STAND UP!(4)

何か圧迫感のようなものを感じて、三蔵は眼を覚ました。あたりはうっすらと明るい。もうすぐ、夜が明ける。

「大丈夫〜、俺まだ食える〜」

幸せな夢を見ているらしい悟空の足が、三蔵の体の上に乗っかっている。どうやらこのせいで眼を覚ましたらしい。
「ったく、どうやったらこういう体勢で寝れるんだ‥‥」
乱暴に叩き落としても一向に目覚めない。夕べは夜中まで悟浄と騒いでいたのだ、無理もないが。

そこで、三蔵の意識は急激に覚醒した。

悟浄が、いない。

毛布に触れてみると冷え切っていた。
「何処行きやがった‥‥‥あの馬鹿」
苛立ちを抑え、立ち上がった。
 

 

川辺の大きな岩に座り込んで、悟浄は煙草を咥えていた。昨日よりはやや水は引いたようだが、やはり流れは激しい。大きなうねりが岩にぶつかりながら砕け押し流される様を、悟浄はただぼんやりと眺めていた。

背後から、人の気配が近づいてくる。誰、と聞くまでも無い。顔を向けると、いきなり視界に広がる金色。わかっていても、目を奪われる。

「‥‥火」
「え?あ‥‥と、ハイ」

隣にどっかりと腰を下ろした三蔵が眩しくて、言葉に反応するのが遅れてしまった。わたわたと取り出したライターで、咥えられた煙草に火を灯す。その指先に巻かれた白い包帯が痛々しい。

「まだ、痛むか?」

「いんや?八戒が傷は塞いでくれたし‥‥爪は所々無えけど」
「指の話じゃねえよ」

ハッとして、その端正な横顔に目をやると、いつもの不機嫌な表情。しかし、それが彼の本心を隠すための仮面であることに気付いたのはいつだっただろうか。

そのまま、どちらも口を利かなかった。三蔵が、自分の言葉を待っている、と悟浄は感じていた。
いつも、そうだ。いつも、こいつは俺を待ってくれている。俺が追いつくのを待ってくれている。自分の足を止めてまで。だから俺は、今こいつに言わなければならない。

「三蔵」
「‥‥‥何だ」
「俺さ、約束したじゃん?もう自分が禁忌の子供だからって遠慮しないって。何があってもお前の側にいるって」

「それがどうした。‥‥まさか気のせいでしたとかぬかしやがったら‥‥」
慌ててぶんぶんと手を振った。
「違う違う!そうじゃねぇよ!そうじゃなくてさ‥‥、俺思ってたんだわ。お前の隣にいるためには、自分がそんなこと気にしなくてもいいぐらい、強くならなくちゃなんねぇんだ、って。そのためには、そんなことで傷付いたり悩んだりするようじゃ駄目なんだ、って」
「‥‥‥」
「俺のこの髪と眼はどんなにあがいたところで一生このままだし、それを他人がどう言おうと俺にはどうしようもねぇ事じゃん?そんなことでいちいち自分の生き方変えようなんて思わねぇけど、なんつうの?こう、存在するだけで向けられる悪意があってさあ。そのせいで、生まれたばっかの赤ん坊があんな残酷な殺され方しなきゃならなかった、てのは結構、キた」

煙草をもみ消しながら、なるべく軽い調子で言ってみる。同情だけは、されたくなかったから。
「何があっても、って覚悟は決めてる。けど、それほどの負の感情だぜ?いつ周りの奴等まで巻き込むかもわかんねーってのは、痛ぇよな。なのに自分の事をまったく気にしなくなるってのも違うんじゃねーかなーとか。その痛みを感じなくなる事の方が、俺が俺じゃなくなるっつーか‥‥、何言ってんのかね、俺」

「‥‥いい、続けろ」

「痛ぇって感じてヘコんでさあ‥‥でもそういう部分もやっぱり俺でさ。手放せねぇんだわ。っつーか、手放したく、ねぇんだわ。 逃げてるって思われるかもな」

そして、悟浄の周りの空気が、わずかに緊張した。

「けど、それが俺なんだわ」

 

