All or Nothing(3)

問題の森からほどなく歩いたところに、次の町はあった。
下手をすれば、村かと危ぶまれるほどの小さな町。カードが使えるか一瞬心配してしまったが、宿で確認したところ、その辺りは心配ないようだ。

部屋は、個室を取った。宿が込み合っているならばともかく、男二人で同室もないだろう。普段ならそれもアリだが、とにかく休みたかった。まだ日は高かったが、森抜けは案外体に堪えたらしい。疲れきった二人は部屋に落ち着くや否やそのままベッドに横になった。
八戒たちはこの倍の疲れを感じる事になるのか。三蔵と悟浄は僅かばかり同情を覚えながら、それぞれ襲ってきた睡魔に身を委ねた。

 

 

 

どのくらいの時間が経過したのか――少なくとも、まだ日は落ちていなかったが――束の間の安息は、女性の悲鳴で破られた。

「やめて!やめて下さい!」

女の声と物の割れる耳に障る音。
 

――――煩ぇ

それがどうやらただの喧嘩であるらしい気配を察知した三蔵は、布団を頭から被り、再び眠る態勢に入る。
ふと、隣の部屋の気配が動いた。

――――また、余計な事に首を―――。

パニックになった女の悲鳴が、宿中に響いている。悟浄が無視できない状況である事は明らかだ。三蔵はため息を吐きつつ、無理にでも眠りを決め込もうと、きつく目を閉じて喧騒を頭から追い出すことにした。

 

 

宿のロビーで、男が二人言い争っている。いや、既に言い争っている、という次元は超えていた。一人は鼻から血を流し、一人は目の周りが腫れ上がっている。二人の男は肩で息をしながら、再び互いに掴みかかった。傍にあったテーブル上の灰皿が跳ね飛ばされて割れる音が響く。

「麗華は俺のものだ!てめぇは負けたんだろ!」
「人の事言えるのか!お前だってあん時ベソかいてたじゃないか、あれは無効だ!」
「俺の方が早く戻った!」
「そんな事は関係無い!」

互いを罵りあいつつも、殴りあう手は止まりそうにもない。制止も聞かず派手な喧嘩を続ける男たちに、宿の女性はただおろおろとするばかりだ。
片一方の男が、足をもつれさせよろめいたところに、もう一人がすかさず顔面に拳を叩き込もうと大きく振りかぶる。一際高い女性の悲鳴があがり―――だが、その男は自らの拳を振り下ろす事は出来なかった。手を振り上げた直後、何かに足をとられ、自分も転倒していたからだ。

「あ、悪ィ悪ィ。足が長いモンで、つい引っかかっちまったわ」

現れたのは、紅い長髪を揺らす、長身の男。

「お嬢さん可愛いねー。こんな物騒な連中は放っておいてさ、どうよ?俺とこれからお茶でも」

その男が自分たちなど眼中にないように側の女性を口説き始めるのを見て、呆然と座り込んでいた男たちは我に返った。怒りで顔を紅潮させ、この突然の乱入者に怒りの矛先を向ける。

「てめぇ!舐めた真似しやがって!すっこんでろ!」
「あんた余所者だな?悪い事言わねぇから、一発殴らせなよ。それで今の事はチャラにしてやるから」

互いが今まで殴り合いをしていた事など綺麗に忘れてしまったかのように、男たちは連携をとった。悟浄を挟み込むように立ち、威嚇する。
だが、悟浄はまるで二人の声など聞こえていないかのように、女性に話しかけるのを止めない。

「あ、今は仕事中だから駄目か。じゃあ、部屋教えてよ。後で行くからさ」
「ってめぇ!!」

横から飛んできた拳を、悟浄は難なく受け止めた。そのまま、男の腕をねじり上げる。

「痛ッ‥‥!‥っっ!!!」
「騒ぐなって。女を怖がらせるのは感心しねーな。もう帰れよ、な?どうしても、っつーなら、相手になってもいいけど?」

腕を掴む手に力を入れると、男は泣き叫ぶように喚いた。紅い瞳にねめつけられたもう片方の男も体を竦ませている。

「もう、止めてください!」

止めに入ったのは、先程まで震えていた宿の女性だった。

「お願いですから、もうこれ以上は‥‥」

泣き出さんばかりの瞳に見上げられ、僅かに悟浄の胸のどこかが痛んだ。女が泣くのは、苦手だ。ゆっくりと、捻り上げていた男の腕を解放する。男は、そのまま転がるように逃げ去った。

「ありがとう」

美しい笑顔に、悟浄は自分もついつられて口元を綻ばせる。だが、もう一人はそれでは納まらなかったようだ。殺気を感じ、悟浄は彼女を背に庇い、前に立ちふさがる。
そこで見たものは、ナイフを取り出した男と、その腕を押さえる金髪の男の姿だった。髪を僅かに乱したままの、白いシャツにジーンズというラフな格好にも拘らず、そこに光が出現したかのような錯覚に囚われ、悟浄は不覚にもほんの一瞬見とれてしまった。宿の女性や他の宿泊客も同様だったらしく、誰かの小さく息を呑む音が聞こえた他は、一人として動こうとはしない。
だが当の本人は、眠りを妨げられた不機嫌が、顔とはいわず体中から噴出していた。

――――珍しい。三蔵がこんな事で起き出して来るなんて。

そう考えて、ふと、悟浄の心にある疑念が沸き起こる。
その思考に自らが驚いて、急いでそれを打ち消すと、いつもの自分を慌てて作った。

「あら?三ちゃんもうお目覚め?」
「どっかの馬鹿がやかましくてな。眠れねぇんだよ」
「ほれみろー。お前らが煩いからこの坊主が怒っちまったじゃねぇか」
「‥‥てめぇの事だ、ボケ」
「あり?」

その間も、三蔵の手は男の腕を押さえ込んだままだ。だが、今度は宿の女性も何も言わない。ただじっと、三蔵の顔を見つめているだけだ。

打ち消したはずの何かが再び頭をもたげてくるのを、悟浄は忌々しい思いで感じていた。
 

 

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ベタな名前の麗華ちゃん登場。なんとなく不穏な気配が…。

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