All or Nothing(21)

「こんな所で隠れて煙草たぁ、てめぇは中坊かっつー‥‥」

大木に寄りかかり、ひとり煙草をふかしていた三蔵は、不意に聞こえた声にも動じることなく、声の方向に目を向けることもしなかった。
そんな態度は予想済みの悟浄は、皮肉気に口元を吊り上げたまま三蔵の元に歩み寄る。
三蔵はすっかり忘れているだろう、この場所。宿の裏手に植えられたこの樹に寄りかかって、あの日も三蔵は煙草を吸っていた。
もしあの日、妖怪の気配を無視していたら。今もまだ三蔵の腕は、自分のために伸ばされていただろうか。
そんな埒のないことを考えてしまう自分が、悟浄は嫌だった。

「おとーさんが行方不明だ、っつーてサルが騒いでっぞ。宿の外まで聞こえたぜ?」
「‥‥‥誰が親父だ」
「とにかく中に入れよ。分かってんだろ、妖怪に狙われてんだよ、アンタ。頼むから大人しくしといてくれよ。まったく、少しは振り回されるこっちの身になれっての」

三蔵がいないという悟空の焦った叫びと麗華の悲鳴を聞きつけて、悟浄の心臓は一瞬凍った。三蔵がよもや妖怪の手に落ちたのではないかと、焦燥に肝を冷やした。だから、木の下で紫煙を燻らす姿を見つけたとき、心の底から安堵した。本当に、ほっとしたのだ。

「麗華も心配してんだろ。煙草は部屋で吸うこったな」

殊更に冷たい口調で言い放つと、ほれ、と顎で宿に戻れと指し示す。だが三蔵は、やはり動こうとはせず新たな煙草を取り出した。

「‥‥おい。いい加減に‥‥」
「誰も心配なんざしてねぇよ」

脅し半分に凄みを滲ませた悟浄の言葉を、あっさりと三蔵は遮る。

「お前ねぇ、そーゆー態度、」

以前から自分勝手な態度は日常茶飯事だった三蔵だったが、それでも他人の心配を無下にするような男ではなかった。『頼んでねぇよ』と悪態を吐きながらも、心の中ではちゃんと理解していて。性格は変わっていないと思ったのに、記憶と共にそんな部分まで失ってしまったのかと悟浄は多少の物悲しさを覚える。
だが、三蔵は悟浄の咎めるような口調を気にした様子もなく、煙草を地面に落とし踏みにじって火を消した。そこでようやく、三蔵の視線が悟浄に向けられる。
 

「そうじゃねぇよ」
「何が」

自分に向けられた真っ直ぐな視線に、悟浄の方がたじろいだ。三蔵が記憶を失ってから初めて、警戒も嫌悪も含まれていない紫を見たような気がした。

「俺が連中に頼んだんだ。俺がいなくなったと大声で騒げ、ってな」

悟浄にはすぐに三蔵の言葉を理解することが出来なかった。
三蔵の発した音が耳から振動として脳内へ伝わり、意味のある言葉に変換されるまでの時間が、とてつもなく長かったように思われる。
それでもようやく三蔵の台詞を咀嚼した悟浄だったが、笑みを浮かべることも忘れ、呆然と立ち尽くすだけだった。

「‥‥なんの、‥‥ために――?」
声が、震える。

「確かめたいことがあった」

やっとのことで発した問いに、すぐさま返される答え。
この場で動転しているのは自分だけなのだ、と悟浄は思い知る。

道理であれだけ騒いでいた悟空たちも宿を飛び出す気配がない筈だ。何の冗談のつもりかは知らないが、みんなして悟浄を嵌めるのに協力したらしい。
頼まれもしないのに三蔵の身を案じ、ひとりで慌てふためいた自分の姿は、三蔵の目にはさぞ滑稽に映ったことだろう。

一瞬で、顔に血が上る。
三蔵が何を確認したのか、悟浄には分かってしまったからだ。

想いだ。いつまでも捨てきれない、悟浄の三蔵への想い。

 

「‥‥それで?満足したかよ?俺が泡食って飛んでくる姿、見物して」

自らへの嘲笑で顔を歪ませて、悟浄は三蔵から視線を外す。次の三蔵の言葉に取り乱すわけにはいかない。だがこれ以上三蔵の目を見続ける事は出来なかった。
恐らく三蔵は、悟浄が自分に向ける感情に耐えられなくなったのだろう。出来るだけ近付かないようにしていたつもりだったが、聡い三蔵は僅かな視線すらも敏感に感じ取っていたに違いない。

もう自分を見るなと言うだろうか。
同じ空気を吸いたくないと告げられるだろうか。

とうに覚悟は決めていた筈なのに、いざその瞬間を迎えると足が震えそうになるものだと悟浄は他人事のように思う。全ての感覚がどこか遠くに行ってしまったようだった。
せめて引導を三蔵本人から渡されるのが、せめてもの救いなのかもしれない。これで八戒あたりに伝言でも託された日には、恥も外聞もなく泣き出しそうだ。

――――時間切れ、か。

せめて、妖怪ともう一度対峙するまでは側に、と願ったが、それすらも叶わぬ夢だったらしい。悟浄はひとつ大きなため息を吐き出すと、三蔵の言葉を待った。

 

 

沈黙の時が流れる。

 

だが、三蔵からは何の言葉も発せられない。

「‥‥‥‥?」

不審に思った悟浄が恐る恐る三蔵に目を向けると。
三蔵が自らの髪を鷲掴むようにして頭を抱え込んでいる。その苦悶の表情に、咄嗟に手を伸ばしかけた悟浄だったが、持てる忍耐力全てを駆使してその手を止めた。代わりに口を吐くのは、愛想の欠片も無い台詞。

「‥‥バッカじゃねぇの」

自分が側に居れば、頭痛を覚えるのは判りきっていることなのに。わざわざ、手の込んだ真似をしてまで呼びつけるなんて。

「こ、でもしねぇと‥‥、逃げるだろ‥‥が、貴様‥‥」

切れ切れの言葉に、麻痺した筈の感情が痛みを訴えてくる。そこまでして、直接自分に最後通牒を突きつけたかったという訳か。

「――――八戒、呼んでくるわ」

決めた筈の覚悟が、実際は何の役にも立たないことを悟浄は知った。
痛い。三蔵を失うことが、こんなにも痛い。
もう十分だから。分ったから。お前が俺を必要としなくなったのは、もう知ってるから。逃げ出したい。この場から、消えたい。三蔵を苦しめる自分の存在を、消し去りたい――――。
逃げるように踵を返した悟浄の腕を、強い力が引き止めた。

「行、くな」

痛む頭を抑えながらも強い光を放つ紫電に絡めとられ、悟浄は一歩も動けなかった。
 

 

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三蔵様、目覚めの気配…かも?

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