たとえ明日がこなくとも(2)

相変わらず三蔵と悟浄は口を利かないまま、いつになく重い空気の夕食を済ませ、各々が部屋に戻った。
ベッドに転がり天井を眺めていた三蔵の耳に、短いノックの音が届く。

「よーす」

現れたのは、紅い髪の男。喧嘩中にも関わらず、妙に声の調子が明るい。

悟浄は三蔵の返事も聞かずにずかすかと部屋に入り込み、挙句には三蔵を押しのけてベッドに上がりこんで来た。

「誰が入っていいと言った。‥‥‥しかも勝手に乗ってんじゃねェよ、狭い」
「ま、固いコト言うなって。あんまひとりで悩むとハゲるぜ?悟浄さん、ツルッパゲの三蔵様とはお付き合い出来ないかもー」

冗談めかした台詞に、顔には出さずに驚く。
当たらずとも遠からず、三蔵はずっと考え込んでいたのだ。無論、昼間の老婦人に聞かされた話についてだった。

『結ばれるはずのない縁』

三蔵の最高僧という立場を。悟浄が禁忌の子供であるという事実を。
三蔵が忘れても悟浄は忘れる事はない。
時折、旅の途中で二人の関係に気付いた者から、悟浄が嫌悪と侮蔑の視線を浴びせられている事は知っている。それを三蔵には気取られまいと振舞っている事も知っている。
いつ刺客に襲われるかしれない、危険な毎日。それこそ、明日の命の保障などどこにもない。自殺は問題外だとしても、自分がもし命を落とせば、悟浄もあの老婦人と似たような立場に立たされるのかもしれないと思うと、無性に気になって仕方がなかった。
 

もしも明日、自分が死んだら、悟浄は後悔するのだろうか。

どうせ失くすなら、求めるのではなかった、と。
出会わなければよかった、と。
愛するのではなかった、と―――。

一生を悔やんで過ごすのか、それともあっさりと忘れてしまうのか。
自分を責めるのか、三蔵を恨むのか。

それを聞いたところで、どうなるわけでもないと思いつつ、どうにも割り切ることが出来ない自分が情けなく思う。
 

三蔵の心を知ってか知らずか、悟浄はニヤリと人の悪い笑みを向けてきた。

「もしもって、考えてたろ?」
「‥‥‥何しに来た」

三蔵は悟浄の問いには答えなかったが、否定しなかったことが肯定を伝えた。悟浄もまた、あの老婦人の過去の話を耳にしたのだろうとは、既に予想がついていた。
何が楽しいのか、悟浄は笑いながら三蔵に擦り寄ってくる。

「えー、だって喧嘩したまま誰かさんに死なれたりしちゃ後味悪いし」
「勝手に殺すな、阿呆」

三蔵はいかにも興味なさげに呟いた。
それでも、顔を近付けてくる悟浄を拒みはしなかった。
 

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥狭い」

貪るように熱を分け合った行為の後、ベッドに重なるようにして二人は沈んだ。
ここは一人部屋、当然ベッドもシングルだ。大の大人が二人並べば、寝返りどころか身動きもままならない。

「オマエね‥‥ヤるだけやってそーゆーコト言うのサイッテー」

言葉の割には気分を害した様子も見せず、悟浄は運動の後の一服を求めて、放り出された上着を取るためにベッドから降りようと身体を起こす。が、叶わなかった。三蔵が浮いた悟浄の腰を抱きかかえるように引き寄せたのだ。
再び、肌が密着した。

「おーい?」
「煩ェ。狭いんだから動くな」
「何だぁソレ?意味わかんねぇし」

くすくすと笑う悟浄は、しかし三蔵の腕を振り払おうとはしなかった。それどころか、猫のような仕草で額を擦り付けてくる。どうやらこのまま、ここで寝てしまう気になったらしい。

