All or Nothing(15)

眠りにつくために二人の来訪者を部屋から追い出したはずの三蔵だったが、全く寝つけない。先程の二人が見せた妙に悲し気な表情と、薄っぺらな笑みをその顔に張り付けた男の顔が交互に浮かんできて、眠るどころではなかった。おまけに、じっと横になっていると、自分が何者かわからない焦燥が、嫌でも押し寄せてくる。
無意味に時間だけが過ぎる中、三蔵の不機嫌は最高潮に達していた。

「ちっ」

がばりと跳ね起きると、窓枠を乗り越えて外へ出た。幸いにも、最近降り続いていた雨は止んでいる。戸口から堂々と出ていこうかとも思ったが、見つかれば煩い連中もいる。多少辛いが、体を動かしていた方がまだましだ。どうしても外の空気が吸いたい気分だった。
宿の庭を抜け、通りへと向かう。

雨上がりのひんやりとした気温が心地いい。
今まで、体調がすぐれない事もあり、ほとんど部屋の中で過ごしていた三蔵にとっては、思いの他いい気分転換になったようだ。僅かばかりではあったが、鬱積した苛々も和らいだ気がする。
通りを歩きながら、煙草に火を付けた。吸っていたと教えられ、口にしてみてからは手放せなくなっていた。
紫煙を吸い込み歩き出したその先に、ほんの少しだけ上昇した気分を、見事にぶち壊す出来事が三蔵を待っていた。

 

 

「誰かと思えば‥‥‥この間の色男じゃねぇか」

それは、三蔵と悟浄が宿に到着した日、麗華にからんで三蔵達に痛い目にあわされた、あの男達の片割れだった。もっとも、三蔵は覚えていないのだが。

「聞いたぜ、あんた偉い坊主だって?それが妖怪にやられて記憶を無くしたって話じゃねぇか。俺の事も忘れちまったってか?」

三蔵は眉を潜めた。勿論見覚えがあるわけではないが、どうやら好意をもたれている相手でも無さそうである。男の目配せを受けて、数人の男達が三蔵の周りを取り囲む。

「でも、俺は覚えてるんだよなぁ。悪ぃがあの時のお返しをさせて貰うぜ。今度はあの紅い髪の兄ちゃんもいやがらねぇし、坊主らしく念仏でも唱えて観念するんだな」

男が言葉を終えるか否かのうちに、殴り掛かってくる男達。三蔵は鬱陶しげに身をかわしながら、反射的に何かを探るように自分の脇辺りに手をやっていた。それが愛用の小銃を探す仕種だという事に自分では気付かないままに。
残念ながら、今は法衣すら身に纏っておらず、無論小銃も携行してはいなかったため、それが不自然だとも感じる暇もなかったが、三蔵は襲い掛かる男達を淡々と殴り飛ばしていった。

(思い出させやがって!)

先ほど男が口にした『紅い髪』が誰を指すかは明白で、三蔵の眉間に皺が寄る。
追い払おうとしても、一度浮かんだ『紅い髪』を持つ男のイメージはなかなか消えてはくれない。おまけに、何故かそのイメージの中の男は、物悲しい顔をしていた。まるで今にも泣き出しそうな、幾分幼さを感じさせる表情。
そんな顔を見たことは無い筈なのに。

(――――ッ!)

不意に襲う猛烈な頭痛、に三蔵の足下がぐらついた。思わず、動きを止めて頭を押さえる。
その好機を男が見逃す筈もなく、突進され押さえ込まれてしまう。気が付けば三蔵は男に組み敷かれていた。

「‥‥へー。アンタよく見りゃ、キレーな顔してんじゃねぇか」

男の声音に嫌なものが含まれる。
三蔵は、必死で男を撥ね除けようとしたが、頭痛のせいかうまく力が入らない。そのうちに殴り倒したほかの連中も起き上がり、数人がかりで押さえつけられる格好になった。両手を頭の上でひとまとめに封じられ、身動きが取れない。
これから何をされるのかは容易に想像が付いた。さらに頭痛が酷くなる。
身体のラインを撫で上げられ、猛烈な吐き気を催す。それが男への嫌悪によるものなのか、頭痛によるものなのかは分からなかった。
男の顔が近付く。
必死にもがくが、押さえ付けられた手足は動かせない。下卑た笑いが男達の口から漏れる。乱暴に、シャツが引き裂かれた。露になった肌に降り注ぐのは男たちの刺す様な視線と、再び落ち始めた、雨。

「ナンか‥‥結構色っぽいな‥‥」
誰かの、唾を飲み込む音がした。

 

冗談じゃねぇ!
 

