All or Nothing(11)
「あー、腹減ったぁ。結局何だったんだよ、この森!ムカつくなぁ!」 散々足止めをくらった森をようやく抜け、ぶぅぶぅ文句を垂れながら歩く少年と苦笑いを返す青年の二人連れ。 今頃アイツらどうしてんだろ、と悟空が久し振りに広く開けた空を仰ぐ。 「早く着いちゃったら怒るかな、三蔵。せっかく悟浄と二人っきりでお休み状態なのにさぁ」 本当に、と八戒は珍しく声を立てて笑った。
ひょっとしたらなどという希望的観測思考は持ち合わせていない悟浄だったが、翌朝目覚めた三蔵がやはり記憶を失っているのを目の当たりにすると、やはり些かの落胆を禁じ得なかった。 「‥‥というワケでさ、じきにあとの二人も到着すると思うけど」 一通りの説明を終えた悟浄に向けられる、胡乱な視線。 「その旅ってのは、そんなに重要なものだったとは思えんな」 立てた人差し指を振りながら力説する悟浄に、三蔵は冷ややかな一瞥をくれた。 「それが胡散臭ぇんだよ。仮にその任務を俺が引き受けたとして、貴様は‥‥――いや、あと二人いるか――は、何でついて来てるんだ?貴様、本気でこの世界の平穏とやらを願ってんのか?」 いかにも怪しい輩を見る目で、三蔵がこちらを見ている。 「全然どーでもいい、んなの」 ――――本当に大事なものは、そんなものじゃなかったからよ。 「ま、あとの二人にはそれぞれ考えることがあるんじゃナイの?けど、俺は――まあ、成り行きっつーか、面白そうだったから、っつーか」 こりゃ、八戒の到着を待って説明してもらったほうがスムーズに話が進むか、と悟浄が考えた時、控えめなノックの音が室内に響いた。 「お話中ごめんなさい。これ、玄奘様のご気分が良かったら‥‥ご一緒にどうぞ」 恐らく昨晩は一睡もできなかったのだろう、麗華の顔色は僅かに青白い。悟浄は急いで立ち上がると麗華の手から茶器を載せた盆を受け取った。 「サンキュ。けど麗華ちゃんも休んだほうがいいって。なんだったらここのダンナには、俺から――」 少し無理の伺える麗華の意地を、悟浄は優しい瞳で見守った。麗華は悟浄の手から再び茶器を受け取ると、てきぱきと茶の用意をする。それでも心配で仕方がないのだろう、視線が時折三蔵の方へ流れてしまう。 「玄奘様は、ご気分は悪くありません?」 答える声はない。 「コラ。お前だよ、オ・マ・エ。お前が玄奘三蔵、彼女は麗華ちゃん、ちゃんと憶えろよ。‥‥ほら三蔵サマ、お返事は?」 「‥‥‥‥ああ」 麗華の気遣いに対する返事か、それとも悟浄へ返した言葉か。 「ちゃんと休みなよ?もし眠れないんだったら、悟浄さんが添い寝してあげっから。今ならスペシャル子守唄サービスつきよん?今夜は部屋の鍵開けといてね」 さんきゅーな、と投げキッスで麗華を見送っていた悟浄は、ふと三蔵の視線に気付いた。明らかな蔑みの視線。 「なぁによ。なんか文句ある?」 三蔵が苛ついてきているのが悟浄にも分かる。相変わらずこの最高僧様は女の話題がお嫌いらしい。 けれど。 「‥‥‥これから知ればいいさ」 呟いた言葉は小さすぎて三蔵には届かなかったようだ。悟浄は一瞬皮肉気な笑みを浮かべ、くるりと三蔵に背を向けた。 「お前はどうだか知らねぇけど?旨い酒があっていい女がいて。毎日楽しく生きられれば、それでイイんじゃねぇ?」 悟浄の背後から、呆れたようなため息がひとつ。 「‥‥‥どうやら貴様は、俺の一番嫌いなタイプの男らしいな」
今までの流れからいくと、すぐに人をくったような返事が返ってくると思っていた三蔵は、予想に反し、無言のまま動かない男の背を訝しげに見やった。 「‥‥‥正解」 振り返った男の顔は、やはり先程と同じ軽薄な笑みを浮かべていて。 「あー驚いた。一瞬記憶が戻ったのかと思っちまった。アンタ前に言ってたよ。『三仏神の命が無ければ、お前なんかと旅なんざ願い下げだ』ってさ。マジで同感。第一印象最悪だったしよ、お前。しょっぱなから人のこと殴ってくれちゃってさ」 けらけらと笑いながら悟浄は振り向き――――顔色を変えた。三蔵が頭を抑え、苦痛に顔を歪ませている。 「おい三蔵!痛むのか!?」 咄嗟に悟浄は三蔵の肩に手を乗せ、顔を覗き込むように近付けた。 迂闊だった。 「貴様―――?」 悟浄の瞳に流れた感情の色に、三蔵の眉が訝しげに顰められる。しまったと思う間もなく、触れていた手が振り払われた。 「テメェは女好きだと思ってたが‥‥‥そういう趣味もあったとはな」 悟浄は動けなかった。 「今までもそういう目で俺を見てたのか?」 冷たい瞳。 「あ〜、やっと着いたぁ。腹減っ‥‥?」 扉を開けたのは悟空。後ろから続いたのは八戒。森で逸れた二人が、ようやく追い付いてきたのだ。 そして、二人が目の当たりにしたものは。
「二度と俺に触れるんじゃねぇ!気色悪ぃんだよ、下衆が!」
信じられないような三蔵の言葉と。 浴びせられた拒絶を、身じろぎもせず受け止めた悟浄の背中だった。
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三蔵様、ご乱心。