こんな夢なら悪くない

「で?何やってるわけ?お前」

三蔵がいつものように法衣を身にまとい、出発の準備をしている。ドアにもたれかかった悟浄は腕を組み、そんな三蔵の姿を眺めていた。

「何もクソもあるか。とっとと出発するぞ」
「頭壊れてんじゃねーかクソ坊主、そんな体でどうしようってんだよ」

そう、三蔵は昨日から体調を崩し、高熱を出していた。この街の医者によると、旅の疲れが一気に出たとの事。最低三日は絶対安静と宣告されたのだ。

「こんなところでグズグズしてられるか!西へ行くんだよ!」

一歩踏み出した三蔵は、急激な眩暈に襲われ、僅かによろめき、テーブルに手をついた。

「ホレ見ろ、そんなザマで出かけたところで、途中でくたばるか、妖怪たちにやられちまうか、どちらにしてもお前地獄行きだぜ?」
「煩せェ!俺が行くっつったら、行くんだよ!」
「こっちはいい迷惑なんだよ!足手まといになるだろーが!」

尚も言い募る三蔵に思わず悟浄の声も大きくなる。

 

「じゃあテメェらは残れ!俺一人で十分だ!」

 

悟浄の堪忍袋の緒が切れた。ずかずかと近付くと、ベッドサイドにある水差しを取り、水を口に含む。そして乱暴に三蔵の腕を掴み上げると、無理やりベッドに引き倒した。

「何しやがる、退け‥‥!」
三蔵が抗議の声を上げた瞬間、悟浄に唇を塞がれた。
流れ込む、生ぬるい液体。三蔵がそれを嚥下したのを確かめ、悟浄が唇を離そうとした時。
がり、と唇を噛まれた。舌に感じる、鉄の味。

「な、に‥‥飲ませやがった‥?」
「んん?気持ちよくおネムになる薬」
「貴様っ‥‥殺す‥‥!」
「どーぞ。できるもんならな」

それでも押さえつけられた体を、必死で動かそうとしていた三蔵だったが、しばらくするとその動きも緩慢になり、ついには穏やかな寝息が聞こえてきた。
ようやく、腕を解放し、親指で三蔵に噛まれた唇を拭う。

「はあ‥‥、まったくよぉ」

ベッドに腰掛け、三蔵の乱れた髪を直してやりながら、悟浄は深いため息をついた。
 

 

 

この街に入る数日前に、三蔵はある山を越える途中で、ジープを止めさせた。まだ、日も高かったのだが、三蔵の意向により一行はその場所で一夜を過ごすことになった。

『もう疲れちゃったの?三蔵様、もうお年ね』

いつもと違う三蔵の行動に、僅かばかり生まれた不安を隠すように発せられた悟浄の言葉にも、三蔵は『フン』と短く答えただけだった。
そして、近くの岩に登り、日が暮れるまでそこから見える景色をただ眺めていた。
 

それからだ、三蔵の様子がおかしくなったのは。

普段なら、日が暮れてからの森抜けなど絶対にやらないはずが、誰が止めるにも耳を貸さず強引に進ませた。八戒が、ジープの負担も考えてくれと懇願するまで、走らせた。
ジープで進めなくなると、休みも取らず歩き続けた。
まるで、立ち止まっている事が許せない事だとでも言うように。

いつもの三蔵とは明らかに違う。

そして遂に、無理がたたったのか三蔵は倒れ、発熱した。
今までも、その傾向はあった。他のメンバーが体調を崩したときには、宿の延泊をためらわないこの男が、自身の体の事には全くと言っていいほどに無頓着なのだ。

『もっと、自分を大切にすりゃいいのによ』
前に三蔵が寝込んだとき、そう呟いた悟浄に、八戒はこう答えた。
『似たもの同士ですよね。そういう意味では』

だが今回は、その時とは比べ物にならないほど、三蔵は荒れていた。
 

 

 

悟浄が三蔵を無理やり寝かしつけてしばらくした頃、遠慮がちなノックの音が響いた。顔を覗かせたのは悟空と八戒。

「どうです?三蔵の様子」
「ああ、薬飲んだから、今は眠ってる」
「どうしちまったのかな、三蔵‥‥」

眠っている三蔵の顔を心配げに覗き込む悟空の頭を、悟浄はぽんぽんと叩いた。

「心配すんなって。目が覚めたら、いつもの三蔵様に戻ってるさ」

それは、もしかしたら自分の願望だったのかもしれないが。悟浄は泣きそうな顔の悟空に、にっと笑ってやった。
 

 

悟浄には、三蔵の変調の原因が薄々分っていた。
それは夕べ、悟浄が熱に魘される三蔵に付き添っていたときの事。熱で朦朧とした意識の中、三蔵はずっと呼び続けていた。

お師匠様、と。

何度も、何度も、繰り返される一人の名前。
辛かった。はっきりと、思い知らされる現実。
三蔵の心の隙間を埋めるのは、自分ではないと。今はもういない、たった一人の大切な人なのだと。そう言われているようで。
知っている。三仏神の命であるというより、その人の形見を取り返すために、三蔵は旅をしているのだ。

悟浄は結局一睡もせずに、魘される三蔵の額に浮かぶ汗を拭いてやっていた。それしか、出来なかったから。

―――三蔵は、焦っている。

恐らくは今までも、遅々とした旅への焦燥感が三蔵の胸の内にはあったのだろう。それが一気に噴出したのだ。
一刻も早く、取り戻したいのだ。大切な人はもうかえらない。だがせめて、大切な人の、大切な形見を。

早く、はやく。

黙ったまま全身で叫ぶ三蔵の姿が痛い。出来る事なら少しでも早く、取り戻させてやりたい。
だが、これ以上無理をさせるわけにはいかなかった。例え、三蔵に恨まれたとしても。
 

 

「今のうちに、貴方も眠ったらどうですか」
「心配すんなって、ちゃんと見てるから」
「俺、代わるよ」
「んー。やっぱ、今日は俺が付いてるわ」

八戒と悟空は、思わず顔を見合わせた。いつもと変わらぬ口調だが、発せられるのは明らかな拒絶。

「悪ぃけど――今回は、好きにさせてくれや。な?」

二人の問い掛けるような視線に、悟浄は困ったような笑みをこぼした。
穏やかな、だがどこか寂しげな光を湛える悟浄の瞳に、二人は何も言えなかった。
 

 

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