Happy Medicine -First Step- (3)

今度は、悟浄は案外早くに宿に戻ってきた。
既に八戒と悟空はそれぞれ自分たちの部屋に引き上げ、それぞれのんびりと昼下がりの時間を過ごしている。買出しは昨日のうちに済ませてあるので、これといってするべきこともない。勿論、先程悟浄が蹴り壊した三蔵の部屋の扉は、またしても八戒と悟空の手により修理済みである。心得たもので、悟浄がうえーんと泣きながら部屋を飛び出して行った時には、既に修理用具が部屋の外に立てかけてあった。宿の親父、侮り難しである。
朝も早くから嵐のような騒動が立て続き、既に時計は3時のおやつ時を指していた。

ばたばたばたばた‥‥‥‥。

またしても、聞き覚えのある騒がしい足音が近付いてきたが、八戒と悟空はもう関わらまいと決意していたので、それぞれの部屋で動かなかった。だが、その足音は意外にも、一番端の三蔵の部屋でなく、そのひとつ手前である、ちょうど悟空の隣の部屋に飛び込んでいった。悟浄に宛がわれた部屋である。

「――――?」

もしかして、薬が切れて悟浄もようやく正気に戻ったのかも、と悟空が希望的観測に胸を膨らませた途端、隣の部屋から大音響。

どがんどがん、ばりんばりばり、どがんべりっ!

「やめてくれェ、宿が壊れちまうー!!」

哀れな泣き声は宿の親父だ。咄嗟に、悟空は部屋を飛び出した。同様に、三蔵と八戒も姿を現す。

開け放たれた悟浄の部屋の扉。強面の宿の親父が、それでも中に踏み込めない異様な雰囲気が滲み出ていて、思わず悟空の足も鈍る。
それでも勇気を出して部屋を覗き込むと、果たして中には沙悟浄がいた。

「おい、悟浄‥‥‥」

悟浄はちょうど部屋の窓枠を引き剥がそうと躍起になっている最中だった。悟空の声に振り返った悟浄の顔を見て、悟空は凍りついた。

「何だよー、お前覗くなよー。まだ途中なんだから恥ずかしいだろー?」

照れ臭そうに、それでもにこやかに答える悟浄。だがその顔は、驚くほどに憔悴しきっていた。
落ち窪んだ目、くっきりとした青黒い目の下の隈、こけた頬、青白い顔色。いや、そんな事よりも悟空を震撼させたのは。

「‥‥‥‥悟浄、誰、それ?」

悟浄の背中に張り付いている、半分透けたオッサン。額にねじりハチマキという古典的な風体の、泥棒髭が愛らしい、絵に描いたような大工の棟梁といった中年男が、悟空に向かってぺこりと頭を下げた。

「あ、この人?源さん。大工の」

口を動かしながらも悟浄の手は止まらない。悟浄の目はこちらを向いているのに、手元は危なげも無く作業を着々と進めている。

「ふ、ふうん。そうなんだ。こんちわ」

その猛烈な違和感にも関わらず、ついうっかりと悟空も頭を下げてしまい、途端に、鈍い衝撃を頭に感じた。

「テメェはナチュラルに流してんじゃねぇよ!」

痛みに頭を抱える悟空を押しのけて、ずいと三蔵が部屋に入ってきた。途端に悟浄の顔が赤く染まる。

「うわぁぁぁ!駄目だってばお前は入ってきちゃ〜。出来上がったら呼ぶから!」

わたわたと声は焦るが、やはり手元は作業を続行している。
ふと、三蔵は床に広げられた絵図面に気がついた。細かな線引きをされた設計書と、色鮮やかに彩色された図面。図面には『三蔵と俺のラブスイート完成図』と大きなハートつきで見出しがついていた。どうやら、この部屋の改装後の完成予定図らしい。

「‥‥‥‥‥‥」

今、悟浄が格闘している窓は、真っ白な窓枠も眩しい出窓になるようだ。風にそよぐカーテンは純白のレースのスカラップに豪奢なドレープのセンタークロス。窓辺には花が飾られ、横に小さなクマのぬいぐるみが描かれている。散らばる荷物の中に、絵のクマと同じ色の茶色の布切れがあるのが気になっているのだが、もしかして今から縫うつもりだろうか。壁は薄いピンクで天井にはシャンデリア。シングルの部屋に圧倒的な存在感を放つダブルベッドは天蓋付き。猫足つきの小さな木製の丸テーブルの上には、純白のテーブルクロスにティーセット。
三蔵の手元を両傍から覗き込んでいる八戒と悟空をあわせた三人の周りを、どこからともなく冷たい風が吹きすさんでいく。

