贈り物(2)

―――石、だと?

歩きながら、三蔵は怒りに震えていた。
 

蘇る、記憶。

『そんなに欲しけりゃ、これでも持ってけ!!』

三年前、しつこく言い募る悟浄に、三蔵は確か―――机の上にあった小石を投げつけた筈だった。
それは、たまたま悟空が拾ってきた、少し赤味がかった普通の小石。
大地の気を持つ悟空は、土やら石やらを好み、時々小石などを拾ってきては並べて眺めていた。何の鉱石が混ざっているのか知らないが、日に翳すとキラキラと光るその石が綺麗だったからと、三蔵に見せに来たまま置き忘れていったのだ。後で片付けさせようとそのまま放置しておいた三蔵自身も、その存在をすっかり忘れていた。

曲りなりにも誕生日の祝いを求めて手を差し出した者に対して石を投げ付けてしまった事は、悟浄が去り、仕事が一段落した後で、三蔵の胸に罪悪感に似た苦いものを僅かに沸きあがらせた。
だが、そんなこともすぐに忘れた。次に会った時には、本人は全く気にした風もなく、相変わらずの軽口を叩きながら絡んできては三蔵を苛付かせていたからだ。
 

そもそもだ、と三蔵の眉間の皺が一本増える。

あの時と言えば俺はまだ悟浄への想いは自覚してなかった―――もとい、悟浄のことなど何とも思っていなかった頃。そんな頃とはいえ、自分のとった行動に不覚にも罪悪感のようなものを抱いてしまったというのに。

だが、当の本人は全く気にしてないどころか、石を手にして喜んでいたというのか。
そう考えると沸々と三蔵の心には怒りが沸いてきた。
 

(あの自虐河童が!)

あんなものを「三蔵から貰ったもの」として後生大事に取って置くつもりだったのか。

冗談じゃない。

初めての贈り物がそんな物では、この俺のプライドが許さない。八戒にも後できっちり説明させてやる。あの勘のいい男の事だ、悟浄が拘っていた石に俺が関わっていた事など、既にお見通しだろう。俺が石なんぞくれてやったと思われているなら、心外この上ない。

大体そんなに俺のことが好きなら、告白するとか、アプローチするとか、何かあるだろうが!何で最初っから諦めてんだ!石なんかで満足してんじゃねぇよ!!思い出の品を作る前にやる事をやれ!!

三蔵の頭の中は、三年前の悟浄に対する苦情で溢れんばかりになっていた。
 

 

 

 

見回りをしている筈の悟浄と悟空が、のんびりと茂みで寛いでいるところへ三蔵は乗り込み、有無を言わせず悟空だけ追い払った。悟空は振り向きもせず去っていく。

「こんの裏切り者ぉ!俺を置いていくなーっ!」

心なしか嬉しそうに見えるその後姿に、悟浄は恨めしげな視線を送る。三蔵は、逃げないようにと掴んでいた悟浄の襟首を離すと、頭を一発殴って騒がしい口を黙らせた。頭を抱え、唸っている悟浄を蹴り倒し、そのまま腹の上に腰を落とす。グエ、と情けない声が下の方から三蔵の耳に届いた。

「何しやがんだ!どけ、クソ坊主!」

ぎゃあぎゃあと喚く悟浄の額に銃を突き付け、銜えたマルボロに反対側の手で火を点ける。三蔵の怒りが通じたのだろう、悟浄はピタリと騒ぐのを止めた。

「――――誕生祝が、欲しいか?」
「‥‥ああ?んな寒いもんいらねぇよ」
「ほお」

予想通りの返答に、三蔵はチャキと銃の撃鉄を上げる。

「‥‥それにしちゃあ、あの石は随分大事にしてたみてぇじゃねぇか」

ぎくりと悟浄が身を強張らせた。もしかしたらただの偶然かもしれないと、三蔵が一応かけたカマは見事にヒットしたようだ。

――――間違いねぇ、な。

 

「随分と、ふざけた真似してくれたようだな?」

まさか三蔵が知っているとは思っていなかった悟浄は、その場を誤魔化す方策を捜すようにしばらく唸っていたが――――ややあって、観念したのかおもむろに口を開いた。

「‥‥‥あー、あれね‥‥」

三蔵から隠すように顔を俯けようとした悟浄だったが、額に突き付けられた銃口がそれを許さない。子供の悪戯がバレてしまった時のような、バツの悪い顔をして、悟浄は口元を歪めた。

「自分でも、馬鹿な事しちまったなーって、思った」

ハハ、と乾いた笑いを零す悟浄に、三蔵はようやく銃の標準を外す。怒りは収まっていなかったが、反省しているというのなら撃つ訳にもいかねぇ――などと珍しく理性的な判断をしてみたのだが、次の悟浄の台詞でその無駄を悟った。

