All or Nothing(6)

結局、夕食も摂らずになだれ込んでしまった三蔵と悟浄が起き出したのは、翌日の昼をとっくにまわった頃だった。

「よっぽど、お疲れだったんですね」

遅い昼食に、それでも麗華は嫌な顔ひとつせずに笑顔で給仕する。
ははは、と悟浄は乾いた笑みを浮かべて誤魔化した。
確かに、疲れていた事には違いは無いのだが。

(実は宿に着いてからもっと疲れたんです、とは言えねぇよな)

ゆっくり休むから起き出して来るまでは部屋を訪ねないで欲しい、と宿側にあらかじめ告げておいて良かったと心底思う。食事の時間にでも起こしに来られたら、一体どんな状態を見せてしまっていたか知れたものではない。
ちらりとテーブルを挟んで向かい側に座る男の三蔵の様子を伺ったが、三蔵は何事も無かったかのような顔で新聞を広げているだけだ。

(この、絶倫生臭‥‥!)

心の中で毒づく。昨日は、何だか、いつもよりしつこいほどに求められた――気がする。
自分も、熱に浮かされて妙な事を口走ってしまった。
今考えると、違うだろ、と思うのだが。お前が俺だけを見てくれることを望むのは、間違ってるだろ、と思うのに。

『いいに決まってんだろ』

確かに、言われた。熱に浮かされてはいたが、あれは夢などではない。

お前は、それを許すのか‥‥?

三蔵の顔を見つめたまま、考えに浸ってしまった悟浄は、不意に三蔵に目線を移されて心臓が跳ね上がった。もろに目が合ってしまい、顔に血が上る。

「何か俺の顔についてるか?」
「い、いや!別に、んでもねーよっ!」

三蔵の声に優しげな響きが含まれていることに、焦りまくる悟浄は気が付いていない。おまけに、慌てた拍子に、目前のコーヒーを倒してしまった。
麗華が驚いて飛んでくる。

「お客様、大丈夫ですか?」
「ああ、へーきへーき。ごめん、汚しちゃって。俺、ちょっと着替えてくるから」

気を抜けば赤くなる顔を必死に隠すようにして、悟浄は食堂を走り出て行った。

「大丈夫でしょうか、何だか妙に慌ててらしたけど‥‥」
「心配はいらねぇよ。別件だ」
「え?」

何の事か分からない麗華を他所に、三蔵は内心機嫌が良かった。恐らく悟浄は昨日交わした会話について考えている。
嫉妬心と独占欲。悟浄がそれを受け入れるには時間がかかると踏んでいた三蔵だったが。

(いい傾向じゃねぇか)

赤い顔を必死に隠していた悟浄の様子を思い出し、三蔵は口元を僅かに緩めた。

 

 

「あの‥‥」

三蔵の思考はそこで中断させられた。顔を上げれば、麗華が布巾を握り締めて立っている。こちらも、顔から首までほんのりと赤く染まっていた。

「あの、昨日は失礼しました」
「‥‥」
「貴方の仰るとおりですね。私、恥ずかしくて――」
「別に謝る必要はねぇよ。俺も言い過ぎた」
「ありがとうございます!お許しいただけるんですね?」

ぱっと花が開くように、麗華の顔が輝いた。

 

 

 

やがて、シャツを着替えて戻ってきた悟浄は、食堂に足を踏み入れようとして足を止めた。その視線の先には、仲睦まじく談笑する三蔵と麗華の姿がある。
―――もっとも、実際は笑っているのも喋っているのも麗華で、三蔵は相変わらずの仏頂面で一言二言返しているだけなのだが――。
とにかく悟浄は足を竦ませていた。

 

「お似合いだねぇ」

いつの間にか宿の主人が側へ寄ってきていた。
昨日、三蔵が自分の発言に対して辛辣な意見を述べたなどという事は夢にも思っていない主人は、呑気に悟浄に話しかけてくる。

「見なよ、まるで絵みたいじゃないか。美男美女ってのはああいうのを言うんだろうよ。本当、お坊さんでなけりゃあいいのに」

返す言葉の無い悟浄の様子を同意とみなしたのか、主人は気を良くした風に喋り続ける。

「麗華は町一番の器量よしだからね。小さい頃にふた親を亡くしてからは、うちで面倒見てるんだが‥‥本当にいい娘だよ。性格も素直で、この町じゃ『天女』だって評判なんだよ」

その主人の口調はどこか誇らしげだ。恐らくは自分の娘と同様に可愛がって来たのだろう。

悪い人物ではないのだ。この主人も。ただ、自分の目の前を見るのに精一杯なだけで。
そして、それは自分たちも同じ事だ。

「あの人、一生独身かい?勿体無いじゃないか、あんな色男が。お坊さんじゃなけりゃあ、うちの麗華と‥‥」

自分を見上げて同意を求めてくる主人に曖昧な頷きを返しながら、悟浄は、二人から目が離せないでいた。何となく、二人に近付けなかった。

だが、三蔵の視線が自分を捉えると同時に、悟浄は一歩を踏み出した。何事も無かった風を装って。いつもの笑いをその顔に貼り付けて。

そして、一見平和な昼食が再開される。

悟浄は心の奥から湧き上がる黒い染みから、目を逸らすしかなかった。
 

 

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悟浄さん、かなり後ろ向きな気配。

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