『ちょーだい』

それは、俺たちが出会って初めての、肌寒い季節を迎えた頃。
突然寺を訪ねてきた紅い髪の男は、顔中に嘘臭い笑顔を貼り付かせ、わざとらしく両手を突き出した。

『何の真似だ』
『俺、誕生日なのよ、今日。だから、ナンかちょーだい』
『いい年して恥ずかしいとか思わんのか』
『そう言えば、これからしばらくは俺、三蔵様と同い年だよな。あーヤダヤダ、とんだジジイになっちまった』

ピキ、と青筋が浮かぶのが自分でも分かる。銃をしまってある引き出しに手をかけると、大げさに縮こまって『暴力反対!』とか抜かしやがった。

『‥‥貴様に誕生日を祝うとかいう普通の感性があったとは驚きだな』
『当たり前だろぉが!せっかく無条件に物が貰える日を‥‥‥‥ってオイこら、テメェ無視してんなよクソ坊主!』

相手をするのも馬鹿らしい。こいつに邪魔されて途中になっていた書類を広げると、凝りもせず『なあなあ、何でもいいからさぁ』と纏わり付いてくる。しばらく無視していたが、あまりのしつこさに遂にキレた。

『煩ェ!俺は忙しいんだ、馬鹿と付き合ってる暇は無ぇ!とっとと帰れ!』

悟浄はそんな俺の反応も予想していたのか相変わらずヘラヘラした笑いを浮かべている。
それは、只でさえ山と積まれた書類を前にうんざりしていた俺の神経を、さらに逆撫でするには十分だった。咄嗟に机の上にあったものを掴む。
 

『そんなに欲しけりゃ―――』
 

 

 

 

 

贈り物
 

 

 

 

 

(妙な事、思い出しちまったじゃねぇか‥‥)

ジープに揺られながら、三蔵の機嫌は下降の一途をたどっていた。
始まりは、今朝。
朝食を摂っていた時の八戒の何気ない一言による。

『確か、悟浄の誕生日じゃないですか?今日』

出会ってから三年余り、いい大人の男がお誕生日でもあるまいと、普段話題に上ることも、その日に特別な事をしてきたという訳でもない。
実際、今朝のその会話も、『誕生日=祝い事=豪華な食事』の図式しか思い浮かばない猿がケーキだ肉だと一通り騒いだだけで、何という事もなく流された。

そもそも、自分には一応誕生日があるが、正確にこの世に生を受けた日ではないし、悟空のも正しいのかどうか良く分かっていない。そんな日を祝うのも馬鹿らしいと自分では思っている。
その日にどんな意味を持たせるかは、自分自身の問題だ。他人に無理に祝って貰わなくとも構わない。
もっとも、三蔵がそう思うだけで、同居していた悟浄と八戒は何かしら互いに祝いあっていたのかもしれない。
だが、それも旅に出てからは行われてはいない‥‥筈だ。僅かに自信が無いのは、二人だけで通じている何かを、悟浄と八戒が持っているからだ。それを眼にする度、三蔵が内心忌々しく感じていたのは悔しいけれど事実で。――――勿論、表面上は平静を取り繕っていたのだが。

とにかく、悟浄が三蔵に自分の誕生日をアピールして物を強請ってきたのは後にも先にも一回きり。出会ってから初めての誕生日の時だけだ。
今年も、悟浄は三蔵に対してそういう素振りを見せていない。
 

改まって「誕生日のお祝い」なんてお互いガラじゃない――が。
三年前のあの時からは想像も付かないほど、二人の関係は激変した。だから祝ってやろう、という訳ではないが、思い出してしまうと妙に気になる。
 

不覚にも思い出してしまった悟浄の誕生日を無視するか否か。
三蔵は、苦々しげにシートに身を沈めた。
 

 

 

 

思い切って「おめでとう」の一つでも言ってやろうか、だが祝いを受けて奴は喜ぶのか、と思い悩んでいるうちに夜になってしまい、ますます切り出す機会を失っていく。だがこのまま、うやむやのままに今日という日を終えさせるのも躊躇われた。当然の話だが、次の悟浄の誕生日までには一年あるのだ。

