たいせつなひと

少し早めに入った宿の部屋で、三蔵はいつものように煙草をふかしながら、新聞を読んでいた。悟空はジープとじゃれあい、八戒は皆に茶を入れている。
八戒の入れたお茶に手を伸ばそうと、三蔵が何気なく視線を上げた拍子に、窓の外の光景が目に入った。見慣れた紅い髪の男が、子供と二人、向かい合ってしゃがみ込んでいる。二人して、何やら紙に書き込んでいるらしい。
いや、悟浄の方は、ペンは持っていたが、手は動かしていない。何を書こうかと悩んでいる様子が見て取れた。

「あいつ、何をやってるんだ?」
「学校の課題ですよ」
「ああ?」
「何でも、『一番大切な人に手紙を書く』って課題らしいんですが‥‥あの子、どうしてもお母さんに手紙を書きたいんだけどどうしたら良いのか分からないって、しょんぼりしてたんですよね」
「書きゃあいいだろうが」
「それが‥‥両親とも亡くなったそうです、最近」
「‥‥‥」

さっき茶器を厨房に取りに行った時に、見かけたんですよ、と八戒は穏やかに笑った。

「それで、手紙を書いて焼けばいいって、悟浄がアドバイスしてるんだと思いますよ」
「何故、分かる?」
「前にも、ありましたから。似たような事」

八戒は、そこで一口、自分で入れたお茶をすすった。
 

 

 

八戒の話はこうだった。

三年近く前。悟浄の家から程近い川のほとりで、買い物帰りの八戒は、泣きじゃくる幼い兄弟に出くわした。何でも、手紙を川に落として流してしまったらしい。

「せっかく燃やそうと思って一生懸命書いたのに‥‥」
「燃やすため?どうしてですか?」
「だって、お母ちゃんは空の上にいるって、父ちゃんが言ってたから」

煙にすれば、どこまでも上っていく。きっと、母親の元に届くに違いない。
兄は勉強で近所の子供の誰よりも良い成績をとった事を。
弟は転んでも泣かなくなった事を。
それぞれ母親に報告したいのだと、少年たちは泣き腫らした目で語った。
幼いながらも、知恵を絞って必死に考えたであろうその姿に、八戒は目を細める。何となく、放ってはおけなかった。

「手紙は、もう一度書き直しましょう?それに二人だけで火なんて、危ないですよ?近くに、僕の住む家がありますから」
そうして、八戒は二人の子供を家に連れ帰ったのだ。
 

 

 

「こらこら、もっとゆっくり飲めよ。誰も取りゃしねーからよ」

まだ同居を始めてから間もない紅い瞳の家主は、ボタボタと零しながらスープを飲む子供たちの世話を何だかんだと焼いている。
子供たちを連れて帰宅した八戒を、悟浄は何も言わずに迎え入れた。事情を説明した時も、
『ふーん』
と子供たちをじろりと一瞥しただけだった。だからてっきり、子供は好きではないのかと思ったのだ。
一応家主に遠慮して、八戒はあまり煩くしないよう、部屋の隅で手紙を書かせるつもりだった。ところが、いつの間にか子供たちの横には悟浄が座って相手をしている。
その様子に、もともと子供が嫌いではないようだ、と判断する。少し、意外だった。
 

だがすぐに、誰にでも居心地の良い場所を提供できる人なのだと、妙に納得した。
 

 

しばらくすると、すっかり、子供たちも悟浄に懐いた様子だった。
腹が膨れて満足したのか、鉛筆を握り締め一心不乱に紙に向かっていた兄弟だったが、兄がふと顔を上げた。

「お兄ちゃんも、書こ?」
「あのねぇ、お手紙ってねぇ、お話したいけどお話できない人に書くんだよ!いっしょに、書こうよ!」

弟も、必死に兄に同調する。
子供たちの無邪気な声は、悟浄の表情に僅かな影を落とした。

「僕らは、母ちゃんに書くんだ!お兄ちゃんのお母ちゃんは?」
「もう、いないよ。お前らと同じさ、死んじまった」
「じゃあ、燃やせばいいよ!お兄ちゃんも!」
「‥‥‥そうだな」

八戒も、子供たちの誘いを受けたが、適当に誤魔化す形で断った。まだ、彼女の事は、そんな事が出来るほど美しい思い出にもなっていなかったからだ。
だから、母親を亡くした事に関しての悟浄の傷はもう癒えているのだろうと、八戒は迂闊にも、深くは考えていなかった。
 

 

その後、家の裏手で、悟浄と子供たちは手紙を燃やした。子供たちは無邪気に歓声を上げていたが、悟浄はどこか悲しみを湛えた目で、燃えさかる炎を見つめていた。
 

悟浄の家族について、八戒がまだ何も聞かされていない頃の話だった。
 

 

