在るべき処へ(3)

 足を組み、口元に不敵な笑みを浮かべ、真っ直ぐにこちらを見つめている紅い髪の男。だが、その目は全く笑ってはいなかった。怒りさえ含んだ、その瞳。決して、狙った獲物を逃さないであろう鋭い眼差し。
その紅い瞳の奥で揺れる底知れぬ何かを感じているのは、恐らくこの店では自分だけだ。

意図的に、自分にだけ「見せている」。

ぞくり、と背中に何かが走る。恐怖か、いや、それに似た恍惚か。悪魔に魅入られるってのは、こんな感じなのか。
 

 

そして男は理解した。この目の前の男は最初から、こういうつもりだったのだと。
 

 

向こうのテーブルではわざと弱いフリをしていたのだ。自分たちに勝負を受けさせるために。そして、自分たちに恥をかかせるために。
原因は分からないが、自分たちはこの男を怒らせるような真似をしてしまったらしい。
 

この男は、自分のイカサマを見抜いている。摩り替えたカードを、自分がまだ隠し持っていることも知っている。なのに、それを追求することもせず、勝負を続けている。
勝つ自信があるのだ、絶対的に。
口元の微笑と漂う余裕は、決して演技ではない。
 

 

怖い、と思った。
 

 

いつの間にか、この店の雰囲気を乗っ取って、空気を作り変えた男。
今、この店内の空気は、完全にこの男の意のままだった。
この目の前にいる男を完全に怒らせてしまったら。
この勝負の勝敗に関わらず、自分たちは無事には帰れない。―――二度と、帰れない。
 

それは、既に確信だった。
 

 

カードを持つ手が震えてくる。
 

 

駄目だ、勝てない。格が違う。
この男を相手に自分が勝てるはずなどなかったのだ。カードの勝ち負けなど問題ではない。この男には、適うはずがない。
 

 

 

男は力なく手にしていたカードを卓上に落とした。
「‥‥‥‥降りる。俺の負けだ」
途端に、店内から歓声が上がる。女たちの黄色い声と、男たちの喝采と、僅かな、罵倒。
「お前、どういうつもりだよ!」
カードを放り投げた男に仲間が詰め寄る。そこへ悟浄の能天気な声が響いてきた。

「いやー、良かった!降りてくれて!俺、ブタだったんだもーん」

先程と同一人物とは思えない、おちゃらけた物言いと雰囲気。
無造作に放られたカードを見れば、全てバラバラ。1ペアもない。全てハッタリだったのだ。

「てめぇ!騙しやがったな?!」
周りの男たちが気色ばむ。

「アラ?そちらが勝手に勝負を降りたんでしょーが。最終的に金持ってる方が勝ちってのがルールでしょ?さーて、皆さん一巡したね?じゃ、俺の勝ちって事でいい?」
「ふざけんな、誰が……!構わねえ、やっちまえ!」

四方から悟浄に襲い掛かる男たち。この状況を楽しむかのように、口の端に笑みを浮かべる悟浄の姿を、テーブルについたまま動けない男はただ呆然と眺めていた。
 

 

 

ものの5分もしないうちに、男たちは床とお友達になるハメになった。うめきながら床を転がる男たちを他所に、かすり傷一つ負うことなく、悟浄は涼しい顔で立っている。

「素人みたいな言いがかりは野暮ってもんだぜ?さて、じゃ、お願い聞いて貰っちゃおーかな」

明るく言い放つと、倒れている男の一人を蹴飛ばして仰向けにした。腹に足を乗せ力を込める。

「ぐ‥‥うう」
「お前らが昼間絡んだ坊主、あいつに二度と近付くんじゃねぇよ」

先程とはうって変わった、低い声。何の感情も込められていないかのように、それは酷く冷たく響いた。

「てめぇ‥‥あいつの‥仲間‥‥か‥」
「お返事は?」

さらに足に力を入れる。男は再びうめき声をあげた。
「わ‥わかった‥。約束する‥‥」
「はい、よくできました。あ、マスター。これ、店の修理代ね。――さて、お兄さん、もう一つお願いがあるんだけど」

倒れた男たちから巻き上げた金の半分をカウンターに放り投げると、壁にもたれ座り込んでいる男に近付いて腰を落とした。最後に勝負したその男は、完全に戦意を喪失したのか乱闘には加わっていなかった。恐らく、仲間からは後で手痛い仕打ちを受けるだろうが、それは悟浄の預かり知らぬ事だ。

「ひとつだけ‥‥聞いても‥‥いいか?」
力の篭らない弱々しい声で、男は悟浄に問い掛けた。

「ん?」
「俺があのまま勝負してたら‥‥‥どうしていた?」
「そんなの、直前にカードすりかえれば済む事じゃん。アンタがやったみたいにさ」
事も無げに言った後で、けどさ、と悟浄は続けた。

 

「アンタはそんなに馬鹿じゃない。――違う?」

 

一瞬、先程と同じ鋭い光を宿した瞳。それを誤魔化すように片目を瞑った紅い髪の男に、男は、自分の選択が正しかった事を改めて確信した。
 

 

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