「‥‥‥‥何のつもりだ、貴様‥‥‥」

言葉を発することが出来た三蔵を、一種尊敬の眼差しで悟空が見つめた。
生気の欠片もない顔で、悟浄が不気味に微笑む。怖いって、と悟空はビビった。

「ん。ちょっと部屋の模様替え」
「宿の部屋を模様替えしてどうすんだ!?」
「だって、ここは三蔵と俺の愛の巣じゃん!?」
「明日には出立するんだぞ!?しかも部屋、別々だろーがっ!」

‥‥‥‥不毛な会話とはこういうのを指すんだろうなと悟空は思った。

『そーいや、自分で作った巣をメスにプレゼントする鳥とかいたっけか‥‥‥』

人目も憚らず怒鳴りあいを始めた二人を眺めながら、悟空は以前読んだことのある鳥類図鑑を思い出していた。オスがせっせと作った巣をメスが気に入れば、めでたくカップル成立‥‥の筈だが。

「大体、何だソイツは?何でそんなのにとり憑かれてやがんだ貴様!?」
「だから、大工の源さんだって!人の話聞けよお前!」
「貴様が言うなーっ!」

‥‥‥この求愛行動も成功の望みはないだろうな‥‥‥。

飛び交う怒号の中、悟空はぼんやりと思った。
 

 

 

 

*****

 

この恐怖の空間から最初に立ち直ったのは、三蔵だった。
不毛な怒鳴りあいを一旦中断して深呼吸した三蔵は、普段どおりの無表情を繕って―――実際は強張っていただけかもしれないが―――おもむろに口を開く。

「‥‥‥‥悟浄、ちょっと聞くが」
「ん?なーにダーリン?」

現金なもので、三蔵が口調を変えた途端、悟浄はあっという間に機嫌を直した。どうやら、今の悟浄は三蔵に逆らわないのが基本方針であるらしい。
怒鳴りあっていた間もすっと動かしていた手はそのままに、悟浄はにっこりと微笑んだ。ちなみに本人は可愛らしく笑んだつもりだっただろうが、落ち窪んだ目とこけた頬が不気味さに拍車をかけただけであったことは誰も口にはしなかった。
悟浄の不気味な微笑から目を逸らさない三蔵を、悟空は再び尊敬した。

「その作業、お前じゃなくて、その『源さん』とやらがやってるんだな?」
「おうよ、いい腕の大工さんなんだぜ」

全くもって悪びれない悟浄に、三蔵は頭痛を覚える。どうやら大体の事情は飲み込めてきたようだ。

「ひょっとして、今日の弁当とセーターも‥‥‥」
「当たり前だろ。料理はともかく、俺に縫い物なんか出来るわけねぇじゃん。いやぁ流石は蘭々ばぁちゃん、見事な早編みだったぜ」
「‥‥‥誰だと?」
「蘭々ばぁちゃんだって。50年ぐらい前に『第一回大陸横断ウルトラ編み物選手権・早編みの部』で当時77歳で優勝したんだって。三蔵、知んねーの?」
「‥‥‥‥‥」

知らねぇよ、と言いたげな三蔵の視線を受け、悟浄は何故か納得したように頷いた。

「ま、実言うと俺も知らなかったんだけどさぁ、カタログ見るまでは」
「カタログ?」
「ホレ、町に入ったトコに店あっただろ、霊媒師の。『ただ今降霊術20パーセント引きキャンペーン中!初めての方でも安心の定額制システム。確かな信頼と実績の降霊術なら当店へ!契約霊体の数はナント200人!』つー看板でてただろ?‥‥‥あ、覚えてねぇか、まいいや。とにかくその店で『あなたもたちまちプロの技、よりどりみどり登録霊カタログ(プロスタッフ編)』っつーのを見たのよ。けっこー有名どころも載ってて驚いたぜ」

こちらも何となく話が見えてきた悟空が、ちらちらと三蔵の様子を伺っている。

「‥‥‥で?」
「だからよ、俺、料理も適当だし編み物なんか全然したことねぇだろ?どうせなら、ちゃんとしたモン作ってお前にプレゼントしようと思ってよ」
「じゃあテメェは、その道の達人ってのを選んで――――」

うん、と悟浄は頷いた。

「料理は悩んだんだけど、やっぱ一番人気かなーって『当店オススメ!』な『桃源郷選抜料理人競技会』の初代グランドチャンピオン、杏々ばぁちゃんを選んでみましたー!死んで20年経った今でも、杏々ばぁちゃんは伝説の料理人って呼ばれてるんだって。源さんは本名『李泰源』っつーて、屋根から足を踏み外して死んじまったんだと、気の毒になぁ。桃源郷史上並ぶものなき名工との誉れも高く、って‥‥‥な?」

