All or Nothing(14)

三蔵に部屋を追い出され、途方に暮れる二人にかけられた聞き慣れた声。振り向くと、悟浄がそこに立っていた。

「三蔵は?」
「もう休むって―――。それで、どうだった?」

悟空の言葉に、悟浄は静かにかぶりを振った。

「そっか‥‥」
この町には寺が無い。当然、僧侶もいる筈が無い。だが、黙って手を拱いている訳にもいかず、悟浄は妖怪の術を破る手掛かりを探しに町へ出かけていたのだった。

「坊主もいねぇし、文献もありゃしねぇ。あの妖怪の術を解く方法は、やっぱり奴に直接聞くしかねぇみてぇだな」

一日中歩き回ったのだろう。髪をかき上げる悟浄の顔には疲労の色が滲み出ていた。

「せめて、あの結界が破れりゃあな‥‥。このままあのクソじじいに結界の中でだんまりを決め込まれりゃあ、打つ手なしだぜ」
「その事なんですが。貴方に聞いたその妖怪の言動からして、このまま三蔵を放っておくとは考えにくいと思います。必ず、三蔵の元に自分の実験の『成果』を確かめに来る筈です。―――その時が」
「勝負って事か」

八戒の頷きに、緊張が走る。

「今日はお疲れ様でした。明日は、僕が調べに出ます。貴方は悟空と一緒に、三蔵の方をお願いします」

だが、八戒の言葉に悟浄は頷かなかった。

「いや‥‥俺が出る。三蔵の側にはお前がいろ。俺がいると、アイツ苛付くみてぇだし。治るもんも治らなくなっちまうだろ」
「‥‥悟浄」
「それに、あの妖怪の素早い動きには、悟空のスピードとお前の気孔での広範囲への攻撃が効果的だと思う。いざという時、三蔵を守ってやってくれ」

冷静な言葉が悟浄の口から紡がれる。
いつもなら、『らしくない』と笑う所だが、今はその判断に異を唱える箇所は見当たらず、八戒は黙って頷いた。

「‥‥‥妖怪を倒したら、三蔵の記憶も戻るかな」
悟空は不安気に視線を床に這わせている。

「その可能性は捨て切れません。保身のために妖怪が嘘をついているという事も十分ありえますから」
「お前にしちゃ珍しく、楽観的だな」
「おかげ様で色々と感化してくださる方に恵まれまして―――」
「あら、ソレ褒めてんの?」

事実、これ以上悲観しても埒も無い。八戒が大袈裟に両手を広げて見せると、悟浄も口元を引き上げた。だが。
オブラートに包まれたような、もどかしい会話。核心に触れる事を避けている二人が、悟空には堪らなく感じた。
どうしても話さなくてはならない事があるというのに。このまま三蔵と悟浄が離れて、何事もないなどとは思えなかった。何かは分からないが、嫌な予感がする。

「なあ、悟浄。やっぱお前、三蔵に‥‥‥」
「ん?」

八戒との会話に割り込んだ悟空に、悟浄は穏やかに笑みを向けた。最近見せる事の減っていた薄っぺらな笑みの奥にあるものは、頑とした―――拒絶。

「え、と‥‥‥」

その笑みに悟空は胸を突かれた。行き場を失った言葉が、ぐるぐると胸の内でわだかまる。八戒は、そんな二人の様子を沈痛な面持ちで見つめていた。
久し振りに見る、悟浄の空っぽの微笑。
誰にも近付く事を許さず、誰にも近付く事も無く。曖昧な笑みのベールを纏い、本心を覗かせない。

元に戻ってしまった、何もかも。
出会った頃の、この人に。
独りきりで生きるために、周りのものから目を背けていた、あの頃に。
欲しいものに手を伸ばす事を自身に禁じていた、あの頃に。

「あの‥‥これからの事を話しておいた方が良いと思うんですけど」

言葉を出せないでいる悟空に代わり、八戒が後を引き取った。

「そ、だな。でもまた明日にしようぜ。お前らここに着いてからロクに休んでねーだろ?そんなんじゃ、いい知恵も浮かばないし、な?」

さらりと空気のように流して会話を打ち切ろうとする姿に、八戒は悟浄の内心の苦悩を知った。一人にして欲しいと言う事すら出来ず、ただ笑う悟浄に掛ける言葉がない。

「‥‥わかりました――――お休みなさい」
「お休み、悟浄」

二人には、それしか言えなかった。

「オヤスミ」

 

去っていく悟浄の後ろ姿を見ながら、八戒は、激しい自責の念に駆られていた。
三蔵の神経に余計な負担を掛けたくはないという悟浄の言葉に、つい頷いてしまったのはほんの数日前。
だがそれは、とりもなおさず三蔵にとって悟浄との関係がマイナスであると、自分達までも認めてしまった事になったのだ。混乱していたとはいえ、迂闊だった。

三蔵に真実を告げる事が出来れば、と思わずにはいられない。
悟浄だけではないのだと。貴方も悟浄を求めていたのだと。出来るなら取って返して三蔵に言ってやりたい。
――――もし先程の三蔵の姿さえ見ていなければ。

悟浄の話題を持ち出した途端、激しい頭痛に見舞われていた三蔵の姿が思い浮かぶ。
あの様子では例え真実を告げたところで、三蔵の精神がその衝撃に耐えられるかどうか。耐えられたとして、悟浄との関係を受け入れる事ができるのかどうか。

既に三蔵は負の印象を悟浄に抱いてしまっている。

今更他人に何を言われたところで、感情が伴わなければ何の意味もない。三蔵が自分で気付かなければ、無駄なのだ。

三蔵をこんな目にあわせた妖怪のねぐらのある山には、既に案内された。その結界は強固で、下手に突入すると命に関わるであろう仕掛けが施されていると、八戒は見抜いていた。
待つしかない。妖怪が、向こうから姿を現すのを。
 

「八戒‥‥」

八戒の思考を引き戻したのは、隣で佇む少年だった。

「どうにかなんねぇの?せめて悟浄が三蔵の側に居ても大丈夫なようにさ‥‥。ちょっとずつでもいいからさ、一緒に居て慣らしてくとかさ。このままじゃ、三蔵も、悟浄も‥‥!」

拳をきつく握り締め、涙を堪えるように歯を食いしばる姿に、八戒の胸が痛む。

「さっきの三蔵‥‥見たでしょう?悟浄の話をしただけで、頭に負担がかかってる。今は、無理です」
「じゃあ、ずっとこのまま‥‥!?」

食い下がる悟空に、八戒は穏やかな口調で、だがきっぱりと言い切った。

「誰もこのままになんて、しませんよ。そうでしょう?」

それは、悟空にではなく自分に言い聞かせた言葉だったのかもしれない。
ごしごしと目を拭い、うん、と力強く頷く悟空の頭を撫でながら、八戒は内心途方に暮れていた。
 

三蔵の記憶さえ、戻ってくれれば――――。
埒も無い事とは知りながら、そう願わずにいられなかった。
 

 

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真実までには、まだ遠い道のり。

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