Pandora(3)
「あ、アンタは知ってんのね、やっぱ」 伊達に歳はくってねーってか、と悟浄が屈託なく笑うのに、老僧が目を丸くしているのが楽しかった。一矢報いた気分になる。 禁忌の子供が総じて短命であるということは、途中立ち寄った街で耳にした。 「アポトーシスっていうらしいじゃん?『細胞の自殺』か、上手いこというよな」 今まで、オタマジャクシの尾がなぜ自然に消えてしまうのかなどと、考えたことなどなかった。プログラムされた細胞死。そんなものが存在するなどと。 悟浄がその事実を知ったとき、不思議と何の感情も湧かなかった。 「‥‥‥僧侶をお嫌いになられるのも無理からぬことですな‥‥」 悟浄がどういう経緯で自身の寿命に纏わる話を知ったのか殆ど話していないのに、驚くべきことに老僧は情報提供者について正確に察したようだった。まるで自らを責めるような沈痛な面持ちに、悟浄の方が心苦しさを感じてしまう。 「い、いやあ、それはあんまカンケーねぇし」 つい軽く返した言葉だったが、言外に、それ以上の嫌がらせを受けたと告白したも同然だった。皮肉と取られたかと一瞬悟浄は危ぶんだが、老僧は顔色ひとつ変えなかった。だからといって、この老僧が何も感じていない筈がないことは、悟浄には既に分かっていた。 「それよか、三蔵には余計なこと言わねーでくれよ?」 悟浄は殊更に明るい声で話題を変えたつもりだったが、老僧は表情を沈めたまま、ほう、とひとつ大きく、息を吐き出した。 「その必要はありますまい。‥‥‥既に三蔵殿はご存知であらせられましょう」 老僧の言葉を上手く飲み込めず、悟浄は目をしぱしぱと瞬かせた。 「三蔵殿が休息もとられず書庫に篭られた理由‥‥‥これで合点がいきました。何故、当院にお立ち寄り下さったのかも」 焦った悟浄は声を荒げて老僧の言葉を遮った。 「宝物に何か取り憑いたから祓ってくれって、そっちが三蔵を呼びつけたんだろ!?」 ぐるぐると視界が回るような錯覚。気を抜くとこの場に倒れてしまいそうだった。 「だってよ‥‥‥、けど、じゃ、」 老僧の言葉は、途中から聞こえなくなっていた。 三蔵は知ってた?一体いつから? 三蔵が本の虫になったのは、悟浄が僧侶から諸々を聞かされるずっと以前のことだ。その当時は何も知らない悟浄も三蔵の行動を気軽に揶揄していたものだったが、寿命に関する事実を知ってから三蔵の外出を咎める言動をとることは、矜持が許さなかった。残りの時間を少しでも多く三蔵と過ごしたいだなんて、格好悪くて言えるわけがない。 あんなに前から、三蔵は知っていたというのだろうか。 ―――いや、たった一度。 どこかの街で、やはり所用で寺に出かけていた三蔵が、殆ど泥酔状態で宿に戻ってきたことがあった。酷く酔っているくせに、やたらと悟浄に触れたがって。結局その日は酒臭い三蔵に抱きしめられて、鬱陶しい一晩を過ごしたのだ。翌日には酷い二日酔いで三蔵はいつにも増しての不機嫌だったが、以降特に変わった様子も見られなかったので他の三人の間では『よっぽど寺で嫌なことがあったに違いない』と簡単に流されてしまった。 そういえば、あれからだった。三蔵がやたらと書物や文献に拘るようになったのは。 悟浄にも、誰にも気付かせず。ひとりで。たったひとりで。 死を覚悟したときには無反応だった身体が、がくがくと震える。 「クソ、坊主が‥‥」 言葉にならない言葉で、呟く。堪えきれずに視界が滲む。 三蔵は選んだ。悟浄と共に最後まで行き抜く道を選び、そしてそれを諦めていない。なりふり構わず必死に足掻いてくれている。 なのに。 そのくせ、初対面の僧侶に縋った自分が許せない。 母の胎内の赤子の手の水かきが跡形もなく消えてしまうように、自分も消えてしまうのだろうか。床に服だけが散らばった部屋に足を踏み入れた三蔵たちは、一体どう思うだろうか。 仕方がない、と。 『運命』なんて、かつては自分が一番嫌っていた筈の言葉なのに。いつの間に、俺は―――。 口元を覆う手の指先に、雫を感じる。 生きたい。
不意に、ぐらりと身体が傾いだ。 「あ‥‥?」 悟浄は老僧に抱きしめられる格好になっていた。 年老いた高僧は、ただ黙って側に居てくれた。
悟浄が思っていたよりも、縁側で過ごした時間は長かったようだ。 「直に夕餉の支度も整いましょうが‥‥。とりあえず温かいお茶でもいかがですかな、悟浄殿?」 二度目の誘いを断る理由など、何ひとつ無かった。悟浄が頷くと、老僧は嬉しそうに笑った。二人は腰を上げ、歩き出す。残された桜が、見送るようにさわさわと枝を振った。 「そだ、三蔵も一緒にいいすか?」 泣き腫らした目を見られたくないだろうという老僧の配慮が、素直に嬉しい。 「明日は、俺も三蔵手伝うかな」 ほっほっ、と高笑いする老僧を悟浄は睨んでみるが、赤い顔では迫力はないだろう。 ―――――俺も、せいぜいみっともなく足掻いてみるわ 小さすぎて聞こえないかもしれないと思ったが、杞憂だった。 それがよろしゅうございます、と悟浄の耳に届いた言葉は今まで聞いたどんな声よりも優しく温かく。
「Pandora」前・了 |
うっそぴょーん。
…これってどうなん?的なお話でした。
本当は、これは前半部分で、三蔵様とじーちゃんしか出てこない後半があったのですが、上手く纏まらなくてボツとなりました。
辻褄が合っていない部分があるのが本当に申し訳ないのですけど、そこはそれ4月1日話ですので(言い訳にもなってない…)
とにかくごめんなさいごめんなさい。出来心です。
2010.6.26追加。
とかなんとか書いておいて、2年以上経ってから続きをUPしますごめんなさい。
ほんっとーに、じいちゃんと三蔵様しか出てきません。萌えの欠片もありません。
それでもよろしければ、どうぞお入りください。「Pandoraの続きを読む」