Pandora(2)

一見ガラの悪い、派手な色の髪をした目つきの悪い青年と、一見好々爺と見えなくもない高位の僧侶が、二人並んで仲良く縁側で煙草を吸っている。

どうしてこんなことになってしまったのか、悟浄には未だに理解できていない。
気が付けば、ちょこんと縁側に腰掛けた老僧の隣で様々な話を聞いていた。老僧の話術は巧みで、軽い世間話の類のものから、流石に齢の重なりを感じさせる含蓄のある経験談まで、幅広い話題が尽きることはなかった。だが、不思議と押し付けられるような嫌味がなく、いつの間にか悟浄は老僧の話に聞き入っていた。
若い頃には所帯を持っていたが、幼かった子供の死を切欠に落髪したのだと語った老僧の、深い皺の刻まれた横顔はあくまでも穏やかだった。久々に無性に吸いたくなりまして、と煙草を持つ指で頭を掻く老僧に付き合って、悟浄もぽつぽつと旅の出来事や博打の話をした。悟浄が何を言っても老僧は一々頷いては真剣に耳を傾け、尋ねたことにはきちんと返事をしてくれた。
悪い気分ではなかった。
だから、だろうか。

「なあ、アンタは平気なの?俺‥‥ら、みてぇのが、尊い三蔵法師様のお側にいてさ」

そんな問いが、口をついていた。
興味、だったのかもしれなかった。この僧侶も、今まで出会ってきた坊主達と同様に、心の中では自分達の存在を疎ましく思っているのだろうか。
だが、老僧から発せられた言葉は、否定でも肯定でもなかった。

「『俺ら』、ですか‥‥」

悟浄の心臓がどきりと跳ねた。
咄嗟に言い換えて隠した筈の、想い。

「――――貴方様は、本当は何を気にされていらっしゃるのですかな?」

思わず目を瞠った。
どくどくと心臓がけたたましく鳴り始める。

「ご自分が人間ではないこと?三蔵殿が最高僧であること?」

紡がれる言葉を、遮る術を知らない。聞かない方が、言わせない方がいいと、悟浄の本能は告げていたが、指先ひとつ動かすことは出来なかった。

「それとも‥‥‥」

老僧は、ほんの一瞬だけ言い淀んだ。躊躇いだったのかもしれなかった。

「三蔵殿と同性であること、でしょうかな?」

その時大きく風が吹いて、薄紅色の花びらが二人の周りを静かに舞った。

 

 

   

 

「‥‥‥なんで‥‥?」
「さあて、伊達に歳はとっておりませぬからな」

その声音からは侮蔑も嫌悪も、まして敵意など、微塵も感じられなかった。悟浄は顔を上げて隣を見た。前を向いたままの老僧の横顔からは、やはり何の感情も読み取れなかった。

「何か言いてぇんなら、聞くけど」
「拙僧がここで貴方様に何を申し上げたところで、お二方の仲がどう変わるわけでもありますまい」
「言うだけムダってか‥‥‥」

だから言わないだけで、内心は物言いたくて仕方がない、という意味にも取れる。それを寂しく思う自分に悟浄は驚いていた。
老僧の言葉は事実だった。誰に何を言われようが、三蔵との関係を解消するつもりなど無かった。そして実際、今まで何を言われても解消しなかった。これからも、同じだ。

「お客人は、坊主がお好きではないご様子ですな」
「‥‥‥」
「何故に、仏教に多くの戒めが存在するかお分かりですかな?」
「へ?」
「どうぞ、思った通りを」

突然、矛先の変わった質問に、悟浄は戸惑った。とりあえず、老僧の言葉そのままに、浮かんだ通りを口にする。

「知んねーけど‥‥。とりあえず禁欲して精神を鍛えるとか、んなんじゃねーの?」

悟浄の返答に満足したのか、老僧はうんうんと頷いた。果たしてその答えが正解なのかどうか不明だったが、それはまるで出来の悪い生徒を温かく見守る教師のような反応で、悟浄は首筋に何ともいえないムズ痒さを感じた。
老僧がゆっくりと視線を上げた。その先には薄紅の花がある。

「拙僧の勝手な解釈ですが‥‥、要は、何が正と働き何が負となるか、という話ではございませんかの。三蔵殿から貴方様を取り上げて、あのお方が悟りの境地に達せられるというならば、それも宜しかろうが‥‥」

「はあ?さとり?」

咄嗟に聞き返し、悟浄は首を捻った。勿論、その単語自体は知っている。だが。
三蔵が悟る?悟りを啓く?

おぼろげに浮かんできたイメージは何故か、微笑を浮かべて瞑目した三蔵が手を合わせ、勧められる煙草や酒に目もくれず『御仏のお心のままに』などとのたまっているものだった。

――――似合わねぇ!

勝手な想像をしておいて、悟浄は堪えきれず噴出した。
三蔵法師とは当然ながら最高僧を指す。一般常識的には最も悟りに近い存在であるべきなのだが、『悟り』という事象自体があまりに遠すぎて、悟浄に想像できる限界も知れている。自分の仏教への造詣の程度を自覚している悟浄は、込み上げる笑いを必死に堪えて、ここは素直に聞いてみた。

「なあなあ、悟るとどうなんの?」
「生憎と存じませんな。残念ながらこの老いぼれも、悟りを啓いたお方とは未だお会いしたことがございませんので」

しれっと言い放つ老僧に、悟浄はもう笑いを抑えることが出来なかった。最初に感じていた老僧に対する警戒心など、既に吹き飛んでいた。けらけらと腹を抱えて笑い転げ、目尻の涙を拭う。笑い過ぎで呼吸が乱れる、腹筋が痛む。けれど楽しかった。気分が良かった。こんなに笑ったのは随分と久しぶりだった。

「んじゃ、ついでにもひとつ聞いてイイ?」

未だに声が笑いで震えている。
老僧の肯定を受けて、悟浄はほんの少し意識をして呼吸を整えた。ふと、今頃難しい顔で書物と対峙しているだろう三蔵の姿が、頭を過ぎった。

「俺が三蔵の側にいてもアンタが平気な顔してんのはさあ、」

悟浄はすっかり短くなってしまった煙草を踵で踏み消した。咎めるような視線は感じなかったが、吸殻は纏めて拾って上着のポケットに突っ込んだ。何となく、そうした方がいいと思ったからだ。

「どうせそのうち別れるだろうって高くくってるから?三蔵が最高僧の立場と俺のどっちを選ぶか、決まりきってると思ってるから?それとも――――」

敢えて先程の老僧の物言いを真似てみる。
だが言葉を切ったのは、躊躇いからではない。どーして初対面の坊主なんかにこんなコト話してるんだろうなぁ、と妙に可笑しく感じたからだ。

「どうせ、そのうち死んじまうから?」

常に穏やかな笑みを湛えていた老僧の表情が、一瞬で強張った。

 

 

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