在るべき処へ(6)

部屋を出た悟浄は、玄関の方に向かう途中の部屋で、足を止めた。
三蔵が、ソファに腰掛け、煙草を吹かしている。

「遅い」
「‥‥こんなとこで、何してんの?」
「見りゃあ分かるだろ。煙草吸ってるんだよ」
「イヤ、そういう意味じゃないんですけど‥‥」

三蔵の足元には、チンピラたちが転がっていた。悟浄の後に続いて出てきた「ボス」は、まるで人ごとのように口笛を吹いた。

「すごいですね‥‥近頃のお坊さんは、どうやら何でもアリらしい」
「こいつらには学習能力が欠けているらしいな。教育が足りねぇんじゃねぇのか?」
「重ね重ね、お恥ずかしい話ですな。いかがです?彼と一緒に、うちに来ませんか?お坊様よりは似合ってると思いますが――それに貴方が一緒なら、彼もいい返事をくれるかも知れませんし」
「聞く耳持たんな――この馬鹿が邪魔をした。引き取らせて貰うぞ」

振り向きもせずに、三蔵はドアへと向かう。悟浄も躊躇わずに、後に続いた。
 

 

「‥‥ボス、あの‥‥駄目でしたか?」
二人が出て行くのを黙って見送ったまま動かない男に、おずおずと声をかけた若い男がいる。悟浄と最後に勝負した、あの男だった。

「残念だが、手に入れ損なったようだ。お前が勧めた以上の男だったが」

名前もろくに覚えていない下っ端のチンピラに、是非組織に加えてもらいたい男がいると進言された時には驚いた。自分が負けたことへの言い訳に、相手を過大評価しているのだろうと思った。

――――組織の名を汚した罰は受けます。とにかく、一度会って下さい。

あまりに熱心なその様子に、ほんの軽い気持ちで会ってみようと思ったのだ。だが、実際に会ってみれば。
誰にも懐かない野生の獣を思わせる、強い意志を込めた瞳。そこに見え隠れする僅かな翳りが、決して表の世界だけを歩いてきたのではない事を物語っていた。

欲しくなった。自分の物にしたいと思った。
 

『俺は、やっぱ帰るわ。俺の生きるべき場所ってのは此処かもしれねぇけど、俺が生きたいと思う場所は此処じゃねぇから』
 

そう言い放ち笑って見せた、紅い髪の男。
どうして、あんなに手に入れたいと思ったのだろうか、彼を。
 

「生きたい場所‥‥か」
もしかしたら、自分は彼を羨ましく思ったのかもしれないと、「ボス」はようやく自覚した。
 

 

 

建物を出た三蔵は、一度も後を振り向かずに歩いていく。悟浄も少し遅れて、黙って付いて歩いていたが―――沈黙に耐えかねたのか、口を開いた。
「もしかして、わざわざ迎えに来てくれたわけ?三蔵様」
「んなわけねーだろ。散歩のついでだ」
「あ、そ」
それきり、再び二人は黙って歩いた。
 

三蔵は、夕べ悟浄から贈られた服を身に付けている。実は初めてこの服を手にしたとき、三蔵は内心かなり驚いた。滑らかな手触りのシャツ、一見しただけでかなりの高級品と知れる。それと皮のスリムパンツ。こちらもかなり値の張る物であるはずだ。

(どんな稼ぎ方をしたんだ‥‥馬鹿が)

以前、悟浄が話していた。どの賭博場にも、ある程度共通の決まりがあるものだと。
調子がいいからといって際限なく勝つというのは初心者がする事で、後で結構トラブルに巻き込まれたりする。慣れた者は調子がいい時ほど、頃合を見て引き上げるのだ、と。

勝てない奴の負け惜しみか?とその時はからかったものだが、この旅でその言葉が嘘ではないことが三蔵にも分かった。
たまに大勝ちしてしまった時には、店にいる連中に酒を振舞い、気持ちいいほどにその場でさっぱりと使ってしまう。持ち帰る現金は雀の涙ほどだ。
普段でも、悟浄はその賭け事の腕の割には、大金を持っていなかった。

いつも、多からず少なからずの大体決まった金額を持ち帰って、まるで普通の勤め人のような感じでした、と八戒が言っていた。
そのきれいな勝ち方のおかげで、大抵巻き上げられる他の客からも店からも、悟浄は煙たがられずに歓迎されていましたよ、とも。
 

