こんな夢なら悪くない(2)
八戒と悟空が、心配気な様子を見せつつ立ち去った後、悟浄はベッドの側の椅子に腰掛け、三蔵の寝顔を見守った。 「う‥‥」 不意に三蔵が、かすかな声を上げる。悟浄は弾かれた様に側に寄った。苦しげに眉根を寄せる三蔵の汗を拭ってやる。また、師匠の夢でも見ているのだろうか。 「行‥くな‥」 誰を呼び止めているのか。三蔵の口から漏れる苦しげな声。それは、師の名を呼んだときとはまた違う、魂を千切られるほどに辛い響きがあった。三蔵がその人物をどれほど大事にしているのか、それだけで伝わってくる。
「行かねぇよ」 今だけは、その「誰か」の代わりに。
「ここにいるから」 お前にとって俺が何番目の存在かなんてどうでもいい。お前の心には、確かに俺だけの場所もあるはずだから。その部分で、俺を必要としてくれれば十分だ。
「俺が、いるから」 そして俺は、お前が必要だから側にいる。ただ、それだけのこと。 「‥‥?」 「‥‥」 困惑する悟浄の前で、三蔵は僅かに身じろぎ、何かを呟いた。 信じられないものを見るような目を横たわる三蔵に向け、しばらく固まっていた悟浄だったが。 三蔵の声は、やっと聞き取れるぐらいの小さなものであったけれど。
夢を見た。 また、いつもの、あのときの夢。 『取り戻せ!』 誰かが俺を追い立てる。誰だ。どこかで聞いた事のある声。本当は分っている。だが、何かが違う気がして、認めたくない。 『急げ!』 俺は走ってる。声にあおられ、ただ闇雲に、ただひたすらに。 『だらしねぇな。お前がそんなだから守れなかったんだ』 煩せェ! 心が叫びを上げる。声を出そうにも、何かに喉を塞がれているのか音が出ない。 『その分じゃ、また無くすかもしれねぇよな。お前の大切なあの紅い‥‥』 やめろ! 動かない体を叱咤して、声のする方向を必死で見上げれば、腕を組み、冷ややかな目で俺を見下ろす―――紅い髪の男の姿がそこにあった。
あまりの衝撃に、動けない。声も出せない。
這いつくばった格好の俺に、見下すような視線を投げていたその男だったが。 『じゃあ、俺はもう行くわ。お前はそこでみっともなくあがいてな』 待て‥‥! 振り向くことなく、遠ざかる背中。また俺は失うのか。
「行くな!」 ようやく搾り出した声は、自分でも痛いほど胸に響いた。
『行かねぇよ』 不意にふわりと温かい何かに包まれる。ああ、俺の知っているのはこの声だ。心地よく耳に届く。俺は思わず安堵の息をついた。 『ここにいるから』 頬を包む、大きな手のひらの感触。懐かしい、温かい手。ひどく、安心する。 『俺が、いるから』 全身を満たす、温かなモノ。
「あ、目ぇ覚めた?」 ゆっくりと体を起こす。目覚めの気分としては、悪くない方だ。どうやら熱も引いたらしい。 「あれ?怒んないの?」 軽く睨めば、乾いた笑い声を立てる紅い髪の男。軽い口調だが、『ほっとした』という表情は隠しきれていない。誤魔化すように後ろを向いたそいつは、今度はちゃんとグラスに水を汲んで、俺に差し出した。 冷たい水が渇いた体に染み込んでいく。俺は手の中のグラスを弄びながら、目の前の男に呼びかけた。その存在を確かめたくて。 「悟浄」 他の誰にでもなく、こいつにだけは話しておきたい。そんな気がする。余計な口も挟まず、だからといって無視するでなく。好きなように話していい、と素直に思えて。 こいつの存在に、俺は救われている。 「取られちまった」 悟浄は俺の手にあるグラスを取り上げて、宥めるような声を出した。 「もういいから。も少し、休めよお前‥‥うん、熱は下がったな」 額に置かれた大きな手の感触。やっぱり、お前だったんだな。離れようとしたその手を、思わず掴み、体ごと自分の隣に引き寄せる。 「うわっ!」 こいつの事だ。どうせ昨日から一睡もせずに俺についていたに違いない。 「何だったら、よく眠れるようにしてやろうか?」 「いまさら一日二日遅れたところで、変わんねーよ」 その瞬間、悟浄はめまぐるしく表情を変えた。 「はいはい、大変お前らしくて結構なんですけどね、今日は大人しく休みましょうね。何だったら子守唄でも唄おっか?」 俺の頭を抱きこむように撫でながら、ふざけた事を言ってくる。 いらねぇよ、馬鹿。そう答えると、クスクスと笑う気配がする。それでも、悟浄は手を止めようとはしない。優しく頭を撫でられる心地よさを感じながら、俺は再び眠りの淵に落ちていった。 「オヤスミ、今度はいい夢を」 意識を手放す寸前に、滑り込んできた囁き。
そうでもないさ。あんなお前の声が、聞けるなら。 悪夢を見るのも、悪くない。
「こんな夢なら悪くない」完 |
「いつも悟浄さんが三蔵様に救われているので、たまには逆を」
とユキ様からリクエストいただきました。超難産……///
でも、何が嬉しかったって、これをユキ様にお送りした時「リク通り」と仰って頂けたのが……(涙)
おまけに「この二人は夫婦だ!」とお褒め(?)いただきましたv
ユキ様、今後ともよろしくお願いいたします。