Happy Medicine 1.85(4)

それはその夜の情事の後、気だるい雰囲気の中で始まった。

悟浄が隣で荒い呼吸を整えるのを、三蔵は悟浄の髪を弄びながら眺めている。三蔵の視線に気付いた悟浄が、うつ伏せた体制のままくるりと首の向きを変え、悪戯っぽく笑った。

「満足したかよ?」
「ああ」
「俺もいつものダーリンが一番よ、なんつって。‥‥OK?」
「ああ」
「薬なんか飲まなくったって、結構イケてるだろ?」
「ああ‥‥?」
「じゃあ、二度と俺に妙な薬飲ませんなよ?」
「な‥‥!?」

その発言の意味するところを理解した三蔵は、がばりと身体を起こす。

「お前、知って‥?」

そんな三蔵の様子を、悟浄は実に楽しげに見上げている。

「人に妙な薬使うから、罰が当たんだよ。反省しろ、コラ」

三蔵はただ呆然と悟浄を見下ろすしかない。

「一体、いつ‥‥?」
「あの日お前が寝てる間に。八戒問い詰めたらすぐゲロった」
「あの日?‥‥‥ってのは‥‥‥、まさか」
「そ。そのまさか」

悟浄に薬を飲ませ、結局返り討ちに遭う状態で疲労困憊した後、宿の主人の発言によりとんでもない誤解を招いた挙句、悟浄のトラウマを刺激してしまった事を思い知らされた痛恨の日。そんな前から―――。

―――と、そこまで考えて、三蔵ははたと気が付いた。

あの時、悟浄に夢の話を聞かされたのは―――三蔵が眠りから目覚めた後だった筈だ。
 

俺が眠っている間に、八戒に説明された?
では、あの悟浄が見た夢の話は?
俺に拒まれた夢を見たのだと悲しげに語った時には、既に八戒から事情を聞かされていて?
何もかも、知っていたと?
拒まれたのは夢で無く現実だと知った上の、演技だったと?
 

愕然とする三蔵の表情が物語る事を、悟浄は聡くも瞬時に理解したらしい。軽く髪をかき上げ、してやったりという笑みを満面に浮かべた。

「あ。ひょっとしてあの夢の話?んなの嘘に決まってんだろーが」
案外お人好しだよな、オマエ。

片方の眉を揶揄するように引き上げる悟浄に、三蔵は言葉もない。

「口で怒ってもぜってー聞かねーだろーからさ。あーゆー言い方のが、お前コタえるし?ビンゴだったろ」
「‥‥貴様‥‥」

それだけを口にするのがやっとだった。

「おんや?怒る権利あんのかなぁ、さんちゃん?」

どこまでも楽しそうな悟浄の顔に、三蔵の身体から力が抜ける。
自業自得、という事なのだ。
悟浄は三蔵に薬を盛られた仕返しをした。ただ、それだけの事。
だから、三蔵に文句を言える筋合いは何所にもないのだ。

多分、どこにも。
 

「ま、これでおあいこって事で」

三蔵の心を読んだかのような一言を告げ、悪戯小僧のような笑みのまま、悟浄は片目を瞑った。
 

 

 

******

 

翌朝、三蔵は八戒を捕まえると、人気の無い裏庭まで引き摺ってきた。

「てめぇ、何チクってやがる!」

結局、収まりきらない三蔵の怒りの矛先は、悟浄に事の真相を知らせた八戒に向く事になったらしい。三蔵も自業自得だと頭では理解しようとしてみるのだが、どうにも感情が付いてきてはくれない。
 

悟浄が、自分を騙した。悟浄の傷を癒してやりたいと思う、自分の想いを利用して。

だが実は、騙されたという事よりも、悟浄が自らの弱い部分を意図的に演じて見せたという事実に三蔵は衝撃を受けていた。無条件に三蔵が騙されるだろう、その部分を。

衝撃と違和感がない交ぜとなり、三蔵をどうしようもなく苛立たせる。

「だって話さない訳にはいかないでしょ?明らかに三蔵の様子が変だってのに、説明しない方が問題が大きくなりますよ」

三蔵の内心の嵐を知る由も無い八戒は、さも心外と言わんばかりに口を尖らせた。

「悟浄、すごく心配してたんですよ。『この前も具合悪いって言ってたじゃねーか。あいつ、どこか悪いんじゃねぇのか、大丈夫なのか』って。余程心配だったから、窓からでも様子を見に行ったんでしょうね」