 

恐らく、法衣を汚された自分のために着替えを買って来てくれたのだろうが、どんな勝ち方をしたのだろうか。ブランドには興味がない自分にでさえ、ひと目で分かる最高級品の洋服。大きな街で、ほんの一握りの選ばれた者だけを相手に商売をし、それが成り立つほどの高級店。シャツ1枚にとんでもない値段がつけられているだろう事は、想像に難くない。
一晩で、そんなに相手から搾り取るなど、普段の悟浄からすれば全く「らしくない」行動だった。
そして、その理由は、先程自分がのしたチンピラどもから聞き出して判明した。
要するに悟浄は昼間自分に絡んだ男たちに怒って、仇を討ったという訳だ。
 

(余計な事しやがって‥‥)
 

明け方に、また勝手に何処へ行くのかと思っていたら、やっぱり妙な事に巻き込まれていやがった。しかも、あの男の口ぶりから察するに、どうやら悟浄は「スカウト」されかかっていたらしい。

(だからフラフラ出歩くなと言うんだ、馬鹿が)
これで、もし悟浄が此処に残ると言い出したりでもしていたら―――俺は。
その時の自分の心情を想像して、三蔵はきつく眉根を寄せた。
 

 

悟浄は、何も話さない。それは、自分に聞かせる必要がないと判断したからだろう。
そして、三蔵が深くは追求してこないと考えているのだ。

ならば。

不意に意地の悪い考えが沸き起こる。
三蔵は、後ろに続く気配を確認しては安堵している自分に苦笑しつつ、振り返りもせずに話し掛けた。
 

「おい」
「ん?」
「何故、旅を続ける?」
聞かれるとは思っていなかったのだろう。悟浄は少し、口ごもった。

「‥‥う‥‥続けちゃ悪ィかよ‥‥。お前ね、こういう時は、せめて『何故残らなかったのか』って聞くもんじゃねぇ?」
「同じ事だろ」

はああ、と悟浄はわざとらしく盛大なため息をついてみせる。

「何で、俺が抜けなきゃならねぇんだよ。んな事したら、八戒の飯も食えねぇし、悟空と遊んでやれねぇし、お前と―――」
「俺と?」
にやっ、と人の悪い笑みを浮かべると、悟浄は三蔵に近付き口付けた。
「‥‥んな事もできねぇし?」
 

「‥‥あきれた俗物だな‥‥」
「お前にだけは言われたかねーよ、生臭ちゃんv」
「死にたいのならいつでも手伝ってやるぞ」
「そうカリカリすんなって。カルシウム不足じゃねーの、お前。小魚食え、小魚」
 

あっさりと三蔵の追求をかわすと、悟浄は何事も無かったかのように再び歩き出した。
「早くいこーぜ。あーあ、殆ど眠れなかったじゃねーかよ。ジープじゃ猿が煩せぇから眠れねぇんだよなぁ」
デリケートだから、俺。とぶつぶつ文句を言う悟浄に、三蔵は冷たい一瞥をくれた。
「知るか、自業自得だろ」
「‥‥半分以上は、三蔵のせいだろぉが‥‥あんな、しといて‥‥」
「何か言ったか」
「イエ別に、なーんにも」
互いに本心は見せず、ただ言葉だけを応酬する。
 

三蔵は悟浄の軽口に乗ってやった自分に苦笑した。

(俺も、甘ぇな)

あそこでどういう遣り取りがあったのか、詳細を知る術は無い。だが、悟浄が自分で結論を出して旅の続行を決めたのだ。
自分の側を、選んだのだ。
ならば、自分はそれを喜べばいい。
 

手離さない、絶対に。
 

 

「とっとと歩け、馬鹿河童」
「へいへい」
 

もうすぐ、完全に夜が明ける。
また、いつもと変わらぬ日常が二人を待っているのだろう。
 

先を進む三蔵の後姿を、悟浄は眩しそうに眺めた。
「お前がいりゃあ、そこが俺の居場所、ってね」
行けるトコまで、行ってやろーじゃん。
三蔵に聞こえないように、呟いた。
 

離れない、絶対に。
 

見せない決意を、その紅い瞳に宿して。
 

 

「在るべき処へ」完

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