たいせつなひと
少し早めに入った宿の部屋で、三蔵はいつものように煙草をふかしながら、新聞を読んでいた。悟空はジープとじゃれあい、八戒は皆に茶を入れている。 「あいつ、何をやってるんだ?」 さっき茶器を厨房に取りに行った時に、見かけたんですよ、と八戒は穏やかに笑った。 「それで、手紙を書いて焼けばいいって、悟浄がアドバイスしてるんだと思いますよ」 八戒は、そこで一口、自分で入れたお茶をすすった。
八戒の話はこうだった。 三年近く前。悟浄の家から程近い川のほとりで、買い物帰りの八戒は、泣きじゃくる幼い兄弟に出くわした。何でも、手紙を川に落として流してしまったらしい。 「せっかく燃やそうと思って一生懸命書いたのに‥‥」 煙にすれば、どこまでも上っていく。きっと、母親の元に届くに違いない。 「手紙は、もう一度書き直しましょう?それに二人だけで火なんて、危ないですよ?近くに、僕の住む家がありますから」
「こらこら、もっとゆっくり飲めよ。誰も取りゃしねーからよ」 まだ同居を始めてから間もない紅い瞳の家主は、ボタボタと零しながらスープを飲む子供たちの世話を何だかんだと焼いている。 だがすぐに、誰にでも居心地の良い場所を提供できる人なのだと、妙に納得した。
しばらくすると、すっかり、子供たちも悟浄に懐いた様子だった。 「お兄ちゃんも、書こ?」 弟も、必死に兄に同調する。 「僕らは、母ちゃんに書くんだ!お兄ちゃんのお母ちゃんは?」 八戒も、子供たちの誘いを受けたが、適当に誤魔化す形で断った。まだ、彼女の事は、そんな事が出来るほど美しい思い出にもなっていなかったからだ。
その後、家の裏手で、悟浄と子供たちは手紙を燃やした。子供たちは無邪気に歓声を上げていたが、悟浄はどこか悲しみを湛えた目で、燃えさかる炎を見つめていた。 悟浄の家族について、八戒がまだ何も聞かされていない頃の話だった。
「―――だから、後になって彼の母親の話を聞いたときに、『それであんなに辛そうだったのか』って思ったんですよ」 未だに、忘れられませんね。八戒は思い出話をそう締めくくった。
母親への、手紙。 一体奴は何を書いたのだろう。どんな想いでそれを燃やしたのだろう。
八戒が茶器を片付けるために再び厨房へ向かうと、廊下の隅に置かれた灰皿の前で煙草を銜える友人の姿を発見した。八戒の運んでいるものを見た悟浄は、『茶ぁ、飲み損ねちまったな』と笑った。 「余裕ですね。宿題は、もう終わりました?」 やれやれ、一緒に燃やすって約束しちまったからなぁ。面倒くせぇ。 「まいったよな、前とは状況が違ってるし、あん時と違って何書けばいいのかさっぱり‥‥‥」 往生際も悪く文句を言っている悟浄に、八戒は苦笑を浮かべた。状況が変わっているといっても、大切だった母親と死別した事には変わりがない。前の時は、それでもそんなに時間をかけずに何かしら書いていたようだったのに。母親に与えられた傷が癒えて、何の感慨も湧かなくなってしまったとでも言うのだろうか。いや、それは‥‥。 八戒は、心の中で頭を振った。それこそ、ありえない。 「確かにあん時は伝わってなかったけどよ‥‥」 その言葉に、八戒は訝しげな表情を作った。どうも、話がおかしい。 「あの、悟浄‥‥‥?」 言いかけて八戒は、はっとした。今回の課題は、確か。 『一番大切な人へ手紙を書こう』
そこでようやく悟浄も、自分と八戒の認識の違いに思い至ったらしい。一瞬にして、耳の後ろまで朱に染まった。 「え‥‥と。あの‥‥これは、その‥‥」 手紙を燃やすという流れから、死んでいる相手に宛てたものだと決め付けていた。 「あ、あのさ八戒‥‥」 ふ、ふ、ふ、と笑みを湛える八戒に、思わず悟浄は自分の迂闊さを呪った。 「頼む!あいつには黙っててくれ!な?これから一週間、買出し代わるから!」 鼻歌でも飛び出しかねない八戒の様子に、悟浄の背中に冷たい汗が伝う。 ―――三蔵を怒らせちまう 例え怒らせるのが八戒だったとしても、被害を被るのは他でもない自分なのだ。 「冗談ですよ。三蔵には言いませんって。でも、その代わり一つだけ教えてくださいませんか?」 悟浄はしばらく何かを想う様に目を伏せていたが―――。
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