在るべき処へ(6)
部屋を出た悟浄は、玄関の方に向かう途中の部屋で、足を止めた。 「遅い」 三蔵の足元には、チンピラたちが転がっていた。悟浄の後に続いて出てきた「ボス」は、まるで人ごとのように口笛を吹いた。 「すごいですね‥‥近頃のお坊さんは、どうやら何でもアリらしい」 振り向きもせずに、三蔵はドアへと向かう。悟浄も躊躇わずに、後に続いた。
「‥‥ボス、あの‥‥駄目でしたか?」 「残念だが、手に入れ損なったようだ。お前が勧めた以上の男だったが」 名前もろくに覚えていない下っ端のチンピラに、是非組織に加えてもらいたい男がいると進言された時には驚いた。自分が負けたことへの言い訳に、相手を過大評価しているのだろうと思った。 ――――組織の名を汚した罰は受けます。とにかく、一度会って下さい。 あまりに熱心なその様子に、ほんの軽い気持ちで会ってみようと思ったのだ。だが、実際に会ってみれば。 欲しくなった。自分の物にしたいと思った。 『俺は、やっぱ帰るわ。俺の生きるべき場所ってのは此処かもしれねぇけど、俺が生きたいと思う場所は此処じゃねぇから』 そう言い放ち笑って見せた、紅い髪の男。 「生きたい場所‥‥か」
建物を出た三蔵は、一度も後を振り向かずに歩いていく。悟浄も少し遅れて、黙って付いて歩いていたが―――沈黙に耐えかねたのか、口を開いた。 三蔵は、夕べ悟浄から贈られた服を身に付けている。実は初めてこの服を手にしたとき、三蔵は内心かなり驚いた。滑らかな手触りのシャツ、一見しただけでかなりの高級品と知れる。それと皮のスリムパンツ。こちらもかなり値の張る物であるはずだ。 (どんな稼ぎ方をしたんだ‥‥馬鹿が) 以前、悟浄が話していた。どの賭博場にも、ある程度共通の決まりがあるものだと。 勝てない奴の負け惜しみか?とその時はからかったものだが、この旅でその言葉が嘘ではないことが三蔵にも分かった。 いつも、多からず少なからずの大体決まった金額を持ち帰って、まるで普通の勤め人のような感じでした、と八戒が言っていた。
恐らく、法衣を汚された自分のために着替えを買って来てくれたのだろうが、どんな勝ち方をしたのだろうか。ブランドには興味がない自分にでさえ、ひと目で分かる最高級品の洋服。大きな街で、ほんの一握りの選ばれた者だけを相手に商売をし、それが成り立つほどの高級店。シャツ1枚にとんでもない値段がつけられているだろう事は、想像に難くない。 (余計な事しやがって‥‥) 明け方に、また勝手に何処へ行くのかと思っていたら、やっぱり妙な事に巻き込まれていやがった。しかも、あの男の口ぶりから察するに、どうやら悟浄は「スカウト」されかかっていたらしい。
悟浄は、何も話さない。それは、自分に聞かせる必要がないと判断したからだろう。 ならば。 不意に意地の悪い考えが沸き起こる。 「おい」 「‥‥う‥‥続けちゃ悪ィかよ‥‥。お前ね、こういう時は、せめて『何故残らなかったのか』って聞くもんじゃねぇ?」 はああ、と悟浄はわざとらしく盛大なため息をついてみせる。 「何で、俺が抜けなきゃならねぇんだよ。んな事したら、八戒の飯も食えねぇし、悟空と遊んでやれねぇし、お前と―――」 「‥‥あきれた俗物だな‥‥」 あっさりと三蔵の追求をかわすと、悟浄は何事も無かったかのように再び歩き出した。 三蔵は悟浄の軽口に乗ってやった自分に苦笑した。 (俺も、甘ぇな) あそこでどういう遣り取りがあったのか、詳細を知る術は無い。だが、悟浄が自分で結論を出して旅の続行を決めたのだ。 手離さない、絶対に。
「とっとと歩け、馬鹿河童」 もうすぐ、完全に夜が明ける。 先を進む三蔵の後姿を、悟浄は眩しそうに眺めた。 離れない、絶対に。 見せない決意を、その紅い瞳に宿して。
「在るべき処へ」完 |
はじめは、もっとどうしようもなくヘタレてました、悟浄さん……。それにつられてか
三蔵様までヘタレの極地に陥り、書き直しの刑。難しかったです、かなり。
お付き合いいただいた皆様。どうもありがとうございました。