LAST LOVE

LAST LOVE(前編)

玄奘三蔵は、苛立っていた。
 

部屋中に響く、子供の声。
「ごじょおおおおお。ねぇねぇ、ごじょおおおおおってばあああ」
「何だよ、うっせーな」
 

苛々苛々苛々苛々苛々苛々。
 

「ねぇ〜。おそとにいきたいのぉ」
「ああ?こんな遅くにか?んなもんパパかママに連れてって貰えよ。俺はガキの相手するほど、暇じゃねぇっつの」
「やだぁ〜。ごじょおがいい〜。ごじょおじゃなきゃヤダ〜」
「泣くな!んなことぐらいで!わーったよ、外に連れてきゃいいんだろーが!」
「わ〜い」
 

苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々。
 

バシィ、と遂に三蔵のハリセンが炸裂する。

「んだよ痛ぇな!」
「やかましい!そのガキとっとと追い出せ!」
「だから!今出て行こうとしてたんじゃねぇか!」

う、と三蔵は言葉に詰まる。

そうじゃない。出て行って欲しいのは、そのガキだけだ。などという事は、口が裂けても言えるものではない。
悟浄はその間にもぴったり自分にくっついて離れない三歳くらいの少女を、大げさに抱きしめた。

「なあ〜、絽香。このおじちゃん、怖いよなぁ〜。悟浄ちゃん怒られちゃったから、お外に散歩に行こうな〜」
 

誰がおじちゃんだ、誰が。
 

三蔵が再びハリセンを構える気配を察知して、悟浄は絽香と呼んだ子供を抱き上げると、スタコラと部屋を出て行った。
ドアが閉まる直前、悟浄に抱きかかえられた子供と目が合う。
にっこり、と子供が勝ち誇ったように笑った。

『こんの、クソガキ‥‥!』

閉まるドアに、三蔵はハリセンを投げつけた。
 

 

 

そもそも、この宿を選んだのが間違いだったのだ。三蔵は、今になって思いっきり後悔していた。ここは大きな街だ。宿は豊富にあったのだ。なのに、何故この宿を選んでしまったのか。
宿に着くなり、ここの一人娘である絽香に悟浄がすっかり気に入られてしまったのが始まりだった。夫婦の他には従業員もなく、日中は仕事に追われて娘の相手にまで手が回らないらしい。

食事の時も、風呂の時も、絽香は悟浄の側を離れようとしない。

悟浄も、口では何のかんのと煩がっていたが、結局は絽香に付き合ってやっている。悟浄が手を伸ばしてくる子供を、突き放せるはずが無い。

「申し訳ありません。お客様にこんなに懐くのは珍しいんですけど‥‥」

すまなさ気に言う宿の女房に、
「自分の子供の面倒ぐらい自分たちで見ろ!」
と言いたくて仕方の無い三蔵だったが、自身のプライドがそれを許さなかった。
 

 

 

「三蔵‥‥‥怖いよ、顔」
「三歳児にまで妬いて、どうするんです」
「ルセェ」

考えが顔に出ていたのだろう、悟空は本気で怯えている。それでも果敢に三蔵に話しかけるのは、流石に付き合いが長いせいか。
今日は二つ部屋が取れたにもかかわらず、八戒と悟空は三蔵たちの部屋にやってきていた。

―――畜生。面白がってやがるな。

三蔵の胸中は荒れに荒れていた。

 

「可愛いじゃん、絽香。きっと親にあんまり構ってもらえなくて、寂しいんだよ」

確かに、それはあるだろう。だが、お前らは騙されている!!
三蔵は、声を大にして訴えたかったが、やはりプライドがそれを押しとどめた。

部屋を出て行くときの、あの子供の笑顔。あれは絶対に計算ずくの確信犯だ。
だが、これを口にすると『嫉妬に狂った男の戯言』と八戒に冷ややかな目で見られてしまうのは分かりきっている。
無邪気を装う子供ほど、厄介なものは無い。
更に苛立ちを募らせる三蔵に、八戒と悟空は顔を見合わせて肩を竦めた。
 

 

 

悟浄たちが部屋を出て行った後、三蔵はやたら不機嫌な顔で煙草を立て続けにふかしていた。思わず八戒は苦笑する。

「そんなに気になるなら、様子を見に行ったらどうです?」
「‥‥別に」
「最近の女の子はおマセさんですからね。うかうかしてると、悟浄、取られちゃったりして」
「‥‥三歳児相手に、つったのはてめぇだろ」
「まあ、そうなんですけど」

実は八戒もあの少女が、完全に無意識から発せられる無邪気さで、悟浄に接しているとは思っていなかった。僅か三歳ではあったが、そこには女性特有の媚としたたかさが確かに感じられる。それこそ、無意識なのだろうけれど。

(『女性』って、本能なんですねぇ‥‥)

つい、感心してしまう。だが逆を言えば、そこまでしても誰かに側にいて欲しい、という事だ。
悟浄は、寂しさを全身で訴える子供に応えてやりたいと思っているのだろう。

「誰かを必要とする心に、大人も子供もないのかもしれませんね‥‥‥」
「‥‥‥‥」

八戒の呟きに答えを返す代わりに、三蔵はゆっくりと煙を吐いた。
 

 

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