All or Nothing(26)
「あの妖怪の元に、ひとりで?まさか、そんな無茶な事を‥‥」 駆けるジープの上で、三人は盛大なため息をついていた。 「こんな時にだけ妙に頭が回る人ですねぇ」 何気ない会話の裏に、隠しきれない緊張感が漂う。あの妖怪の手強さは、全員が身をもって体験しているのだ。悟浄一人で無事に済むなどと、楽観できる材料はどこにもない。 「――――急ごう」 悟空が、いつになく真剣な面持ちで呟いた。
突然、首に強い衝撃を受けた。 「へへ。つっかまーえた」 まるで歌うように、楽しげな節を付けた声。 何故、この男は笑っている? 試しに杖をぐりぐりと抉じ開けるように傷を抉ってみても、眼下の男は痛がるどころか嬉しそうな笑みを隠そうともしない。どくどくと溢れ出る血液だけが、その傷の凄惨さを訴えてくるだけだ。 (い、痛くないのか!?) 老妖怪は流石に薄気味悪くなり身体を離そうともがいたが、強い力でがっしりと首を掴まれ全く身動きが取れない。大怪我をしているにもかかわらず、悟浄の力は弱まるどころかますます強く、妖怪の首を掴み上げている。 「やれやれ、すばしっこいジジイにゃ近付くにも苦労すんぜ」 自分の動きを止め、捕らえられる距離に近付くために故意に攻撃を受けたのだと、ようやく妖怪は悟った。老いた背筋に冷たいものが伝う。 「こいつらは一度つがいの相手を決めたら、一生をそいつと共に過ごすって聞いた事がある」 むごい事を、と悟浄は静かに目を伏せ、自分の腹に突き立ったままの杖に手をかけた。妖怪は悟浄の傷をさらに深く抉ろうと必死になったが、結局は悟浄の力が勝り、杖は悟浄の腹から引き抜かれる。更に血液の溢れる感触が伝わったが、悟浄は気に留めなかった。 「どんなに遠く離れちまっても、必ず自分が決めた相手のところに戻ろうとするんだってな‥‥。アンタはその本能に細工して、瞬時にこいつの相手の元へ戻れるようにした」 結界を張るために捕われていた鳥が、ふらふらとよろめきながら放り出された杖へと向かう姿が痛ましい。 「こいつらの分と、三蔵の分――――きっちり落とし前付けさせてもらうぜぇ」 首を掴む手に力が篭る。喉元を圧迫されて焦った老妖怪は、必死で声を絞り出した。 「さ‥‥ぞう、の‥‥きおく‥‥もどす‥‥が‥‥」 「見え透いた命乞いしてんじゃねぇよ。てめぇ言ったな?元に戻す方法は無い、ってよ。んな手に引っかかるかよ――――覚悟しな」 震える指先が横の棚を指す。それに気を取られ、一瞬、悟浄の気が妖怪からそれた。その僅かな隙に、伸ばされた妖怪の長い爪が悟浄の胸を貫く。 「くっ‥‥こ‥‥の!」
ごき。
短く鈍い音が響き――――、老妖怪は動かなくなった。
自分に覆い被さるように倒れこんでいる妖怪の死骸を振り払い、悟浄はのろのろと首だけを巡らせた。 『逃げるな』 不意に、ついさっき聞いたばかりの声がどこからか聞こえてきた。 『逃げるな、悟浄』 けどよ、三蔵―――。
ふと、視線の先に捕らえたのは、ふらつきながら必死に歩く一羽の鳥。長い間術により束縛されてきた身体が上手く動かせないのだろう、よたよたと数歩進んではバランスを崩して、転ぶ。だが、迷わずに、躊躇わずに―――ようやく転がる杖の先端まで辿り着くと、切なくなるような微かな声で、その鳥は一声だけ、鳴いた。
―――――いつの間にか、悟浄の視界は滲んでいた。
心を語る言葉も持たず、抱きしめ合う腕も持たずないこの小さな鳥たちですら、心を通わせることができるというのに。引き離され、姿すら変えられ、触れ合うことすら許されなくなってもなお、たったひとつの魂を求め続ける強さを持つというのに。 どうして、離れられると思ったのだろう。 三蔵は選んでくれたのに。何もかも失くした上で、俺を見つけてくれたのに。
三蔵に会いたい、と思った。
今頃になって痛覚が甦ってきたのか、身体の奥底が鈍く痛んだ。ただ、それが傷による痛みなのか心の痛みなのかは分からなかった。 嫌だ、このまま終わりたくない。 『気付くのが遅ぇんだよ、ばーか』 勝ち誇った顔で見下ろしてくる誰かの顔が浮かんできて、悟浄は苦笑しながら目を閉じた。小さく呟かれた名は、光の幻覚を伴って悟浄を眠りに誘う。
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すでにコメントする気力もないです…。駄目駄目ですね、この展開は…(号泣)