三蔵は、僅かに目を見開いた。

『ここ最近、お前結構寝込むよな』

そう言って、わざわざ窓から部屋へ乗り込んできた悟浄。伺うように顔を覗き込んできた拍子に、さらりと揺れた髪を思い出す。口調が普段どおり軽いものだったから、心配をかけてしまっていたなどとは夢にも思わなかった。

「という訳で昨日の昼、貴方が眠ってる間にきっちり説明しておきました。悟浄は生理痛の薬だって信じてましたから、妙な作用が出たのはヤバいんじゃないかって大騒ぎで。泣きそうな顔して僕のところに来るんですもん。―――てっきり勢いに乗って貴方をヤっちゃって、どーしよー、ってなってたんだと思ったんですけど、違ってたんですねぇ」

恐ろしい事をさらりと告げられ、三蔵は一瞬、本来言うべき事を忘れそうになった。が、すぐさま気を取り直す。このまま完結されては、腹の虫が収まらない。ゴホンとひとつ咳払いをした。

「‥‥今回の件はともかくとして、俺が言ってんのは前の事なんだよ!何で奴に話す必要がある!」

言いながら、どんどんと感情が昂ぶっていくのを三蔵は抑える事が出来ない。
悟浄が自分の身体を気にかけてくれたのは、正直嬉しく思う。だからこそ、憤りとも悲しみともつかない不可思議な感情が、行き場を求めて三蔵の中で渦巻いているのだ。
嘘なら、今までも散々吐かれた。もしかしたら、本心を告げる事の方が稀だと思えるくらいの勢いで。

けれど、違う。今までの嘘とは、違うのだ。

三蔵は拳をきつく握り締めた。
分かっている。本当に問いたいのは八戒にではない。此処にはいない、紅い髪の男。
 

何故あんな嘘をついた。
悟浄。
 

どうして。
 

 

 

******

 

三蔵の八つ当たりを一身に受ける羽目になった八戒は、やれやれと頭を振った。

「お言葉ですが、そもそも僕がどうしてあんな薬を持ってたかというと、貴方が買っておけと仰ったからですよ?悟浄にも『何でそんな薬を持ってたんだ』って突っ込まれましたし。まぁ、当然の疑問ですけどね―――ともかく、その点ははっきりとさせていただきませんと。僕の人格を疑われるのは御免です」

「てめぇの人格なんざとっくに―――」

早口で捲し立てられた八戒の反論を鼻で笑い、吐き捨てるように揶揄しかけた三蔵は、そこでふと、ある事に気付き言葉を切った。

「‥‥いつ、話したって?」
「はい?」
「悟浄に、いつ話した?」
「しつこいなぁ。だから昨日ですってば。はっきり催淫剤のせいだと分かった方が安心するでしょ?それともまだ文句が―――」

八戒の機嫌がどんどん下降しているのが口調で知れる。普段なら回避すべき状況であるが、今の三蔵にそんな些細な事に構っている余裕など無かった。

「いや、それはいい。―――例の件‥‥悟浄に薬を飲ませた事を話したのは、昨日なのか?」
「?ええ。そう言ってるでしょう?前の件と昨日の件、一緒に説明したんです」
 

―――やられた。
 

「くっ‥‥く、く」
「‥‥三蔵?」

突然肩を震わせ笑い出した三蔵に、八戒の目が不審気に眇められる。
何でもないと手で制しながら、体内でわだかまっていたどす黒い何かが、急速に霧散していくのを三蔵は感じていた。
 

