All or Nothing(23)

三蔵が目を覚ますと、そこは宿のベッドの上だった。

「気が付かれましたか、玄奘様」

脇の椅子には、麗華の姿。心配そうに三蔵の顔を覗き込んでいる。

「‥‥俺、は‥‥」
「悟浄さんがここまで運んで下さったんです。‥‥覚えてらっしゃいますか?」

言いにくそうに告げる麗華の表情は、どこか沈んでいる。

「‥‥奴は?」

ふるふると麗華は首を打ち振った。

「八戒さんと悟空さんが、探しに行かれました、けど‥‥‥」

その様子で、三蔵は悟浄が宿を出て行ったことを知った。恐らくは、もう二度と戻らないつもりなのだろう。
あの時。薄れゆく意識の片隅で、悟浄の謝罪を聞いた気がした。謝るぐらいなら、最初からやるなと言いたい。絶対に捕まえてぶん殴ってやる、と三蔵は決意した。

「玄奘様、まだ‥‥!」

ベッドから身体を起こそうとする三蔵の様子に、麗華は焦った声を出す。だが、三蔵は一刻も早く悟浄を追いかけたかった。頭の痛みは未だに消えず、漬物石でも乗せられているような不快な違和感が常に拭えない。
だが例え、悟浄を追いかけることにより、この痛みが増すのだと判っていても、じっとしてはいられなかった。

追わなければならない。俺は、あいつを。

ふと、三蔵は隣の女性の視線に気付く。麗華が、優しい光をその目に湛え、穏やかな表情で三蔵を見詰めていた。

「‥‥すまない」

彼女の気持ちを、知っていた。

期待を持たせたつもりはないが、はっきりとした拒絶も示した覚えがない。
記憶を失くした焦燥の日々の中で、彼女を気遣う余裕など、正直三蔵からは失われていた。つい先程も、ただ己の感情を確認するためだけに、芝居を頼んだ。自分が居なくなったと騒いで欲しい、と。
麗華は何も聞かず、ただ黙って頷いただけだったが、聡明な彼女は、その芝居が何を意図したものかは正確に察しているに違いない。どんな気持ちで、彼女はそれを承諾したのだろう。

「すまない」

心からの謝罪を込めて、三蔵は再び呟くと頭を垂れた。
麗華は、穏やかな表情のまま軽く目を伏せて三蔵の言葉を聞いていたが、すぐに目を上げると真っ直ぐに三蔵の瞳を見据えた。その顔は、やはり穏やかに笑んでいる。

「いいえ。謝るのは、私の方です。玄奘様‥‥いえ、三蔵様」

それは、凛とした声だった。

「私、三蔵様と悟浄さんの事、何となく気付いておりました」
「!」
「貴方が記憶を奪われた時の悟浄さん、怖かった。あんなに優しい人なのに。‥‥‥けど、それからは全然貴方に近付かなくなって‥‥‥、でもいつも遠くから貴方だけを見て」
「‥‥‥」
「――――ズルい人ですよね。あんなに貴方の事しか考えてないって見せ付けられたら、何も言えないじゃないですか」

でも貴方にだけは必死で見せないようにしてたの知ってました?と微笑んで、麗華は窓の外に目をやった。柔らかな光が、そこから差し込んでいる。

「私も探さなくちゃ。悟浄さんみたいに、ひたむきに‥‥‥一途に愛せる人を」
「‥‥‥麗華」
「三蔵様よりずっと素敵な人、見つけちゃいますから!三蔵様はしっかりあの人を捕まえなきゃ駄目ですよ!」

びし!と三蔵の目の前に人差し指を突きつけて、屈託のない笑顔で麗華は笑った。心では涙しているだろう彼女の、精一杯の強がり。そんなところが何となく、奴に似ているかもしれないと三蔵は思う。

「約束する」

麗華の想いを受け止めて、三蔵は目を逸らさずしっかりと頷いた。花が開いたような、麗華の笑顔。その笑顔を、三蔵もまた心から、美しいと思った。

 

「とりあえず、あの馬鹿を探してくる」
「悟浄さんが見つかったら、真っ先に報せて下さいね」

ベッドから降りる三蔵を送り出す麗華の声には、一片の暗さもない。それを好ましく感じた三蔵だったが、突然、弾かれたように窓の方向に目をやった。

宿の外で耳をつんざくような女の悲鳴が上がったのは、それとほぼ同時だった。

 

 

麗華に部屋から出ないよう指示して、三蔵は悲鳴の上がった場所へと向かう。そこに何が待ち受けているのか考えるまでも無い。自分の記憶を奪い去った張本人がいる筈だ。
建物から走り出た三蔵の目に飛び込んできたのは、庭の隅で腰を抜かしている宿の女将、そして八戒と悟空の後姿と、その視線の先にいる年老いた妖怪。

――――こいつが!俺の記憶を消した―――――。

「ほうほう。ようやくお出ましかの。何じゃ、案外元気そうじゃのぅ」

この騒動の元凶は、年をとってもこんな年寄りにはなりたくないと思わせる、底意地の悪い笑みで、笑った。
 

 

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ようやく妖怪ジジイ再登場です。…皆さん、忘れてた?

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