「プレゼントはあげないんですか?」

日もどっぷりと暮れた森の中、野営場所に決めた場所で、三蔵は八戒に唐突に切り出された。
珍しいほどの静かな夜。辺りに響くのはパチパチと盛んに炎を上げる目の前の焚き火の音だけ。オレンジ色の炎は明るさと暖かさを供給し、深い森の不気味さを和らげてくれていた。

「‥‥お前は、どうなんだ」

焚き火の側には、三蔵と八戒しかいない。振られた話題にこれ幸いと、三蔵は内心気になっていた八戒の動向を探る。悟浄と悟空は夕食を終えるとすぐ、周りを見てくると言い残し、姿を消した。何のことは無い、結局一日中頭を悩ます事になった三蔵の不機嫌さに閉口した二人は、さっさと逃亡したのだ。

「僕は別に‥‥今までも特に何も贈っていませんし」

八戒から返される返答に、三蔵は気取られないよう安堵のため息をつく。
ジープの頭を撫でてやりながら、三蔵の表情をちら、と伺い見た八戒は、再びジープへ優しい目を向けた。

「あまりモノには執着しない人ですからねぇ‥‥そもそも、誕生日に悟浄は家には居ませんでしたし」

その部分は‥‥聞くんじゃなかった。三蔵の眉間にこれ以上はないというぐらい皺が寄る。そうだ、あの馬鹿の事だ、誕生日なんていうものは、女を口説くためのアイテムの一つでしかないだろう。らしいと言えば、らしいのかもしれないが。

「それでも当日の夜には帰ってきてましたから、乾杯はしてたんですよ、いつも。その時だけは珍しいお酒を買ってきて。いつの間にか『自分が飲んだことのないお酒を飲む日』って事に、なってましたね。おまけに何に乾杯するって、『この酒が美味い酒であることを願って乾杯!』とかですからねぇ‥‥完全に飲むための口実ですよ」

確かに、そんなものだろう―――と三蔵は納得する。誕生日を祝うという光景が、悟浄と八戒からは想像できない。
特に少々ひねくれたところのあるあの男。
今までの悟浄の思考の傾向から考えて、自分がこの世に生を受けた事を素直に喜んでいるとは思えない。

「どんなにそれが不味いお酒でも、全部飲まないといけないって暗黙のルールまで出来ちゃって、去年の僕の誕生日なんか悲惨でした」

まあ、楽しかったですけどね。穏やかに微笑んで、八戒は今度はきちんと三蔵へ顔を向けた。

「‥‥でも、それは相手が僕だったから、ですよ」
「‥‥‥‥」
「三蔵からだったら、何かを貰いたいと思うかもしれませんよ?」
「‥‥‥‥」

さらに何かを言いたげな八戒の視線を黙殺し、三蔵は煙草を取り出した。
 

 

今の八戒の話で、分かった事。
悟浄にとって、やはり誕生日はとりたてて祝うものではないらしい。
誰彼構わず、物を強請るような真似もしていないようだ。
だとしたら、だ。
三年前のあれは、単に『三蔵から何かを貰おう』と画策し、誕生日をいい機会だと思ったに違いない。
結果的には自分は何もやらなかったので、その目論見は失敗に終わったわけだが―――。その手は使えないと学習して、翌年からは要求しなくなったというだけの事だろう。

悟浄が実はかなり前から自分に想いを抱いていたという事は、既に知っている。何故悟浄が自分から何かを貰いたかったのかも、想像が付く。あの馬鹿の事だ、『どうせ想いは通じないのだから、せめて思い出の品を』とでも考えたのだろう。

三蔵は、あの時悟浄に何も渡さなかったことを、心底良かったと思った。ヘタに品物を渡して、想いを昇華されでもしていたら敵わないところだ。
 

 

すっかり黙り込んでしまった三蔵の様子をどう解釈したのか、八戒は再びジープをあやす作業に没頭しようとして―――そう言えば、と呟いた。

「三年前に一度、意外なことがあったんですよ。意外というか、不思議というか‥‥‥未だに何だったのか、よくわからないんですけどね」
「何だそれは」

三蔵は、胡乱な目を向ける。八戒にしては、珍しく歯切れが悪い。

「悟浄がモノに執着した、と言えるかどうか分かりませんけど。小石を、大事にしてたことがあったんです。こう―――ちょっと綺麗な感じの」
「石、か?あの河童が?」
「意外でしょう?そういうの好きで集める人もいますから、まあ不思議じゃないと言えばそうなんでしょうけど‥‥‥」

