All or Nothing(8)
悟浄が建物の外に出ると、微かに嗅ぎ慣れた煙草の香りが漂ってきた。 「雨が、降りそうだ」 顔をこちらに向けるより先に、放たれるその言葉。 「おい?」 無言のまま煙草を吸うでもない様子の悟浄に、三蔵が訝しげな声をかける。煙草忘れちまったと、悟浄は嘘をついて誤魔化した。 「どうした」 三蔵に言われて初めて、悟浄は自分が三蔵の体を押し返して自分から引き剥がした事に気が付いた。三蔵の首に回されるはずであった自分の手が、三蔵の胸を強く押している。 「あ‥‥?」 全くの無意識の行動に、悟浄はうろたえた。そんな様子に三蔵は短く舌打ちすると、もう一度悟浄を引き寄せようと腕に力を込める。だが、悟浄はその腕を振り払うと立ち上がった。 今度は、明確な意思をもって。 「悟浄?」 踵を返し、立ち去ろうとする悟浄の腕を三蔵は掴む。 「ちょっと待て。貴様、一体‥‥」 悟浄は振り向かないまま言葉を紡ぐ。 「何だと‥?」 三蔵は、愕然とした。 ようやく嫉妬する事を覚えたのかと思えば、早速それを隠す事を覚えやがった。こんな事ばかり速攻で学習しやがって。大体何でそうなるんだ。普通、嫉妬すれば相手を求めるもんじゃねぇのか。より近くにいたいと思うもんじゃねぇのか。何で離れようとするんだ、こいつは? 「可愛いよなー、あの娘」 その一言で、三蔵の頭はブチ切れた。 「お前、まさか麗華に遠慮してそんな事言い出したんじゃねぇだろうな?」 「‥‥んな訳ねーだろ」 何なんだ、今の間は。三蔵の眉間に皺が寄る。 「けど、不公平かなーと、思ったりして」 けどさあ、と悟浄は続けた。 「お前、俺以外とヤってみたいと思わねぇの?」 どこか要領を得ない悟浄の言葉に、苛立ちが増す。だが、三蔵は怒鳴りつけたい衝動を抑え、噛んで含めるように言葉を紡いだ。 「悟浄、俺に分かるように話せ。俺を疑ってんのか?」 目の前できししと笑う悟浄は普段の様子と寸分変わらず――――それが却って三蔵の背筋を凍らせた。 悟浄が何を考えているのか、さっぱり分からない。だが、一つだけ明確に言える事があった。今、この手を離すわけにはいかない。もう悠長な事を言っている場合ではなくなった。ここで分からせなければ、マズい事になる。何故だか、妙な確信があった。 「おい、だから、ここじゃ――」 悟浄の文句は黙殺した。三蔵は腕に力を込めて一層悟浄を強く抱きしめた。 「お前は、俺が望む限り俺の側にいるんだな?」 不思議そうに尋ねる悟浄の声に、三蔵は恐怖に似た焦燥を感じていた。 二人が察知したのは、どこからともなく流れてきた禍々しい―――妖気。 あ、と三蔵が思ったときには、悟浄は腕の中から飛び出していた。 「悟浄――――」 走りながら振り返る横顔は、いつもと同じ笑みを浮かべていて。
この時、悟浄の腕を離さなければ。 三蔵がそれを後悔するのは、もっと、ずっと後の事になる。
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次回、妖怪さんの登場です。
これ以上登場人物増やして、一体どう収拾つけるつもりなんでしょう、私…。