忘却(2)
三蔵が、悟浄の姿を見つけたときには、悟浄は大量の薪の上に腰掛け、煙草を吸っていた。 「よ」 片手を挙げ、屈託なく笑って見せる。近付くと、少し体をずらして、三蔵に座れと促した。 「いやあ、労働の後の一服は美味いね〜」 薪割りを手伝ってみたのだと言う悟浄の隣で、三蔵もまた煙草を取り出した。すかさず悟浄が銜えたままの煙草を差し出す。 「さっき、あの男を見かけたが‥‥妙にさっぱりした顔をしていたな。憑き物が落ちたみてぇだった」 そんな事より、今しがた割った薪の出来具合の方が気になるといった風情の悟浄を、三蔵は軽く睨んだ。悟浄はそれに気付くと肩を竦める。 「許すも許さないもなぁ。俺、マジで忘れてたし。さっき、何されたのか聞いて、やーっと思い出したぐらい。もうノーカウントでしょ、そんなの」 事も無げに言う悟浄に、三蔵は表情を変えない努力を強いられた。 「‥‥‥それが、ノーカウントか」 その保護者が悟浄を保護していたのかどうかは置いておいて、この宿の若主人から過去に受けた理不尽な仕打ちについては、本気で気にしていないらしい。では、ポイントの高い攻め方―――悟浄曰くだが―――ならば、一体どんな目に合わされたというのだろうか。 その程度では傷にならないという事実が、悟浄の過去の体験の凄惨さを物語っていた。
「まあ、ずっと気にしてたってのは悪かったけど。そこまで俺は知ったこっちゃねーしな」 当然だ。それは奴の完全な自業自得だ。
三蔵は黙って悟浄の唇から煙草を抜き取り、代わりに自分の唇を与えた。何度も、啄ばむように口付ける。 「ナニ‥‥?慰めてくれんの、三蔵様?けど、俺、今回は本当に大丈夫なんだけど?」 どうでもいいのだ。悟浄にとっては。 悟浄に影響を与えることが出来るのは、たった一人。 幼い頃から、悟浄の全てだったその人物。彼女から向けられた殺意だけが、悟浄の心を覆い尽くしている。他から寄せられる殺意など、悟浄にとっては取るに足らないものだったに違いない。
義母の話を直接悟浄から聞いたのは、ほんの最近のことだ。 『笑ってる顔、見たかったなぁ』 ぽつりと呟いた悟浄の言葉が、今も三蔵の胸に残っている。 ようやく、自分にも話してくれたと。
不意に唇に痛みを感じて、三蔵は我に返った。 「何考えてんの?集中しろよ、こら」 言いながら、自分の噛んだところを舐めてくる悟浄は、どうしようもなく淫猥で。 「ほら!まーた、別のこと考えてんな?もういい、だったら触んな」 生半可な気持ちで触れることは許さない、そのプライドの高さ。 「集中、させてみろよ」 首に腕を回し、本格的に口付けてくる悟浄に応えながら、三蔵もまた悟浄の体を抱きしめた。
せめて自分に見せる分だけでも全部受け止めてやりたい。そう思った。
「忘却」完 |