悟浄がカタログ記載の紹介文らしき文言を口にして同意を求めると、背後の源さんが半分透けた顔でニヤリと笑った。怖い。

「―――ソレでお前は立て続けに三人を憑依させた、と」
「んや?四人」
「‥‥んだと?」

料理と編み物と大工仕事と、三人でないと数が合わない。三蔵は眉根を寄せた。

「楊さんにも手伝って貰ったから」
「‥‥‥‥‥今度は、誰だ」
「今から33年前に亡くなった伝説のスプリンターで、『桃源郷の韋駄天』の異名をとった人。スゲー足速いんだぜ?」
「‥‥‥‥‥」
「色んな材料調達のとき手伝って貰ったー。特に料理は魚河岸やら市場やら走り回ったし。このカーテンの布地なんか、ここら辺じゃ売ってなくって隣の町まで‥‥‥」

「魔戒天浄ぉっ!」

「どわーっ!」

悟浄の説明半ばで、三蔵の臨界点は超えたようだ。久しぶりの三蔵の大技に、悟浄はあえなく吹飛ばされる。
哀れ大工の源さんは、一瞬のうちに黄泉路へと旅立っていった。
 

 

 

 

*****

 

「ああっ、源さーんっ!なぁにしやがるんだよ、三蔵!」
「やかましい!いいように生気吸い取られてんじゃねぇよっ!」
「まだ部屋の改装が済んでねぇのにっ!!」
「せんでいい!このクソ馬鹿!!」

悟浄の大声に負けじと、三蔵が怒鳴り返す。

「なんだよっ‥‥!俺、三蔵に振り向いてもらいたくて一生懸命‥‥っ!」
「ドアホ!とっくの昔に振り向きすぎて三回転半しとるわ!」

キテレツな悟浄の呪縛から解き放たれた三蔵と、今まさに薬の呪縛中の悟浄の言い争いは、徐々に痴話喧嘩の様相を呈してきている。三回転半‥‥?と何やら頭の中でシュミレートしているらしい悟浄に三蔵は短く舌打つと、むんずと襟首を掴んだ。

「おい、テメェら部屋片付けとけ!」

背後でひっそりと見守る八戒と悟空に声高に言い放つ。
あっけにとられている二人を他所に、三蔵は悟浄を引き摺って自分に割り当てられた部屋へと消えて行った。
荒々しく閉じられた扉の音で、後に残された二人組が我に返る。

「片付けとけって‥‥これ」
「‥‥‥どーしましょうかねぇ‥‥」

中途半端に半壊状態の部屋を前に、呆然と佇んでいると。

「じゃ、取りあえずアンタはこれね。アンタはこっち」

横から、宿の親父に箒と金槌を差し出され―――。
二人はがっくりと肩を落とした。
 

 

 

 

*****

 

三蔵の、機嫌がいい。
朝一番に顔を見て、悟空は嫌でもそう感じざるを得なかった。

昨日、三蔵が悟浄を伴って部屋に消えたのは、まだ夕方にもなっていない時刻だった。
隣の部屋で何が起こっているのか想像するのも恐ろしく、悟空と八戒は殊更に大きな音を立てながら半壊状態の悟浄の部屋を修理し、終わると逃げ出すように部屋を飛び出した。
以後、部屋に篭りきりで夕食の時間にも出てこない二人を、呼びに行こうなどと愚かな事はどちらも言い出さず。
八戒が気を遣って、夕食後も三蔵の部屋から一番遠くに位置する自分の部屋へと悟空を招いてくれたので、悟空は眠くなるまで八戒と他愛ないお喋りをして時間を潰したのだ。

(思いっきり、悟浄に『求愛行動』してもらったんだろうな‥‥。‥‥ごめんな、悟浄‥‥‥)

無表情のままながら機嫌の良さを隠しきれていない最高僧を横目で盗み見つつ、悟浄の身体を心配し、心の中でひっそり謝る悟空であった。

流石に昨日の昼間から眠ってすっかり体力が回復したのか、悟浄はそれほど遅くならずに起きだしてきて、八戒と悟空を密かに驚かせた。
目の下の隈も消え、顔色もまずますといった様子に、悟空は内心で安堵の息をつく。だが、八戒が『昨日は貴方、変でしたよ?』と話を振るのを聞いた途端、悟空の顔色の方が青くなった。