三蔵は、ぎりぎりと歯を食いしばった。―――と。

 

のしかかっていた男の体が、突然吹き飛んだ。

 

 

 

 

「やっぱあの時、勘弁しなきゃよかったなぁ」

どこかのんびりと、間延びさえしていると思わせる声と共に、一人の男がそこに立っていた。あまりにも緊迫感の無いその様子に、三蔵を押さえ込んでいた男たちは、仲間が蹴り飛ばされたのだという事実に気付くのが遅れてしまった。
 

「ああ、ごめんごめん。お楽しみの邪魔しちゃってさ」

まるで、待ち合わせに遅れて女に詫びるように。
 

「雨もまた降り始めちまったし、お宅たちも濡れるの嫌でショ?さっさと片そーぜ」

まるで、遊びに夢中になった子供たちを諌めるように。
 

笑みさえ浮かべる男の口調は軽い物の筈なのに、どうして身体を動かす事ができないのか。
男たちが、三蔵から手を離す事も出来ず固まっていると、男はゆっくりと煙草を取り出し、火を点けた。雨を避け、手で覆うようにして灯す火に照らし出された男の瞳は、その炎よりも、紅い。
一つ大きく煙を吐き出すと、男の顔からは笑みが消えていた。

「‥‥で?誰から死にたい?」

ひっ、と男たちは息を飲んだ。
本気だ。本気で殺される。
わざとかどうか不明だが、のんびりとした口調に却って得体の知れない恐怖を掻き立てられる。先程三蔵に圧し掛かっていた男は、壁に叩きつけられ、ピクリとも動かない。もしかすれば、もう絶命しているのかもしれなかった。
このままでは、自分たちも同じ運命だ。

「わ、悪かった、勘弁してくれ‥‥!」

男たちは三蔵を押さえつけていた腕を放し、腰を抜かしたままずるずると後ずさった。

「遅ぇって」

三蔵が、ようやく自由になった体を起こし立ち上がる。男たちの視線を遮るかのように、悟浄はゆっくりと三蔵の前に出た。

「だらしねーんじゃねーの?三蔵様。こんな連中にいいよーにされちゃってさ」

恐怖にガタガタと震える男たちから目を離す事無く、あくまでも軽い口調で揶揄されて、三蔵の機嫌が悪化する。

「るせぇ‥‥今から倍返しするとこだったんだよ。邪魔すんな」
「可愛くないねー。せっかく見かねて助けてあげたっつーのに」
「誰も頼んでねぇ」
「ホントに‥‥ちっとも変わってねーのな。そーゆートコは」

クッ、と広い肩が笑いに揺れた。紅い髪が微かに流れる様子に、何故だか目を奪われる。いや、目が離せないと言っていい。苦しいほどに、目がそれを欲している。

「変わってねーのにな‥‥」

悟浄がぽつりと、呟いた。
それは、危うく聞き逃しそうになる程の、ほんの小さな呟きだった。恐らくは、悟浄自身も声が漏れていた事に気が付かないほどに。

(また、だ‥‥)

三蔵には、自分に背を向けているこの男が、泣きそうな顔をしている筈だと思えて仕方なかった。いつかと、同じように。
記憶を失くしたのだと告げられた朝、こいつが女にやたらと優しく接するのを見て何故だか無性に苛立ちを覚えた。二人を見るのも嫌で、故意に視線を外した自分にも苛ついた。
どうして、あんなに不快だと思ったのかは分からないままだ。

あの時。俺は何と言った?

『お前は、俺の一番嫌いなタイプの男だ』
 

忘れていた嘔吐感と頭痛が、手に手を取って戻ってくる。

あの金の瞳のチビ猿は、悲しげな顔で何と言っていた?

『こんなの変だよ』

分からない。何もかも。ただ痛むだけだ。この頭以上に、胸の奥のどこかが。

ガンガンと頭をハンマーで殴られるような頭痛の中でさえ、目の前に広がる長く伸ばされた紅い髪から目が離せないのは何故なのか。
三蔵は、無性にそれに触れたくなって手を伸ばした――――。
 

 

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これって、進んでいるのかいないのか微妙…。

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