All or Nothing(24)

「三蔵!貴方は来ないで!」
「ふざけんな!」

宿から飛び出した自分の姿を認めた八戒の制止に、三蔵は鋭い声を返した。

自分がされた事を倍にして返さなければ、とてもじゃないが気が済まない。記憶を失う前の自分でも、恐らくはそうする筈だと、三蔵は確信していた。
三蔵の手には、愛用の小銃があった。しっくりと手に馴染むその感触が、間違いなく自分の物だと三蔵の感覚に教えてくれる。その三蔵の姿を見て、八戒は説得を諦めたようだ。つ、と妖怪に向き直る。

「三蔵にかけた術を解きなさい」
「命令かの?人間にへつらう従者風情が」
「貴方の『捻じ曲げる』能力は一度かけたら捻じれっぱなしという訳ではないみたいですね。術が消えれば、捻じれは戻る。もう一度言います、三蔵の術を解いて、記憶を戻しなさい」
「前にも言うた筈じゃがの。術を解く方法など――――」
「嘘ですね」
「ほぉ?」
「貴方は解く術はないと仰いますが、それなら何故、僕たちが通ってきた森のすごろくは消えたんでしょう?貴方が死ねば消えるかどうかはともかく、少なくとも、生きたままで術を解く方法は存在する‥‥‥違いますか」

ほっほっ、と妖怪は笑った。

「しもうたの。もう用なしと思うて森の仕掛けは外したが‥‥‥ちと、早計じゃったかの」
「ごちゃごちゃ言ってねーで、教えろよっ!」

悟空の如意棒がしなり、空気を薙ぐ。ひらり、と老妖怪は後ろに飛びずさった。間髪入れず、八戒の気孔が炸裂する。辛うじてかわしたと思えば、鼻先を三蔵の放った銃弾が掠めていく。

「―――くっ!」

避ければ、そこには次の攻撃が待ち構えている。三人の息のあった攻撃に、流石の老妖怪も息を乱し始めた。

「こわっぱどもがっ!」

三蔵めがけ手にした杖を振りかぶったところへ、側面からの気孔の光に押し飛ばされた。咄嗟に術を張ったため直接的な手傷は負わなかった様子だが、それでも起き上がる動作は鈍くなる。僅かな隙を逃さず、悟空が拳を叩き込んだ。
 

ヒュ!
 

唸りを上げた悟空の拳は、老妖怪の顔面横を掠り、大地を穿った。

「次は外さねぇから。三蔵の記憶、戻せよ」

老妖怪の胸倉を掴み上げ、睨みつける黄金色の瞳が、僅かの容赦もない怒気に溢れている。
だが、絶対的不利な体制にある筈の老妖怪の口元に、余裕の笑みが浮かんだ。

「‥‥ならば、お主が代わるかの?」

――ヤバ‥!

 

悟空の背筋に冷たいものが走った瞬間、一発の銃声が響き渡った――――。

 

 

 

 

 

 

銃を発射したのは、三蔵だった。

それ自体は、不思議な事ではない。三蔵は武器として銃を手にしているのだから。だが、問題はそこではなく。

その弾道は寸分の狂いも無く、先程まで妖怪の頭が存在していた場所を通過し、地面にめり込んで止まっていた。危ういところで難を逃れた老妖怪は、悟空から少し離れた位置で腰を抜かしている。三蔵の行動は老妖怪にも意外だったのだろう、流石に呆然とした面持ちで石のように固まったままだ。
すんでのところで老妖怪を突き飛ばし、その命を救ったのは他ならぬ悟空だった。三蔵が些かの躊躇もなく妖怪の頭を狙っていると感覚で知り、咄嗟に行動したのだ。