 

「―――だから、後になって彼の母親の話を聞いたときに、『それであんなに辛そうだったのか』って思ったんですよ」
初めて見る悟浄のそんな表情に、自分の方がいたたまれない気持ちになった。
 

未だに、忘れられませんね。八戒は思い出話をそう締めくくった。
 

 

母親への、手紙。

一体奴は何を書いたのだろう。どんな想いでそれを燃やしたのだろう。
大きな体を丸めるようにして、ペンを片手に考え込んでいたあいつ。今度もきっと、子供に付き合って過去の傷に手紙を書くつもりなのだ。
三蔵が胸の奥を塞ぐモノを感じながら窓の外を見ると、既に悟浄と子供の姿は消えていた。
 

 

 

八戒が茶器を片付けるために再び厨房へ向かうと、廊下の隅に置かれた灰皿の前で煙草を銜える友人の姿を発見した。八戒の運んでいるものを見た悟浄は、『茶ぁ、飲み損ねちまったな』と笑った。

「余裕ですね。宿題は、もう終わりました?」
「まだ、書いてねーよ」
「今回は、燃やさなかったんですか?」
「今んとこな。あのガキ、親戚んちに住んでてよ。学校終わってから働いて家計を助けてるんだと。だからとりあえず一回帰って、また夕方に来るってよ」

やれやれ、一緒に燃やすって約束しちまったからなぁ。面倒くせぇ。
そう悟浄は呟きながら、ふーっと煙を吹きだした。だが、八戒には、悟浄が面倒だとは思っていても、迷惑だとは思っていないという事がよく分かっていた。
何にせよ一緒に燃やすと約束してしまった以上、例え白紙でも用意しないわけにはいかない。この妙なところで律儀な男が、子供との約束を反古にする事などありえない。
何だかんだと言って、悟浄は手紙を書く筈だ。子供と交わした約束通りに。

「まいったよな、前とは状況が違ってるし、あん時と違って何書けばいいのかさっぱり‥‥‥」
「伝えられなかったことを書けばいいんじゃないですか?」

往生際も悪く文句を言っている悟浄に、八戒は苦笑を浮かべた。状況が変わっているといっても、大切だった母親と死別した事には変わりがない。前の時は、それでもそんなに時間をかけずに何かしら書いていたようだったのに。母親に与えられた傷が癒えて、何の感慨も湧かなくなってしまったとでも言うのだろうか。いや、それは‥‥。

八戒は、心の中で頭を振った。それこそ、ありえない。

「確かにあん時は伝わってなかったけどよ‥‥」

その言葉に、八戒は訝しげな表情を作った。どうも、話がおかしい。

「あの、悟浄‥‥‥?」
「あ?」
「手紙、誰宛なんですか?お母さん宛じゃあ‥‥」
 

言いかけて八戒は、はっとした。今回の課題は、確か。

『一番大切な人へ手紙を書こう』

 

そこでようやく悟浄も、自分と八戒の認識の違いに思い至ったらしい。一瞬にして、耳の後ろまで朱に染まった。
 

「え‥‥と。あの‥‥これは、その‥‥」
「‥‥‥成る程ね。これは僕が迂闊でしたね。そうですか‥‥お母さん宛じゃ、ないんですか」

手紙を燃やすという流れから、死んでいる相手に宛てたものだと決め付けていた。

「あ、あのさ八戒‥‥」
「誰かさんが聞いたら、さぞ喜ぶでしょうねぇ」

ふ、ふ、ふ、と笑みを湛える八戒に、思わず悟浄は自分の迂闊さを呪った。
ぱん、と悟浄は両手を合わせて八戒を拝む恰好を取る。

「頼む!あいつには黙っててくれ!な?これから一週間、買出し代わるから!」
「どーしましょーかねぇー」

鼻歌でも飛び出しかねない八戒の様子に、悟浄の背中に冷たい汗が伝う。
八戒は三蔵をからかう事が既に生き甲斐、みたいな所がある。このままでは、これをネタにいつまでからかわれるか知れたものではない。

―――三蔵を怒らせちまう

例え怒らせるのが八戒だったとしても、被害を被るのは他でもない自分なのだ。
三蔵が喜ぶ、という選択肢は悟浄の頭にはない。もっとも、三蔵が喜んだとしても、やはり被害を被るのは悟浄なのだが。
必死の形相で自分を見つめる悟浄に、八戒は、ふ、と優しい笑みを向けた。

「冗談ですよ。三蔵には言いませんって。でも、その代わり一つだけ教えてくださいませんか?」
「な、ナニ?」
「三年前のあの時の手紙も―――三蔵宛だったんですね?」
 

悟浄はしばらく何かを想う様に目を伏せていたが―――。
やがてゆっくりと、だがはっきりと、頷いた。
 

 

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