All or Nothing(25)

「ふん‥‥小生意気な餓鬼共めが。今に見ておれ‥‥!」

妖怪が、痛む体を引き摺るようにして自分のねぐらに戻ってきた。既に周りには結界を張り巡らす『スイッチ』を入れてある。ここに入れば、安全だ。そんな過信が、妖怪の判断を鈍らせていた。

不意に耳に届いた鎖の掏れるような音に、無意識に身体が反応する。咄嗟の反応にも避けきれず、右腕に鋭い痛みが走っていた。

「まーた避けられたか。ったく、すばしっこいジジイだぜ」

驚愕の視線を向けた先から、のそりと姿を現したのは、見覚えのある紅い髪の男――――悟浄だった。
思いも寄らなかった男の登場に、老妖怪は思わず瞠目した。

「待ってたぜぇ‥‥てめぇにもう一度会える時をな」

紅い瞳に殺気をみなぎらせ、悟浄は不敵な笑みを浮かべている。

「どうやって此処に‥‥?結界が‥‥」

血の滴る右腕を押さえつつ、妖怪が唸る。
油断していたとはいえ、何故気がつかなかったのか。男が咥える煙草からは、独特の匂いすらしているというのに。
悟浄はいかにも腑に落ちないといった様子の妖怪に、僅かに目を眇めて見せた。

「まあ、結界つっても色んな種類があるよな?術系とか念系とか。内側から張るのとか、外から覆うのとか。何にせよ内側から張ってあるタイプって、自分が外に出る時には、9割9分切るんだよなぁ」

――――妖怪を確実に捕まえるには、結界の中に入り、逃げ道を塞ぐしかない。

それが、悟浄の出した結論だった。

ただでさえ、町の人々はここには近付かない。近付く可能性があるのは、三蔵一行だけだった。したがって、当の三蔵たちが老妖怪と対峙せざるを得ない以上、結界がなくとも山に侵入する者など誰もいないと普通なら考える。
妖怪も、そう考えて油断する筈だと、悟浄は考えたのだ。

果たして悟浄の思惑通り、この山の麓に到着したときには、あれだけ悟浄を拒んでいた結界はどこにも存在しなかった。

「――――成程の。それで先ほどの戦闘には参加してなかったという訳かの。頭脳労働が得手とは思えんが」
「ほっとけよ」

本当は、三蔵の事が気がかりで仕方がなかった。直ぐにでも駆けつけて、共に闘いたかった。だが、耐えた。確実に、妖怪と対峙するために。

「悲鳴が聞こえたから、急いでここに走っちまった。いくらアンタが強いっつっても、八戒と悟空の二人が相手じゃ、そう易々とは三蔵を手に入れる事はできねぇ。あいつらは、一人でも俺の倍は働くしな」
「お主もそう捨てたものではないと思うがの」

そりゃどうも、と悟浄は短くなった煙草を弾き飛ばした。

「それに少しでもヤバくなったら、結界の中に逃げ込めばいいワケだし?ここに入っちまわれて結界張られりゃ、悔しいけど俺らにはどうする事もできねぇからな」

据わった目で妖怪をねめつけながら、悟浄が一歩、また一歩と足を進める。いっそ凄惨なほどの笑みを、その口元に浮かべながら。

「絶対、尻尾巻いて逃げてくると思ってたぜ、クソジジイ」

足元の土がじゃり、と鳴った。

「付け上がるでないわ、若造が――」

怒気を露に戦闘態勢に入ろうとした老妖怪だったが、悟浄はそれ以上近付こうとはしなかった。悟浄が足を止めたのは、大掛かりな装置のついた小さな鳥かごの前。鳥かごの中にはどんな術を掛けられたものか、微動だにしない小さな鳥が蹲っている。

「面白れー仕掛けだよな、コレ。鳥に術かけて閉じ込めて、結界を張らせてんだ。すごいねーリモコンつき?あらまぁ凝ってるコト」

ある種の鳥は、自身の縄張りを激しく主張し、侵入者に対しては容赦ない攻撃を加える。その習性を装置により増幅させ、結界を張らせていたのだ。そして自身の出入りの時には結界を自由に操作していたのだろう。
ぽんぽん、と鳥かごを撫でるように叩く悟浄の口元が皮肉気に持ち上り、妖怪は戦慄を覚えた。

「――――やめ‥!」

制止も空しく、瞬時のうちに鳥かごを覆っていた装置の類は悟浄の手によって粉砕されていた。大きく歪み、転がった鳥かごの中から、ようやく自由を取り戻した一羽の鳥が、よろよろと歩み出てくる。これでもう、この山を覆う結界を作り出すことはできない筈だ。

「やりおったな‥‥小僧!」

老妖怪の怒りなど耳に届かないのか、よろめく鳥を見つめる悟浄はさらに何かを考えるように顎に手をやっている。

「それだけじゃねぇ‥‥。もうひとつ、この鳥の習性に付け込んでアンタは妙な仕掛けを作った‥‥」
「お喋りがすぎるわ!」

老妖怪の身体が跳ね、悟浄へと襲い掛かる。悟浄も錫杖を薙ぐように応戦するが、相変わらずの素早い動きに中々妖怪の足を止める事が出来ない。腕の傷などものともしないその動きには、敵ながら感嘆せざるを得なかった。

「二人がかりでもワシに手が出せなかったお主に、ワシが捕らえられるかの!?」
「あら、痛いところを‥っ!」

老妖怪の杖を錫杖で受け止めながら軽口で答える悟浄には、不思議と焦る表情が見られない。何とか杖を弾き飛ばし、次の攻撃に出る。が、蹴りを繰り出した足を逆に取られ、悟浄は地面に叩きつけられた。

しまった、と思う間もなかった。

「なんじゃ、口ほどにもないのぉ」

勝ち誇り、皺だらけの顔を歪めて老妖怪が醜く笑う。
その手の杖は、深々と悟浄の腹に突き刺さっていた。
 

 

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ちょいと無理やりな展開に。終わらせようとしてるのがバレバレ…!?(汗)
悟浄さん、ピーンチ!

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