All or Nothing(26)

「あの妖怪の元に、ひとりで?まさか、そんな無茶な事を‥‥」
「するような奴じゃねぇか?」
「‥‥するだろーなぁ‥‥」

駆けるジープの上で、三人は盛大なため息をついていた。
あの騒ぎの中、悟浄が姿を見せなかったのはどう考えても不自然だった。普段から頑なに自分と悟空に三蔵の側を任せていたのには、そういう魂胆があったからか、とようやく八戒にも合点がいった。
恐らく悟浄は気付いていたのだ。何人がかりであの妖怪に対峙したところで、最後には逃げられてしまうだろうという事に。だから、敢えて一人で妖怪のアジトへ先回りする方法を選択したのだろう。

「こんな時にだけ妙に頭が回る人ですねぇ」
「ったく、世話掛けさせやがって」

何気ない会話の裏に、隠しきれない緊張感が漂う。あの妖怪の手強さは、全員が身をもって体験しているのだ。悟浄一人で無事に済むなどと、楽観できる材料はどこにもない。
ジープのタイヤが軋み、アジトの山が目前に迫る。だがやはり、結界が張られている様子はない。既に、悟浄と妖怪が一戦まみえているのは間違いなかった。

「――――急ごう」

悟空が、いつになく真剣な面持ちで呟いた。
無論、全員が同じ気持ちだった。

 

 

 

 

 

突然、首に強い衝撃を受けた。

「へへ。つっかまーえた」

まるで歌うように、楽しげな節を付けた声。
勝ち誇った表情を一転させ、妖怪は初めて驚愕に顔を引きつらせていた。
確かに自分はこの若造の腹に杖を突きたてている筈なのに。勝利したのは自分である筈なのに。

何故、この男は笑っている?

試しに杖をぐりぐりと抉じ開けるように傷を抉ってみても、眼下の男は痛がるどころか嬉しそうな笑みを隠そうともしない。どくどくと溢れ出る血液だけが、その傷の凄惨さを訴えてくるだけだ。

(い、痛くないのか!?)

老妖怪は流石に薄気味悪くなり身体を離そうともがいたが、強い力でがっしりと首を掴まれ全く身動きが取れない。大怪我をしているにもかかわらず、悟浄の力は弱まるどころかますます強く、妖怪の首を掴み上げている。

「やれやれ、すばしっこいジジイにゃ近付くにも苦労すんぜ」
「貴様、ワザと‥‥!?」

自分の動きを止め、捕らえられる距離に近付くために故意に攻撃を受けたのだと、ようやく妖怪は悟った。老いた背筋に冷たいものが伝う。
焦る妖怪を横目に、悟浄は空いた方の手で、老妖怪の杖の先端に嵌めこまれた水晶を愛おしげに撫でた。良く見れば、水晶の中にも、何かが埋まっているのが見える。――――それは、切断された鳥の頭部だった。頭だけの姿で生かされ続けた、結界の鳥のつがいの片割れだった。

「こいつらは一度つがいの相手を決めたら、一生をそいつと共に過ごすって聞いた事がある」

むごい事を、と悟浄は静かに目を伏せ、自分の腹に突き立ったままの杖に手をかけた。妖怪は悟浄の傷をさらに深く抉ろうと必死になったが、結局は悟浄の力が勝り、杖は悟浄の腹から引き抜かれる。更に血液の溢れる感触が伝わったが、悟浄は気に留めなかった。
引き抜いた杖を、弱りきった結界の鳥の方向へと放り投げる。痛覚が麻痺していた事が役に立つとは思わなかったと、少し嘲笑えた。

「どんなに遠く離れちまっても、必ず自分が決めた相手のところに戻ろうとするんだってな‥‥。アンタはその本能に細工して、瞬時にこいつの相手の元へ戻れるようにした」

結界を張るために捕われていた鳥が、ふらふらとよろめきながら放り出された杖へと向かう姿が痛ましい。
妖怪を睨みつける悟浄の瞳には、まぎれもない怒りの炎が燃え盛っていた。

「こいつらの分と、三蔵の分――――きっちり落とし前付けさせてもらうぜぇ」

首を掴む手に力が篭る。喉元を圧迫されて焦った老妖怪は、必死で声を絞り出した。

「さ‥‥ぞう、の‥‥きおく‥‥もどす‥‥が‥‥」

「見え透いた命乞いしてんじゃねぇよ。てめぇ言ったな?元に戻す方法は無い、ってよ。んな手に引っかかるかよ――――覚悟しな」
「ちが‥‥あ、れ‥‥を‥‥」

震える指先が横の棚を指す。それに気を取られ、一瞬、悟浄の気が妖怪からそれた。その僅かな隙に、伸ばされた妖怪の長い爪が悟浄の胸を貫く。

「くっ‥‥こ‥‥の!」
妖怪は声にならない声で、哂った。その瞳を不気味に光らせながら。

 

