旅の途中で(2)

悟浄はひたすら山道を走っていた。

『妖怪は、我々を喰らいにやってきたのです。ですが可念様が結界を張って下さったので、何とか全員難を逃れる事ができました。多少の怪我人はでましたが』

悟浄を敵ではないと判断した若い僧侶は、妖怪に襲われた経緯を悟浄に語った。可念の居場所も告げようとしたが、悟浄はそれを押し止めた。今はまだ、どこからその妖怪の耳に入るか知れたものではない。

『力を使い過ぎたため、可念様は臥せっておいでです。もう一度妖怪の襲撃を受ければ、我々に防ぐすべはないでしょう。私は可念様の命を受け、寺の様子を見にきたのですが‥‥‥‥御覧の通り、何もかも焼かれてしまいました』

猛烈な怒りが、悟浄の中から沸々と沸き上がっていた。
 

 

若い僧侶に教えられた、妖怪の根城と思われる洞窟のある場所に近付いた時、感じる見知った気配に悟浄は足を止めた。この気配は。

「おっせーよ、悟浄。腹減っちまったじゃねーか!」
「もう、先にパーティ始めちゃおうかと思いました」
いかにも待ちくたびれたといった風情で、見なれたメンバーがそこにいる。

「お前ら‥‥‥よくわかったな、ココが」
「宿の御主人が教えてくれましたよ?」
「あ、そうなの」
「何でもいい、とっとと片して出発するぞ」

八戒との会話に割り込むその声は、いつもと同じ不機嫌な低音だったが、眉間に刻まれた皺がいつもより心無しか多いように感じる。悟浄は、小声で八戒に問いかけた。

(妙に機嫌悪くねェ?クソ坊主の奴)
(妬いてるんじゃないですか?貴方が自分の知らない人を気にかけてるから)

ガウン、ガウン、と銃声が響く。

「くだらねぇ事抜かしてねぇで、さっさと行け!‥‥‥ったく、迷惑かけんとか抜かしやがって」
かろうじて銃弾を避けた体勢のまま、悟浄はニヤリと口元を歪める。

「おや、ご迷惑?妖怪殺り放題パーティ」
「―――いいや」

へっ、と悟浄は笑った。
今の銃声が届いたのだろう。洞窟の中で、多数の凶悪な気配が蠢きだしたのを感じる。

「もう行こーぜ!動いてねーとますますハラ減るじゃんか〜!」
その言葉を合図に、四人は一斉に穴蔵の中に突入していった。
 

 

 

霧が立ち篭める谷間にある洞窟の前に、一人の僧侶が佇んでいる。焼け落ちた寺で悟浄と出くわした、あの若い僧侶だ。
誰かが近付いてくる気配に、僧侶は手にした槍を構え、食い入るように気配の元を探った。やがてゆっくりと足音が聞こえ、霧の間から、全体的に薄ぼんやりと赤いものが姿を現した。
あの男だ、と認識した僧侶は構えを解く。
その男は僧侶の近くまでやってくると、足を止めた。

僧侶は、男の姿に言葉を失った。全身をその瞳と同じ赤色に染めあげているものは、おびただしい返り血だった。僅かに眉を潜めたが、やはり僧侶は何も言わぬまま、悟浄に一礼すると、先に立って歩き出した。

案内されて洞窟に入ると、果たしてそこには可念が横たわっていた。悟浄の姿に周りの僧が気色ばむのを、軽く手をあげて諌めた所を見ると、意識はハッキリしているらしい。悟浄は可念の顔を覗き込みながら、その側に屈み込んだ。

「‥‥‥‥よく、ここがお分かりになりましたな」
疲労の色は滲んでいるものの、可念のしっかりとした口調に、安堵する。

「言ったろ?フツーじゃねぇ坊主が知り合いにいるって。そいつがここら辺りで清浄な気が発せられてっつーから、そうだろーと思っ‥‥‥」
ゲシ!と悟浄の頭にかかとが落ちる。いつの間に来たのか、三蔵が後ろに立っていた。

