All or Nothing(8)

悟浄が建物の外に出ると、微かに嗅ぎ慣れた煙草の香りが漂ってきた。
その人物の気配より先に、存在をアピールするモノに苦笑をもらしつつ、香りの元を辿って行く。
宿の裏に植えられた大きな木に背を持たせかけ、玄奘三蔵は紫煙を吐き出していた。

「雨が、降りそうだ」

顔をこちらに向けるより先に、放たれるその言葉。
確かに、空気が湿気を帯びて重くなっている。この辺りは地形上、この季節に雨が多いと麗華が教えてくれた。一度降り始めると、数日間土砂降りが続くらしい。
悟浄は黙って隣に腰掛け、自分の煙草を取り出そうとして、止めた。何となく、今は、この香りを消したくはない。

「おい?」

無言のまま煙草を吸うでもない様子の悟浄に、三蔵が訝しげな声をかける。煙草忘れちまったと、悟浄は嘘をついて誤魔化した。
不意に目の前に影が落ち、目に飛び込んできた金色。
あ、三蔵だ。と認識した時には、既に唇を塞がれていた。
ゆっくりと、煙を吹き込まれる。当然それだけで済むはずも無く、その口付けは次第に深くなっていく。三蔵の舌が歯列をなぞり、悟浄の舌を絡めとる。意識も何もかも持っていかれそうな、軽い酩酊感。
自分もそれに応えようと、三蔵の首に腕を回すべく悟浄は腕を持ち上げた。

「どうした」
「え?」

三蔵に言われて初めて、悟浄は自分が三蔵の体を押し返して自分から引き剥がした事に気が付いた。三蔵の首に回されるはずであった自分の手が、三蔵の胸を強く押している。

「あ‥‥?」

全くの無意識の行動に、悟浄はうろたえた。そんな様子に三蔵は短く舌打ちすると、もう一度悟浄を引き寄せようと腕に力を込める。だが、悟浄はその腕を振り払うと立ち上がった。

今度は、明確な意思をもって。
 

「悟浄?」
「えーと、もうすぐ夕飯だから、部屋戻るな?お前も、降りださねぇうちに戻れよ」

踵を返し、立ち去ろうとする悟浄の腕を三蔵は掴む。

「ちょっと待て。貴様、一体‥‥」
「この宿にいる間はさ、止めとかね?」

悟浄は振り向かないまま言葉を紡ぐ。

「何だと‥?」
「麗華に見られても、なんだしなぁ」

三蔵は、愕然とした。

ようやく嫉妬する事を覚えたのかと思えば、早速それを隠す事を覚えやがった。こんな事ばかり速攻で学習しやがって。大体何でそうなるんだ。普通、嫉妬すれば相手を求めるもんじゃねぇのか。より近くにいたいと思うもんじゃねぇのか。何で離れようとするんだ、こいつは?

「可愛いよなー、あの娘」

その一言で、三蔵の頭はブチ切れた。

「お前、まさか麗華に遠慮してそんな事言い出したんじゃねぇだろうな?」
「‥‥」
「どういうつもりだ?俺が彼女とどうこうなるとでも思ってんのか?それとも、そうなって欲しいと願ってんのか?まさか、自分が手ぇ出そうとか思ってんじゃねぇだろうな」

「‥‥んな訳ねーだろ」

何なんだ、今の間は。三蔵の眉間に皺が寄る。

「けど、不公平かなーと、思ったりして」
「何がだ」
「お前、俺の事側に置きたい?」
「ぁあ?何を今更」
「じゃあ、大丈夫だわ。俺はお前から離れねぇよ」

けどさあ、と悟浄は続けた。

「お前、俺以外とヤってみたいと思わねぇの?」
「‥‥殺すぞ」
「やっぱ、不公平だよなぁ」

どこか要領を得ない悟浄の言葉に、苛立ちが増す。だが、三蔵は怒鳴りつけたい衝動を抑え、噛んで含めるように言葉を紡いだ。

「悟浄、俺に分かるように話せ。俺を疑ってんのか?」
「違うって―――。あー、でもなぁ、ちょっと忘れてたんだわ、俺。なーんで忘れてたんだろーなぁ」
「だから、何がだ!」

目の前できししと笑う悟浄は普段の様子と寸分変わらず――――それが却って三蔵の背筋を凍らせた。

悟浄が何を考えているのか、さっぱり分からない。だが、一つだけ明確に言える事があった。今、この手を離すわけにはいかない。もう悠長な事を言っている場合ではなくなった。ここで分からせなければ、マズい事になる。何故だか、妙な確信があった。
悟浄の体を引き寄せて思い切り抱きしめる。
 

「おい、だから、ここじゃ――」

悟浄の文句は黙殺した。三蔵は腕に力を込めて一層悟浄を強く抱きしめた。

「お前は、俺が望む限り俺の側にいるんだな?」
「ああ?約束したじゃん。最初に」
「じゃあ、いくらでも望んでやる。俺の側にいろ」
「‥‥お前、どうしたの?」

不思議そうに尋ねる悟浄の声に、三蔵は恐怖に似た焦燥を感じていた。
得体の知れない不安を振り払おうと、三蔵がさらに言葉を続けようとした時。二人は弾かれた様に同じ方向に目を向けた。

二人が察知したのは、どこからともなく流れてきた禍々しい―――妖気。
追うように、遠くから微かに悲鳴が聞こえてくる。

あ、と三蔵が思ったときには、悟浄は腕の中から飛び出していた。

「悟浄――――」
「妖怪のツラぁ拝見といこーぜ!グズグズしてっと置いてくぞ、三蔵様!?」

走りながら振り返る横顔は、いつもと同じ笑みを浮かべていて。
釈然としないものを抱えたまま、三蔵は無理やり心を落ち着かせ、駆け出した。

 

 

この時、悟浄の腕を離さなければ。

三蔵がそれを後悔するのは、もっと、ずっと後の事になる。
 

 

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次回、妖怪さんの登場です。
これ以上登場人物増やして、一体どう収拾つけるつもりなんでしょう、私…。

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