どこか含みのある八戒の言葉に、三蔵は視線で続きを促す。

「あれは三年前の‥‥‥ちょうど今頃の季節だったと思います」
 八戒は何かを思い出すように、僅かに三蔵から視線を外した。

 

 

たまには外でメシでも食うかと、八戒と悟浄は町に出ていた。
通りに並ぶ露店では、威勢のいい掛け声と値切り交渉のかしましい大声。普段悟浄が「出勤」で見慣れている夜とは、また違った表情を見せている。通りに溢れんばかりの買い物客にもみくちゃにされ、さしもの八戒も閉口した。この道を通るんじゃなかったですね、と同意を得ようと隣に視線をやれば―――悟浄が、いない。

『悟浄?』

慌てて八戒が振り返ると、僅かに後ろでパタパタと体中のポケットというポケットを叩いている悟浄の姿が、眼に飛び込んできた。
それは明らかに何かを探している仕草。煙草は銜えているから、だとしたら、財布か。
掏られたんですか、と問おうとした矢先に、悟浄は財布を八戒の鼻先に突き出した。

『悪ィ、ちょっと持ってて』

ポケットを引っ張り出すようにして一心不乱に何かを探している悟浄に、八戒は訝しげな視線を送った。どうやら目的の物は見つからなかったらしく、悟浄はあからさまに肩を落としている。

『大事なものですか?』
『ん―――、ちょっとな』
『どんな物ですか?僕も一緒に探しますから、来た道を引き返してみましょうか』
『多分、無理。石コロだから』
『石‥‥あの石ですか?』

それなら知っている。
いつか、悟浄が妙に嬉しそうに、机の上に置かれたソレを眺めていた事があった。それからも、時々大事そうに机から取り出しては見詰めている。だがニコニコと笑っているはずの横顔が、何故だか妙に悲しく見えて、悟浄が石を取り出している時は、声もかけず気付かれないよう静かに行動するのが八戒の密かな習慣になっていた。

『メシ屋で落としたんなら見つかるかなぁ‥‥ワリーな八戒、先に帰っててくれや』
『ちょっと、悟浄!?』

脱兎のごとく駆け去る悟浄の後姿を、八戒は呆然と見送った。
 

 

 

「その日は、かなり遅くに戻ってきて‥‥結局、見つからなかったみたいですけどね。僕の前では平気な顔してましたけど、かなり落ち込んでました。その石が何だったのかは、誤魔化されちゃったんですけどね‥‥‥集めてるんだって言ってましたけど、それ一つしかなかったし――――あの、聞いてます?、三蔵?」

「―――ああ」

ばちん。
焚き火にくべた木が大きく爆ぜた。
短くなった煙草を炎の中に投げ入れ、三蔵はひとつ息をつくとゆっくりと立ち上がる。また少し、気温が下がったようだ。

「少し、歩いてくる」

一方的に会話を打ち切り、立ち去る三蔵の後姿に、八戒は大きくため息をついた。

―――何だかなぁ。と思う。

悟浄の誕生日を祝いたいのなら、素直にそうすればいいのだ。確かに、悟浄が今日という日に心から喜びを感じているかどうかと問われれば――――少し、いやかなり首を傾げざるを得ない。

だが、それなら三蔵が喜びを教えてやればいい。喜びを感じさせてやればいい。

石の話を持ち出したのは、勿論計算ずくだった。悟浄が自分の過去以外に執着するものには、九割方三蔵が関わっている。そう思ってわざと話を持ち出したのだが、どうやらビンゴだったらしい。
誰も寄せ付けない程の不機嫌を三蔵が纏うのはいつもの事だ。だがせめて今日だけは、悟浄の側にいてやって欲しい。
 

これが八戒の、悟浄への誕生日プレゼントだった。
 

 

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