「普通じゃなくて、悪かったな」

可念をはじめ、周りの僧侶達も目を見張った。このいでたちは、間違いなく。

「これは‥‥‥三蔵法師様でいらっしゃいますか」
身体を起こし、居住まいを正そうとする可念を三蔵は制止した。
「そのままでいい、身体に障る――――。それより、寺を襲った妖怪は、こちらで対処しておいた。直に住持も戻るだろうが、寺の建て直しも手配するよう使いをたてよう。気を落とさず、務めることだ」
「勿体無いお言葉――――ありがとうございます」
「うわ。どーしたのお前。今日はやけに気前がいいじゃん。何か坊さん臭いし」

がん!と今度は拳を悟浄の頭に叩き込んでおいて、三蔵は悟浄を蹴り出した。悟浄は可念に向かって軽く片手を上げると、おとなしく外へ出ていく。可念は僅かに頭を下げてその後ろ姿を見送った。
完全に悟浄の気配が洞窟の外に出たのを待って、三蔵が口を開く。

「‥‥あの馬鹿の腕の傷、手当てしたのはあんたか」
「はい。ですが元々は私を助けて下さったために怪我をされてしまって―――申し訳ない事をいたしました」
「いや‥‥‥。礼を言う」

それがただ単に傷の手当てをした事に対する謝意ではないと、可念は察した。悟浄と話した時にも気付いていた事。今まで、彼が僧籍にあるものたちにどんな仕打ちを受け、傷付けられてきたのか。
そして今、もうひとつ気付いた事がある。彼がそんな目に遭うたび、この高貴な僧侶が、どんなに心を痛めてきたのか。先ほどの特段の計らいも、自分に対する『礼』なのだろう。

――――もっとも、先程の様子から察するに、恐らく二人ともそれを素直に相手には見せてはいないだろうが。

可念は、自分を見下ろす三蔵の瞳を、ただ静かに見つめていた。自分と同じ、その紫の瞳を。

「では、先を急ぐので失礼する」

三蔵の言葉に僧たちは一斉に頭を下げる。
踵を返す三蔵の背を、可念の声が追った。

 

「大切に、なされませ」

 

可念は何を、とは言わなかったし、三蔵も聞かなかった。
だが、肩の高さで右手の親指をピッと立て、振り向きもせず去る三蔵法師の後ろ姿に、可念は心からの満足を覚えていた。
仰臥したまま、可念は手を合わせ、外の気配が遠ざかるのを心の中で見送った。
 

 

 

「へええ〜、マトモな坊さんっているんだなぁ」

ジープに揺られながら、悟浄からいきさつを聞いた悟空はしみじみとした口調で語った。他の二人からも、珍しく反対の声は上がらない。

「不在の上人ってのが、よくできた奴なんだろうさ」
「ああ、上の人が立派だと、下の人もおのずと立派になる。道理ですねぇ」
「じゃあ長安の寺にさー。そんなに立派な坊さんがいなかったの、上の人ってのが立派じゃなかったからなんだ」

 

「「「‥‥‥‥」」」

 

しーん。

 

重い空気が辺りを漂う。だが、良く見れば、憮然とした面持ちの三蔵と、自分の発言の意味するところがよく分かっていない悟空を除く二人の肩は、小刻みに震えていた。

「どーしたの、みんな」
「悟空がいた寺の、一番上の人って、誰ですか?」

湧き上がる笑いを必死で堪えながら、八戒が問う。

「えー?誰って‥‥そりゃあ、さん‥‥」
 

あ。
 

 

再び落ちる沈黙。その空気に最初に耐え切れなくなったのは、悟浄だった。

「ひゃあっはっはは!お前、ケッサク!!そーだよな、こいつのどこをどう見たって、下っ端が立派に育つわきゃねーよなぁ!ひーっ、あー腹痛ェ!!あんまし笑わせんなよ!」

「そうだよなー?俺、間違ってねぇよなー?良かったー!あはははは」
 

げらげらといつまでも腹を抱えて笑い転げる悟浄と悟空の耳に、聞き慣れたチャキ、という音が響く。

「この世の笑い納めは済んだか?貴様ら」

ゆらり、と殺気を漲らせて三蔵が助手席から立ち上がり、後部座席の二人はわざとらしい悲鳴をあげた。
 

 

 

そして、いつもと同じ光景を乗せて、ジープはひた走る。
西へ、西へと。
 

 

「旅の途中で」完

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