自分は強くなれないかもしれない、だからお前の側にいる資格は無いのかもしれない。
言外にそう告げられても、三蔵は表情を変えなかった。

「‥‥やっぱりお前は真性の馬鹿だな」
「‥‥‥」
「今度の事で何も感じないようなお前なら、興味ねぇよ」
「‥‥‥」
「消せない痛みの一つや二つ、誰にだってあるだろ。それにつまづいて転ぶのは勝手だが、大事なのはそこから立ち上がる力があるかどうかって事じゃねぇのか?別に痛みを根こそぎ消しちまうことだけが強さってわけでもねえだろ。少なくとも俺は」
そこでいったん言葉を切ると、初めて悟浄と目を合わせた。
「‥‥俺は、消す気はねぇよ。例えその痛みが悪夢でなくなっても、一生忘れねぇ」
それは、あの方の最期の瞬間。夢に見る回数こそ減ったけれど。痛みが薄れるわけでもなく、悲しみを忘れるわけでもなくて。

「それとも何か?お前は転んだままずっと地面に這いつくばってるつもりか?それならそれで知ったこっちゃねぇが、立ち上がって戻ってくる気があるなら隣はあけといてやる」
「‥‥‥」
「例え誰かがお前の事で俺にちょっかい出してきやがったとして、俺が黙ってると思うのか?お前みたく鈍くねぇんだ、速攻倍返しだな。悟空と八戒も同じだろ。‥‥‥まあ、八戒の奴は10倍返しだろうがな」

短くなった煙草を川に投げ捨てる。先程の科白といい、煙草といい、八戒がこの場にいたら、それこそただでは済まないだろう。
一見温和な笑顔を思い浮かべながら、三蔵は2本目の煙草を取り出した。

「――オイ」
火‥と続けようとして、出来なかった。悟浄に抱きしめられていた。

「良かった‥‥もう要らねぇ、って言われたら、どうしようかと思った‥‥」
僅かに声が震えている。
「お前がヘタレてるくらいで愛想つかしてたら、キリがねぇな」
ひでぇよ、と悟浄が笑う。

「俺、これからもきっと転ぶよ?転んで、立ち上がって、また転んで‥‥もし、自力で出られないような深い溝に嵌っちまったら誰かの手を借りてでも這い上がって‥‥どんなに泥だらけになってても、お前の隣に戻るんだろうなぁ。追いつくために、必死で走ってさ」

走る方向は、間違えない。自分には、この光がある。自分を導いてくれる、確かな光。
三蔵は少し体勢を変えると、悟浄を抱きしめ返してやった。悟浄は自分を包む輝きを、逃さぬように腕に力を込めた。

「‥オイ」
しばらく、二人でそのままじっとしていたが‥‥腕を解かないまま、三蔵が呼びかける。
「ん?」
「誰かじゃねぇ。溝に嵌った時には俺を呼べ。何のために隣にいると思ってんだ、夕べだって悟空なんかに‥‥」

「え?悟空?猿がどうかした?」

「‥‥何でもねぇ」

「‥‥‥」
「‥‥‥」
「もしかしてさ」
「‥‥‥」
「お前、猿に妬い‥‥‥うおっ!急に撃つな!しかもこんな近くで!マジ、ヤバかったぞ今!」
「‥‥戻るぞ。今ので二人が起きる」
「てめーのせいだろーが!」

さっきまでの殊勝な態度はどこへやら。三蔵に言い捨て、歩き出そうとした悟浄は、ふと足を止めた。訝しげな表情の三蔵の前に立つと、ちゅ、と掠めるだけのキス。

「さんきゅ、な」

引き寄せようとした三蔵の手をすり抜け、片目を瞑る。そのまま、踵を返すと仲間の元へと歩き出した。

―――半端な煽り方、してんじゃねぇよ。

もうすぐ出発、という時刻でなければ迷わず押し倒している。生まれかけた熱を、理性を総動員して押さえつけた。

―――野郎‥‥次は、覚悟しときやがれ。

三蔵の胸の内を知ってか知らずか、どんどん先を歩いていく悟浄。

この男はまた一つ、何かを乗り越えた。自分の弱さを認められる強さ、それが悟浄にはある。本人には言わないが。

「追いつくために走ってんのは、こっちの方だ」
呟かれた言葉は、森に立ち込める朝もやの中に消えていった。
 

 

「STAND UP!」完

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