ごき。

 

短く鈍い音が響き――――、老妖怪は動かなくなった。

 

 

 

 

 

自分に覆い被さるように倒れこんでいる妖怪の死骸を振り払い、悟浄はのろのろと首だけを巡らせた。
身体は、動かない。痛みはないが、少し血を流しすぎたようだった。自分がどの程度の傷を負っているのかも興味はなかった。ただ、自分がやるべき事をやったのだという満足感があった。これで、やっと終われるのだと。
例え三蔵の記憶が戻らないままでも、これから彼はあるべき人生を歩んでいくのだ。
自分のいない、普通の人生を。

『逃げるな』

不意に、ついさっき聞いたばかりの声がどこからか聞こえてきた。

『逃げるな、悟浄』

けどよ、三蔵―――。

 

 

ふと、視線の先に捕らえたのは、ふらつきながら必死に歩く一羽の鳥。長い間術により束縛されてきた身体が上手く動かせないのだろう、よたよたと数歩進んではバランスを崩して、転ぶ。だが、迷わずに、躊躇わずに―――ようやく転がる杖の先端まで辿り着くと、切なくなるような微かな声で、その鳥は一声だけ、鳴いた。
まるで再会を喜ぶように。相手に語りかけるように。
もう、離れることはないのだと。
最期まで側にいるからと。
募る想いが溢れだしたかのような鳴き声が、悟浄の心に直接響く。
術で生かされていたこの2羽の生命は、恐らくあと僅かで尽きる。だがきっと、穏やかで安らかな眠りが、このつがいには待っているだろう。
力尽きたのか、結界の鳥がつがいの埋まる水晶へと全身で擦り寄るように蹲った。静かに、その黒く澄んだ瞳を閉じる。まるで、笑っているようだと悟浄は思った。
愛する相手の元に戻れた喜びをその小さな体から溢れさせ、小鳥たちは微笑んでいるのだ。

 

―――――いつの間にか、悟浄の視界は滲んでいた。

 

心を語る言葉も持たず、抱きしめ合う腕も持たずないこの小さな鳥たちですら、心を通わせることができるというのに。引き離され、姿すら変えられ、触れ合うことすら許されなくなってもなお、たったひとつの魂を求め続ける強さを持つというのに。

どうして、離れられると思ったのだろう。
どうして、共にいられないと思ったのだろう。

三蔵は選んでくれたのに。何もかも失くした上で、俺を見つけてくれたのに。
俺は三蔵に、何も応えていない。ただ、いつか来る別れに脅えて、全てを晒す事を避けてきた。少しでも傷を浅くするために、逃げ出す事しか考えなかった。三蔵のためと言い訳しながら、どうすれば最も自分を傷付けずに済むか、そればかりを考え続けた臆病者だ。

 

三蔵に会いたい、と思った。

 

今頃になって痛覚が甦ってきたのか、身体の奥底が鈍く痛んだ。ただ、それが傷による痛みなのか心の痛みなのかは分からなかった。
もう動かない小鳥たちへ向かって、無意識に悟浄は手を伸ばしていた。霞んで見えないはずの鳥たちが、ぴったりと寄り添う姿が悟浄には見えていた。
その先に、光を感じる。静かだが温かい、悟浄が惹かれて止まない不思議な光。

嫌だ、このまま終わりたくない。
伝えたい、お前に。俺がようやく気付いたことを。
もう逃げない。二度とお前の側を離れない。
誰が何を言ったって、例えお前の迷惑になったって、絶対にお前の側に居座ってやる。誰の前ででも、お前は俺のだって大声で言ってやる。鳥なんかに負けてたまるか。

『気付くのが遅ぇんだよ、ばーか』
「そう言うなよ‥‥ちゃんと気付いただろ‥‥?」

勝ち誇った顔で見下ろしてくる誰かの顔が浮かんできて、悟浄は苦笑しながら目を閉じた。小さく呟かれた名は、光の幻覚を伴って悟浄を眠りに誘う。
溢れんばかりの光に包まれる心地よさに、悟浄は静かに身を委ねた。
 

 

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すでにコメントする気力もないです…。駄目駄目ですね、この展開は…(号泣)

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