「あーあ。別々の部屋取った意味ねぇじゃん」
「‥‥‥そうだな」

居心地のいい場所を求めてもそもそと動く悟浄の髪を、三蔵の指が弄ぶ。さらさらと零れる手触りが気に入って、二人きりの時は、三蔵はよく悟浄の髪に触れていた。

大人しくなった悟浄が、しばらくすると規則正しい寝息を立てはじめた。つられて、三蔵の意識も徐々に沈んでいく。以前なら、こんな近くに他人の体温を感じて、眠る事など考えられなかった。それが今では、この温もりが側にあれば、どんな山の中でも平気で熟睡できてしまう。自分が相当に沸いていると三蔵は自覚しているが、決して不快に思うわけではなかった。
悟浄の髪を梳いていた三蔵の指が止まる。心地よい眠りの波が、三蔵に押し寄せてきていた。
明日も変わらず、この温もりが腕の中にあるだろうか。
そんなことをぼんやりと思いながら、三蔵は穏やかな波に身を委ねた。

 

 

 

三蔵が完全に眠りに落ちる直前、鼓膜が微かな音を拾った。

「もしも、ねぇ‥‥」

それはうっかり漏れてしまったという感じの、小さな呟きだった。
既に眠っていたと思っていた悟浄が発した声が、三蔵に急激な覚醒を促す。

「‥‥何だ?」

やはり三蔵は先に眠ってしまったと思っていたのだろう。予想外の返事に悟浄の身体がぎくりと強張ったのが三蔵の腕に伝わった。

「なにお前、起きてたの?」
「何が、『もしも』なんだ?」

悟浄の問いを無視して、三蔵は抱き寄せる腕に力を込めた。
誤魔化しは許さないと込めた力の意味が伝わったのか、悟浄は観念したように小さく息を吐く。

「いや‥‥ちょっと思い出したのよ、最初に出会ったときンこと」

悟浄が僅かに身じろぐ度に、長い髪が三蔵の肌をくすぐった。

「ホンット最悪だったよなー、いきなり誰かさんは銃なんかぶっ放すし」
「当ててねぇだろ」
「当たんなきゃいいってもんじゃねぇだろォが!」

ったくてめぇは、とブツブツ文句を言う悟浄の髪を軽く引っ張り話の続きを促すと、んー、と曖昧な相槌が返ってきた。だが、その先の言葉がなかなか出てこない。

「おい?」

今度は言葉で促すと、悟浄は三蔵の胸元からずり上がるように動いて三蔵の顔を覗きこんできた。元々、三蔵より体格のいい悟浄に上から見下ろされる体勢は、三蔵にすればあまり気分のいいものではなかったが、黙って悟浄の好きにさせる。
悟浄は三蔵の瞳を真っ直ぐに見つめると、少し逡巡してから口を開いた。

「今からちょっと馬鹿なコト言うけど‥‥‥ヒくなよ?」
「お前が言うことで馬鹿じゃないことがあったか?」
「はは、そりゃそーだわ」

珍しく反論もせず悟浄は笑ったが、すぐに、ふっと笑みを消した。いつになく真摯で柔らかな眼差しが、三蔵を見下ろしていた。

「‥‥もしあん時に俺―――。例えば‥‥‥、そう、例えばだけどよ?お前が明日死ぬって知ってても、お前に惚れたなぁと思って」

悟浄の言葉に、三蔵は息を呑んだ。
予想外の悟浄の台詞に、不覚にも驚きを隠せない。

「だってよ、今お前が目の前にいるのに、明日がどうだから惚れるのやめとこうとか出来るわけねぇっしょ。止められんなら、惚れてねぇよ」
「‥‥‥‥」

自分で言っておきながら流石に照れくさいのか、悟浄はふいと合わせていた視線を逸らした。その頬が僅かに赤らんでいるのは三蔵の見間違いではあるまい。そんな告白めいた事など普段なら絶対に口にしない男が、頬を染めて照れている。

