた「ボス」が悟浄の髪をかき上げるように首筋に触れる。そこに何があるのかは、聞かなくても分かる。さっき刻まれたばかりの、三蔵の所有印。
それを指でなぞる様に触れられても、悟浄はその手を振り払おうとはしなかった。ただ、男を真っ直ぐに見据えている。

その目からは何の感情も捉えることは出来ない。
そらされることの無いその瞳に、引き込まれそうな錯覚を男は覚えた。
自分の出方次第では、この紅い瞳の獣は牙をむく。

欲しい、と思った。手に入れたい、目の前の男を。この美しい紅い瞳を。この気高い野生の獣を飼い馴らしてみたい。自分の手元で。
眩暈がするほどの欲求を押さえ込み、男は口を開いた。

「このまま、お坊さんの気まぐれな性欲処理に付き合って、自分を捨てるつもりかね?そんな関係など、いつまでも続くものではないよ。何なら、その未練の原因を断ち切って――」

言葉を続ける事は出来なかった。今まで動かなかった悟浄が、自分に伸ばされていた男の腕を取り、ものすごい力で掴み上げたのだ。

「てめぇ‥‥もし三蔵に妙な手出しをしやがったら」
先程の冷たい光とはまた別の、なんとも形容しがたい凄みをたたえる悟浄の瞳。ぎりぎりと締め付けられる腕の痛みを一瞬忘れ、男はその瞳に魅入られた。この瞳――背筋がゾクゾクする。
と、さらに腕に力を込められ、男は現実に引き戻された。何とか、声を絞り出す。

「‥‥まさか‥‥彼の法衣を汚したくらいで君に半殺しにされるんだ。私はそんなに馬鹿な男ではないよ‥‥そろそろ、離してくれないか、骨が砕けそうだ」
悟浄は男の言葉を吟味するように目を細めたが、ややあって、男の腕を解放した。
痛む腕をさすりながら、男は言葉を続ける。
「だが、彼は所詮表の世界の住人だ。我々とは違う。勿論、君を含めてね。君が本当に必要とされるのは此処だ。どうだね?悪い話ではないと思うが」
 

夕べ三蔵に抱かれた時の、妙に高揚した気分が蘇る。多分、「ボス」の言っている事は間違ってはいない。
賭博場での駆け引き、ここでの遣り取り―――久しぶりに味わう、裏の世界の雰囲気。何の違和感もなく、肌に馴染む。
間違いなく、自分は裏の世界に属する生き物なのだ。

俺の、在るべき処。

 

「俺は―――」
悟浄は、ゆっくりと口を開いた。
 

 

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