やはり、悟浄は平気な顔で嘘をつく。
ただ。
とても奴らしい、優しい嘘を。
 

悟浄が薬の存在を知ったのは、昨日。
ならばあの日の悟浄の言動が、薬を飲まされた報復のためという理由では在り得ない。
 

所在無く宙をさ迷っていたパズルのピースが、ひとつ残らず在るべき所へ嵌った音を、三蔵は確かに聞いた。
 

 

 

******

 

三蔵を悩ませていたのは、ただ一点。

『どうして悟浄が自分の想いに付け込む様な真似をしたのか』

いくら頭を悩ませても、分からなかった。
だが、その疑問が予め存在しないものであるならば。
事態は、きっと単純なことなのだ。

悟浄が何故、あの日の自分を嘘にしたかなどと、三蔵には容易に推測できるのだから。

 

実は三蔵の飲んだのは生理痛の薬ではなく催淫剤で、数週間前には悟浄も飲まされたのだと八戒に説明されたとして。
 

例えば、こんなところだろうか。と三蔵は考える。
 

――――まず最初は、俺に怒りを覚える。まぁ当然だ。自分の知らないうちに得体の知れない薬を飲まされたんだからな。

次に来るのは、後悔だ。嫌な夢に魘されたと思い込み、俺に気弱なところを見せてしまったと落ち込んだだろう。ひょっとしたら、もっと前から恥ずかしい事をしたと思っていたのかもしれない。

そして、青ざめる。

夢なら笑って済む筈の話が、現実なら洒落になってないのではないかと。
自分の言動が、暗に俺を責めたものになっていたのではないかと。
俺に、後ろめたさを感じさせてしまったのではないかと。
 

あの馬鹿が抱いたのは、俺に対する腹立ちと――――。それを掻き消すだけの、罪悪感。
 

だから、嘘にした。

己の恥と俺の抱いた筈の後ろめたさ。
悟浄にしてみれば、二つを一緒に消し去れる絶好の機会だったという訳だ。自らの弱さのせいで俺に後ろめたい思いをさせるぐらいなら、多少嫌な奴だと思わせておけば良いと考えて。
八戒から聞かされた事実にうろたえ、安酒場で一人頭を抱えながら悩む悟浄の姿が目に浮かんだ。
 

馬鹿な奴だ。
本当に――――。
 

 

 

恐らく、自分の想像はそんなに外れてはいないだろうと三蔵は確信していた。
同時に、これからど自分はどう振舞うべきかという考えが頭をよぎる。
十中八九、悟浄は気付いて欲しくはなかった筈で。このまま黙って騙された振りをしてやるのが、悟浄にとっては親切だと三蔵も理解している。
 

理解してはいるのだが―――。
 

 

三蔵が薬を飲ませた罪は、自分の吐いた嘘ですっきり相殺。
そう悟浄は思っているだろう。
だが、どうしても『してやられた』という感が三蔵には拭えない。尻の下がもぞもぞするような、居心地の悪さ。
 

―――このままやられっぱなしってのは、どうにも性に合わねぇな。
 

一度芽生えた感情を抑える事がどんなに困難か、三蔵は経験から嫌というほど知っている。
このまま何事もなかったように振舞う事など自分には出来ない。自分は機嫌の悪さを隠す性質ではないし、どうせ周りに当り散らして八戒や悟空に嫌味を喰らうのは目に見えている。だがそれが、たった一人の被害で済むのなら、悪くないのではなかろうか?
勿論その矛先は、言わずと知れた紅い髪の男である。

(よし。報復決定、だな)

全ての事の発端が、自分の行動―――悟浄に一服盛って乱れさせようとした事―――にあったという事実など、重石でも付けてどこかの池に沈めておけばいい。
自分勝手な理屈を付けてはいたが、リベンジを決意してみれば実に気分は爽快で。

(次は何を飲ませる、か)

小刻みに繰り返される三蔵の笑いが、更に深くなる。

 

「三蔵?どうしたんです?薬‥‥まだ効いてるんですか?」

すっかり忘れられた八戒が、おろおろとうろたえる声が可笑しくて、三蔵は再び大きく肩を震わせた。
 

 

「Happy Medicine 1.85」完

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