「―――貴様、式神か?」
「言うと思った‥‥‥」

ガクリと脱力し、肩口に突っ伏す悟浄の頭を三蔵が抱きかかえる。
三蔵も本心から悟浄が偽者であると疑っているわけではない。それは三蔵を包む空気に何の緊迫感もないことからも明らかで、悟浄は抱き寄せられるままに三蔵の首筋に顔を埋めくつくつと笑った。

「明日の心配どころか、目の前の事で手一杯だって、俺」
「‥‥‥‥」
「今、お前と一緒に生きるので手一杯。毎日毎日、そりゃもう必死こいてお前ンこと追いかけてんの。ムズカシイ事考える余裕なんてねぇよ」
「‥‥‥‥」
「俺だって明日、ヘタうって刺客にヤられるかもしんねぇし、‥‥‥そうじゃなくても、お前と別れなきゃならなくなるかもしんねぇし」

ジンセイ色々ですから、と悟浄は殊更に茶化した口調で付け加える。

「――――余程死にたいらしいな、貴様」

脇に置いた銃を取り出さんばかりの凄みを利かせ、三蔵は唸った。

『結ばれるはずのない縁』

悟浄の心に棘のように刺さったままの、三蔵に対して抱く引け目のようなもの。あの老婦人が、失った恋人に対して恐らくは一生抱え続けるものと同じ。

老婦人はともかく、悟浄の胸の棘を自分が抜いてやれないのが三蔵にはもどかしくて仕方がない。それきり三蔵が黙り込むと、悟浄は肩口に埋めていた顔を上げ、怒んなよと軽く口付けてきた。三蔵の視線を受け、軽く首を傾げる。

「‥‥‥けど、今日の俺はここにいるわけよ」

もう一度音を立てて口付けられて、三蔵は目を細めた。
見つめてくる悟浄の瞳は穏やかで、自分を卑下する卑屈さはない。ああ、こいつは彼女とは違うのだと、三蔵は唐突に実感した。

「お前がさ、あのバァちゃんの話聞いて、何を感じて俺に何を聞きたいのかとか、まぁ薄々は分かるんだけどよ‥‥‥」

少し困ったように笑いながら、悟浄はぱたりぱたりと足をばたつかせている。子供じみた仕草は、悟浄がそれについては突っ込まれたくないと思っているという無意識の意思表示だ。三蔵は内心でため息をつきつつ、悟浄の願いどおりに見逃してやることにした。悟浄が常にない甘い言動をとっているのは、ずっと考え込んでいた三蔵のことを気遣ってのことだと気付いていた。だからこれで相殺だ、と三蔵は勝手に決めてしまった。
そんなこととは露知らず、悟浄は喋り続けている。三蔵が気を散らしている間に悟浄の足の動きが止まり、思いのほか真剣な瞳が真正面から三蔵に向けられていて、三蔵は僅かに緊張した。

「今、俺はここにいるし、お前もここにいる。そりゃ明日はどうなるかわかんねぇけど、とりあえず今はこうして一緒にいるってのはだな、」

そこで悟浄はわざとらしくゴホンと咳払いした。

「‥‥‥‥シアワセってやつだろ?」
「‥‥‥!」

思わず唖然とした三蔵に、勝ち誇ったように片目を瞑って寄越す。
噴き出した悟浄に我に返った三蔵が一発小突いても、悟浄の笑いはなかなか止まなかった。
してやられたと思ったが、不快ではなかった。むしろ、一緒に笑ってしまいたい気分だった。

「―――そういう事にしといてやるよ」

何とか、むすりとした顔を作って三蔵が答えると、悟浄はまた笑った。悟浄に聞きたいことがあったはずだが、もうどうでもいいと思った。胸にわだかまっていた何かの答えを見つけたような気がしていた。

いま、こうして共に在る。
それ以上に望むことなど、なにもない。

 

体勢を入れ替えて悟浄に覆いかぶさると、悟浄は素直に腕を三蔵の背に回してきた。
悟浄は相変わらず笑っている。

 

悪くない笑みだと三蔵は思った。
 

 

「たとえ明日がこなくとも」完

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