術を解く前に妖怪を殺しては、元も子もなくなる。

「おい、三蔵!?」
「何考えてるんですか、貴方!?」

浴びせられる問いに無言で答え、三蔵は銃を下ろさないまま妖怪に近付いた。
額に突きつけられた銃と、見下ろす三蔵の瞳の冷ややかさに、老妖怪の顔を初めての焦りの色が掠める。だが、うろたえる様子を見せないのは流石だった。すぐに、余裕を取り戻したらしく、楽しげな笑みさえ浮かべて見せた。

「とうとう血迷ったかの。ワシを殺せばお主の記憶は戻らんのだぞ?」
「それがどうした」

「「三蔵!?」」

三蔵の台詞に驚いたのは、妖怪ではなく八戒と悟空だった。

「舐めてんじゃねぇよ、記憶があろうがなかろうが、俺は俺だ。―――てめぇなんぞに頼らなくても、自力で取り戻してみせてやるよ。記憶も、あいつもな」

三蔵の横顔からは強い意思が感じ取れて、今の発言が虚勢や自棄ではない事が窺い知れる。いや、そんな事よりも。

悟空と八戒は思わず顔を見合わせた。

『あいつ』というのが誰を指しているかは、言わなくても分かるけれど。今の言い方からすれば、それはまるで―――。

「俺は、何も失わねぇ。そうだな?」

悟空の顔が、ぱっと輝いた。
三蔵の記憶は未だ戻ってはいない。だが、ちゃんと大事なものを思い出したのだ。
例え、自分たちの事を忘れたままでも、三蔵法師ではなくなるとしても。
何よりも大切なものを手放さない限り、三蔵は大丈夫なのだから。自分たちの三蔵は、間違いなくここにいる彼なのだから。
思わず八戒の口元も緩みそうになった。だが、喜びに浸る前に、まだやるべき事がある。無理矢理に顔を引き締めて、妖怪へ一歩近付いた。

「いい加減に観念したらどうです?大人しく三蔵の記憶を戻せば、貴方の身柄はしかるべき所に引き渡すと約束します。そうでないなら、もう一つの可能性を試させて頂くまでです」

しかるべき所とは、三仏神へ裁きを委ねるという意味合いだろう。仏道の不殺生という教義からして、命を奪われる心配は無い筈だ。
そして、もう一つの可能性とは―――。妖怪が死ねば、三蔵の記憶も戻るかもしれないということ。

「どちらもごめんじゃな」

自分の命がかかっている事態を認識しているだろうに、何が可笑しいのか老妖怪は肩を震わせて笑っている。

「なら、俺が決めてやる。死んで後悔しろ」
「それは‥‥どうかの?」

やはり三蔵は躊躇わなかった。額に銃口を突きつけたままの状態で、無造作に引き金を引く。

だが、銃口が火を噴いた瞬間、老妖怪の姿は掻き消えた。
愕然とする三蔵たちの耳に、銃声が遠くでむなしく木霊した。
 

―――逃げられた!
 

血が沸騰するほどの怒りが、三蔵を包む。

「‥‥‥!!クソジジイがっ‥‥‥‥!」

噛み締めた唇から滲む血に、屈辱を感じる。
瞬時に姿を眩ませられる術があればこそ、あの妖怪は最後まで余裕を失わなかったのだ。
忌々しげに舌打ちする三蔵の元へ、八戒と悟空は歩み寄った。

「どうします?貴方が自力で記憶を取り戻すと仰るなら、無理にあの妖怪を追う必要もないとは思いますけど」
「記憶はともかく、やられっぱなしってのは性に合わん」
「良かったぁ。実は僕もなんですよね」

吐き捨てるような三蔵の台詞に、思わず八戒の口も滑らかになる。三蔵が悟浄を手放さないと知った今、怖いものなど何もない。妖怪への恨みは恨みとして無論倍返しとして、三蔵の精神的復活は素直に歓迎したい。
久し振りにいい気分だった。

「‥‥‥悟浄の奴、来なかったな‥‥」

悟空の呟きを聞くまでは。
 

 

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あれ?三蔵様が妖怪退治できなかった…。駄目じゃん…(汗)。

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