All or Nothing(9)
街は、大騒ぎだった。 「おやおや。なかなか耐えられる奴がおらんのぉ。やはり人数を確保したのは正解じゃったわい」 ホッホッと髭を震わせて笑う姿は、好々爺そのものだが。足元に転がる人間は、男女問わず、目、鼻、耳、口と、至る所から血を流し、既に絶命している事が伺えた。 「ど、どうして‥‥?今までは、うまくやってきたじゃないか、お互いに」 「殺してしもうたら、わしの実験動物がいなくなってしまうからの」 「がっ!」 老妖怪と会話していた若者が指差されたと思うと、頭を抱え、悶絶して倒れ込んだ。二、三度痙攣した後、動きが止まる。今まで倒された人々と同様に、顔の至る所から血を流し死んでいた。 あちこちで上がる悲鳴。 パニックになった人々は我を忘れてその場から逃げ出した。その拍子に一人の子供が、突き飛ばされて妖怪の前へと転がり出る。 「ふむ。子供かの。案外、いけるかもしれんのぉ」 ゆるゆるとした動きで、恐怖で動く事も出来ない子供の眉間辺りに指を向けようとした瞬間。 「やめて!」 一人の若い女性が飛び出し、子供を抱きかかえるように庇った。――――麗華だった。 「ほっほっほっ。気丈な娘じゃな。精神力が強ければ強いほど、この実験にはうってつけじゃ。どれ、お主から試してみるとするかの―――」 だが、老妖怪は自らの言葉が終わらないうちに、後ろに飛びずさっていた。その瞬間、老妖怪の鼻先を銀色に輝く刃が掠めていく。 突然の邪魔立てにも動じた様子もなく、老妖怪はまるで天気でも窺うかのような素振りで、刃の飛んできた方向を見やる。 「いい加減にしとけ、クソジジイ」 そこには、錫杖に刃を迎える悟浄と、妖怪へ向けて銃を構える三蔵の姿があった。
三蔵は、意外に思っていた。その行動パターンから、もっと歳若い妖怪であると想像していたからだ。これではガキの癇癪ではなく、ジジイの暇つぶしではないか。 極限状態に陥ったとき、一瞬の判断ミスは命に関わる。 「ほほう‥‥」 老妖怪は、目を眇めた。どんな田舎の妖怪でも、その噂を一度は耳にした事がある人物。この目の前の年若い僧侶が玄奘三蔵法師である事は、その風貌からも明らかだ。 「これは、思ってもみない実験材料が手に入ったわ。三蔵法師なら、その精神力は折り紙つきじゃろうて」 「そういう事は――――」 悟浄は錫杖を一振りして刃を飛ばすと、老妖怪に向かって自らも駆け出した。 「手に入れてから言えっての!」 刃をかわした老妖怪の眼前に、悟浄の拳が迫る。 『捉えた!』 悟浄も、そして三蔵も、そう思った。 ―――速ェ! 「後ろだ!」 三蔵の声に、振り返るより先に真後ろに蹴りを繰り出す。大きく飛びのいた老妖怪は、さらに撃ち込まれた三蔵の銃弾を手にした杖で払いのけ、不敵に笑った。 「これは、なかなか手強いの。じゃが‥‥」 悟浄の錫杖の鎖が、老妖怪の体を幾重にも取り囲む。逃げ場を塞ぎ、悟浄は鎖を一気に引き絞った。 「‥‥‥まだ甘い、の」 楽しげに呟くと、老妖怪は驚くべき俊敏さで真上へと飛びあがり鎖の呪縛から逃れる。浴びせられる銃弾をかわしながら真っ直ぐに三蔵へと向かう後姿に、悟浄は再度刃を飛ばし、進路を塞ぐ。 ―――ヤベェな 銃弾を装填しながら、三蔵は目の前の敵がかなり手強い相手だという事を認めざるを得なかった。というより、完全に手玉に取られている。悟浄の攻撃をいなしながら自分に近付いてくる妖怪に、狙いはあくまでも自分だという事を認識させられる。 顔に、冷たいものが当たり、思わず舌打った。 (降ってきやがった!) あっという間に雨脚が強くなる。雨の中では視界も悪く、足場も不安定だ。 「しまっ‥‥!」 注意を三蔵方向に向けていた悟浄は、妖怪の方向転換に僅かに反応が遅れた。 思わず顔を上げた悟浄が見たものは、至近距離で対峙する三蔵と妖怪の姿。 息を呑む悟浄の視界の中で、妖怪の顔が歓喜に歪み。―――そして。
ゆっくりと、三蔵は倒れた。
「三蔵っ!」 悟浄の叫びは、激しくなった雨に吸い込まれ、消えていった。
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三蔵様、いきなりのピンチ。