降りしきる大雨の中、一人の僧侶が道を急いでいた。 (すっかり遅くなってしまったな) もうじき日が暮れる。ついつい麓の村人達と話し込んでしまって、帰りが遅くなってしまった。この辺りも暗くなってからは野盗、追い剥ぎの類いが出没し、あまり治安の良い所ではない。 (一刻も早く戻って、寺を守らねば) 近道をしよう、と思ったのが間違いだったのかもしれない。山に落ちた雨が滝となって道を遮るように流れ落ちている。さながら、川の中を歩くに等しい有り様だった。 (落ちる!) 僧侶は目を閉じ、口の中で経を唱えた。体が浮遊する感触に包まれる。だが、いつまでたっても、覚悟していた衝撃はやってこない。 「ダイジョーブ?あんた」 振って湧いたようにかけられた声に、僧侶が恐る恐る目を開けると、紅い髪の男が自分を抱きかかえて笑っていた。
旅の途中で
「私はこの先の寺で修行しております可念と申します。危ない所を助けていただきまして―――」 可念の礼を遮るように、ひらひらと手を振って立ち去ろうとするその男の腕から、血が流れているのを可念は見咎めた。 「お待ちください。お怪我をなされたのですか?寺はすぐそこです。手当てをしなければ」 片目を瞑って見せる男に、可念は尚も食い下がった。 おや、と紅い髪の男―――悟浄は思った。この僧侶の目に自分に対する嫌悪の光がないのは、てっきり自分の髪と眼の色の意味を知らないからだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。 「さ、どうぞ。御案内いたします」
寺の一室に悟浄は通され、手当てを受けた。取りあえず、濡れた服を乾かしてもらう間、着物を借りて待つ事にした。可念の言っていた通り、誰にも見咎められることなくこの部屋に入ることができたので、気は楽だ。 「最近はそういう抜け道もないと、若い僧達は、色々とありましてね」 そう言って、先ほどのお返しとばかりに片目を瞑った可念も、まだ三十は超えていないだろう若さだ。だが、その落ち着きといい、物腰といい、一介の修行僧ではない事を十二分に伺わせている。 「なあ、ここさ、あんたの部屋?」 「御覧の通り、この寺は僧も少ないところ。貴方が本気になれば中にいようが外にいようが、我々などひとたまりもありますまい。それにもし仮に貴方が、ここを襲うつもりだとして、それは私の人を見る目が曇っていただけの事。皆も諦めてくれますのでどうぞお気遣いなく」 にこにこと笑い、茶を勧める可念の姿に、悟浄はすっかり毒気を抜かれてしまった。 「なーんか、調子狂うぜ」 その悟浄の言葉に僅かに目を細めた可念だったが、何事もなかったかのように、自らも茶を口にする。 「そうですか?自分では普通のつもりですが」 普通。確かにそうかもしれねぇな、と悟浄は思った。 「どうしました?」 すると突然、可念はくすくすと笑い出した。ナニ?と目で訴える悟浄に、可念は急いで口元を押さえる。 「ああ、申し訳ありません。その方は、悟浄さんにとって大切な方なんだな、と思いましてね」 かああ、と顔を赤くした悟浄を見て、また可念はくすくすと笑った。髪をかきあげるようにして顔を隠しつつ、悟浄は可念を軽く睨む。 「・・・・前言撤回。あんた普通じゃなくて、意地悪ィ坊さんだよな」
「どこで油売ってやがったんだ、てめぇ」 雨があがるのを待って、宿に戻ってみれば、待ち構えていたのは超不機嫌な顔で睨んでくる紫の目を持つ男。 近くにいれば、必要以上に構いたくなる気分だったから。 通りを歩く気にもなれず、ひとり山の中の木陰で雨を避けていた所に、可念に出会ったのだった。 「妖怪が出るって噂があるとこで、一人でほっつき歩いてんじゃねぇよ」 (やっぱ、変な奴) こんな変な奴にイかれてる自分も、相当なものだと苦笑する。取りあえずはこれ以上御機嫌を損ねないように、大人しく三蔵の手の動きに身を任せていた。上着を脱がされたところで、ふと三蔵の動きが止まる。 「どした?」 言われて、思い出した。腕に巻かれた包帯。可念を助けた時に付けた傷だ。 (しまった) 「てめぇ、また妙な事に―――」 誰もんな事心配してねぇよ。三蔵の不機嫌に拍車がかかる。三蔵はその不機嫌の腹いせに、少し乱暴に手を進めた。 (迷惑掛けねぇっつってるのに、何で機嫌が悪いんだよ!?) ホント、難しいヤツ。
「この村の外れにある寺が、明け方妖怪に襲われたらしいですよ」 翌朝、いつもと変わりなく四人が朝食を摂っている時に飛び込んできた、宿の主人と客との会話。 「おい!寺が襲われたって、そこの坊主達はどうした!?無事なのか!?」 (可念!) 宿の主人の言葉が終わらぬ内に、悟浄は外へと駆け出していた。八戒が何か言っていた気がしたが、意味をなす言葉としては耳に入ってこなかった。
その場所に到着して、悟浄は自分の目を疑った。 「おのれ妖怪!よくも、よくも寺を!」 「可念はどうした?無事なのか?」 ホッ、と悟浄の身体から力が抜ける。その様子に若い僧は訝し気な表情になった。僧が口を開くより早く、悟浄が問いかける。 「可念の居場所は言わなくていいからさ。ここを襲った妖怪の事、詳しく教えてくんない?」 怒りのオーラを漲らせながらも、軽い口調で問いかける男の瞳は、紅蓮の炎が燃えているかの如く。 美しい、とその若い僧侶は思った。 |