All or Nothing(12)

ここは、まだ妖怪の仕掛けた術の中なのだろうか?

八戒はそう思わずにいられなかった。
幻術の中なら、まだ納得できる。三蔵の態度も、夢だと思える。
ありえない。ありえない。ありえない。
三蔵が悟浄にあんな事を言うなんて―――――。
 

森の中で三蔵と別れ際に交わした言葉を今も覚えている。

『二人きりだと思って、悟浄に妙なちょっかいを出さないでくださいね』

あれは、三蔵に悟浄を意識させるためにわざと告げた台詞だった。
ここしばらく、野営が続いて二人が触れ合っていないこと。口にも態度にも出さないが、二人とも物足りなく思っていること。互いの疲労を気遣って、却って微妙にすれ違いを生んでいること。

それが分かっていたから、三蔵をたきつけるような真似をしたのだ。
自分たちの視線も憚らず不埒な振る舞いを繰り広げられるのは困るが、滅多にない二人きりの機会を有効に使ってもらいたいという、不器用な二人への八戒なりの親心(?)であった。だから、きっと二人は楽しい休日を過ごしただろうと思っていたのだ。

相変わらず悪態を吐きながら。それでも二人を取り巻く空気はどこか軟らかくて。
そんなくすぐったい光景を想像して、ドアを開けた筈だった。
 

だが―――八戒の予想は覆された。
 

八戒と悟空が宿に到着したのは三蔵たちに遅れて僅か二日目の事。連れの様子を尋ねた八戒に、主人は「会えば分かる」と曖昧に言葉を濁した。

そして、部屋の扉を開けてみればいきなり響いた三蔵の怒号。
 

『二度と俺に触れるんじゃねぇ!気色悪ぃんだよ、下衆が!』

 

―――――ありえない言葉に、耳を疑った。

 

 

 

「あーあ、ドジっちまった。気ィ付けてたつもりだったケド、やっぱ駄目だねぇ」

事情を説明しろと詰め寄る八戒と悟空を、悟浄は庭まで引き摺ってきた。

「お前ら、思ったより早かったでないの」
「何故だか分からないんですけど、途中で術が消えたんですよ。本当に突然に。そしたら案外小さな森で‥‥‥」
「次の実験に入って、飽きたんだろ」
「‥‥実験?」

悟浄と八戒の会話に焦れたのか、悟空が大声で割り込んできた。

「さっさと説明しろよっ!三蔵はどうしちまったんだよっ!?それに、お前のその怪我だって!」
「‥‥俺は掠り傷なんだけど、よ」

ほう、とため息をひとつつき、顔に血を上らせ興奮する悟空を宥めながら、悟浄は簡潔に事情を説明した。二人の顔が、見る見る青ざめる。
特に悟空は、震え出さんばかりに動揺した。

「じゃあ、三蔵は‥‥!みんな忘れちまったのかよっ!?俺の事も!?」
「ああ、綺麗さっぱり、な」
「そんな!‥‥三蔵っ!」
「ちょっと待て、悟空!」

駆け出そうとする悟空を、悟浄は鋭い声で制止した。

「俺との事は、三蔵には言うな」
「え?」

それが何を指すのか理解できなかった悟空は、正直に首を捻る。

「三蔵には、一応の事情は説明してあるけどな。俺はあくまでも只の旅の同行者‥‥ってか、三蔵様の追っかけ、っつーことにしとけ。分かったな?」
「何故、です?」

八戒が、ショックで混乱する頭を無理に立て直して問いかける。

「妖怪が言ってたんだよ。無理に思い出させるような真似はやめておいた方がいいってよ。確かに、強い刺激を与えると、術が神経にどういう影響を及ぼすか知れたもんじゃねーからな。さっきの見ただろ?今の奴には俺との関係はキツすぎる。ま、半分はバレちまったけど‥‥まだ俺の片想いっつー方が、実は男とデキてましたってよかマシだろ」
「悟浄‥‥」
「ばーか、大丈夫だって。どーせ直に元に戻るさ。したらウゼぇぐらいイチャついてやっからよ」

痛々しい、と八戒は思った。
確かに顔は笑っている筈なのに、悟浄の目は少しも笑ってはいない。

「けど、悟浄‥‥」
「三蔵が、ぶっ壊れちまってもいいのか?」

悟空の戸惑いを隠さない反論を、悟浄は途中で遮った。その言葉に悟空はぶんぶんと頭を振る。

「なら、黙ってろ。お前も自分の事忘れられたからって、あんまり無理に思い出させようとすんなよ。‥‥八戒も、いいな?」

「うん‥‥‥」

しょんぼりと頷く悟空の頭を慰めるようにくしゃくしゃとかき混ぜながら、悟浄は八戒に同意を求めた。だが八戒は返事を躊躇った。確かに、彼の言う事は尤もだ――――けれど。

「八戒」

穏やかな口調で念を押され、八戒はやむなく首肯した。八戒にも、どうすればいいのか分からなかった。
 

 

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大切な人に忘れられてしまったら。
きっと冷静な判断なんて誰にも出来ない。
皆きっと、自分の感情を抑えるのに精一杯だから。

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