「そりゃあもう、ものすごく後悔したぜ?失くした時の事なんか考えてなかったからよ。物なんか強請るもんじゃねーな」

どう聞いても、それは「せっかく貰った石を無くした」事に対する後悔で。三蔵は、僅かに眩暈を覚える。

「‥‥‥反省点はそこじゃねぇだろ」
「?じゃあ、ドコよ?あ、もしかして、返して貰いたかったとか言う?いいだろが石くらいくれたって。ケチ臭ぇな」

ピキ。

三蔵は自分のこめかみに青筋が浮かぶ音を聞いた気がした。三蔵の怒りのボルテージの高さを察知した悟浄は、やれやれと首を振る。

「んだよまだ文句あんのかよ?あー分かった分かったゴメンナサイ。あの石失くしたの、怒ってんダロ?」

「てめぇはっ‥‥!!」

ふるふると怒りに震える三蔵は、あまりの悟浄の馬鹿さ加減に発砲すら忘れていた。完全に脱力する。ずるずると悟浄の上から体をどけると、三蔵はその場にへたり込んだ。

「‥‥‥ええと、三蔵サマ?どしたの?」
「‥‥もう話しかけんな。俺まで馬鹿になる」

相変わらず三蔵の怒りの原因を勘違いしている悟浄は、三蔵の様子に戸惑いを隠せない。

もしかしてすごく珍しい宝石の原石だったとか?今更そんな事言われても。

とんちんかんな想像を巡らせる悟浄だったが、それでもはっきりと分かるのは、とにかく三蔵が怒っている、という事実。

「いい加減機嫌直してよ。第一そんな三年も前のこと怒られてもさ。何て言えばいいワケ?『以後気をつけます』?」

確かにそれはそうなのだ。
今、仮に悟浄が同じ状況に置かれたとして、三蔵に対してそんな乙女な行動を取るかどうか――――想いが通じた今となっては、そんな馬鹿な真似をする必要もなくなったために確認することは適わない。
だが、それにしてもだ。このやり場のない憤りはどうすればいいのか。

もはやそれは、諦めることしか知らなかった悟浄に対しての怒りなのか、そんな悟浄に石を投げつけた自分に対する怒りなのか、三蔵にも判断が付かなくなっていた。

苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでしまった三蔵に、悟浄はどう言葉をかけるべきか考えていた様子だったが――――。

 

 

 

「寒い」

急に背中に張り付いてきた、自分より大きい図体に三蔵の思考は中断される。冷えた背中にじんわりと広がる、悟浄の体温。

「すっげー寒い。な、暖めあおうぜ?」

ピタリと体を密着させ、後ろから三蔵の顔を覗き込んでくるように悟浄は抱きついてくる。
三蔵の耳に寄せられた唇の冷たさとそれを裏切る吐息の熱っぽさに、三蔵は悟浄の首を引き寄せて、口付けた。言いたい事は山ほどあったが、多分一晩では終わらない。もどかしい言葉の代わりに口付けを深くした。大気も、大地も、全てが冷たく凍る中で、唇が、舌が、腕が――触れ合った部分全てが熱い。

丸め込まれたな、と思う気もするが、今この腕を離す気にはなれない。三蔵が唇を解放してやると、悟浄が潤んだ瞳で見詰めてきた。額に軽く口付け、三蔵はそのまま悟浄を引き倒すような形で仰向けに寝転んだ。そのまま、ただ抱きしめる。

時折、風が木々を揺らす音が響くが、他に音は無い。しいて言えば、僅かにあがった悟浄の呼吸音が三蔵の耳に心地よく届く。だがそれも、しばらくすると治まった。

静かに、時が流れていく。

と、不意にじりじりと悟浄がにじり上がってきた。三蔵の顔を覗き込んで、口元を持ち上げる。

「なぁ、しねぇの?」
「このクソ寒いのに外で、か?‥‥‥風邪でもひいたらあいつらにどう言い訳するつもりだ」
「あ、そっか」

ぱふ、と音を立てて、悟浄が三蔵の胸に頭をおく。三蔵が片手で悟浄の長い髪を梳くと、くすぐったそうに頬を押し付けてきた。
 

再び流れる、静寂の時。
お互いのぬくもりだけが、今ここにある全てだった。
 

「俺‥‥生まれてきて良かったかも」

ぽつりと、胸の辺りから悟浄の呟きが聞こえてきて、三蔵は自分の怒りが静まるのを感じた。
どうしようもなく馬鹿な男ではある、が。それでも三年前よりは、少しはマシになったようだ。
手にしたままの髪を一房すくい、そのまま唇に寄せる。悟浄は嬉しそうな笑みを浮かべると、眼を閉じた。
 

目で見ることは出来ないけれど。
触れることも出来ないけれど。
 

―――形あるものより確かなモノを、お前に贈ろう。
 

 

「贈り物」完

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