「それがさぁ、よく覚えてないんだよなぁ‥‥‥。なんか、丸一日スッポリ抜けてる感じ?」
「変なものでも食べたんじゃないんですか?」

ギク。

悟空の身体が強張った。

「いや、別に‥‥‥。ああ、ケドそーいや悟空に飴玉貰った直後からの記憶がなんか‥‥‥」
「それは関係ないでしょう!僕も貰いましたけど全然何ともなかったですもん」

ズキ。

八戒の即座の否定に、悟空の心臓が痛む。悟浄と、八戒と、それぞれへの感情が複雑に湧き上がった。

「あらぬ疑いを掛けちゃ悟空が可哀相ですよ、ね、悟空?」
「あ、あの‥‥‥」
「そだよな。悪ぃな悟空、妙なこと言っちまって」
「‥‥ううん‥‥」

やはりまだ体調が万全ではないのか、絡みもせずあっさりと引いてしまう悟浄に悟空も真実を言い出せない。どのみち、八戒の前で言えることでもないのだけれど。

「あのさ、悟浄‥‥。これやるよ」

どうにも拭いきれない罪悪感からそっと自分用のおかずを差し出せば、途端に丸くなる悟浄の目。悟浄にしてみれば、飴玉とおかずと、二度続けて悟空が自分に食べ物を差し出したことになる。驚くのも無理はない。

「お前大丈夫?なんかヘンだぜ?どっか具合でも悪ぃんじゃねぇのか」
「本当ですよ悟空。そういえば顔色もすぐれないみたいですし‥‥」
「な、なんでもないってば!」

二人の真剣な瞳から慌てて目を逸らすと、斜め向かいに座る三蔵と目が合った。

『ばーか』

口の形だけで言われて、悟空はしゅん、と項垂れた。

何事も無かったように、四人は朝食を摂った。何だかんだと言いつつも、やはり悟空の食欲はそれなりで、八戒が甲斐甲斐しくお代わりを促す。

(それにしても、悟浄にはこれだけ効果があったのに、八戒にはどうして全然効かなかったんだろ)

ご飯を盛られた茶碗を受け取りながら、悟空は八戒の顔を盗み見ては考え込んでいた。
そして一方の、八戒はというと。

(僕ったら、またこんなに大盛りにしてしまって‥‥!あんまり悟空を贔屓しちゃうと僕の秘めた想いがバレてしまいます!でも、最近、何だかちょっとダイタンな僕‥‥)

そうなのだ。

実はあの薬はしっかりと八戒にも効いていた。しかも細く長く効く体質だったのか、今も効果は持続している。

あの夜。
悟空のために簡単なものと言いつつ豪勢な夜食を作ったのは、完全なる八戒のアピールだったのだ。冷静に考えれば、翌日の食堂で三蔵が悟空の様子に不審を抱いたにもかかわらず八戒が気付かなかったのは、完全に悟空ラブ!のフィルターがかかっていたためだと思われる。

(昨日は悟空が僕を抱きかかえてくれて、オマケに僕の手を握ってくれたりして‥‥。ああ、思い出すだけでも、ご飯三杯はいけます!)

最初に悟浄が食堂に飛び込んできたとき。気を失っていた筈の八戒は、実は案外早くに目を覚ましていた。だが悟空に抱きかかえられているという喜びで、気絶しているフリを続けていただけである。道理で、その後機嫌が良かった筈だ。
セーター騒動のときも、悟浄の様子に恐怖を覚え、悟空と手を取り合って震えていたと見えた八戒は、実は悟空と手を触れ合わせているという感動に打ち震えていた。壊れた悟浄と三蔵のやり取りに口を挟まなかったのも、何の事はないそんな二人の事などより、悟空しか見ていなかったからなのだ。悟空は気付いていなかったが、手に手をとっていたというよりは、実は八戒が悟空の手を放さなかったという方が正しい。おまけに何やら悟浄が妙な行動をとってくれたおかげで、悟空と二人きりの時間が格段に増えた。夕べもついつい悟空を部屋にまで誘ってしまった八戒は、それだけでエキサイト状態に突入している。

(こんなにあからさまに気持ちを見せて、悟空に気付かれたらどうしましょう‥‥!)

‥‥‥‥しかし、普段から八戒は、三蔵や悟浄に対するのに比べ、悟空の世話をよく焼いている。
いつも2割増の八戒のサービスが3.5割増になったところで、この鈍い悟空が気付くべく筈もないという事になど、薬でボケた八戒には考えが及ばない。

かくして今日も、二人の内心の葛藤を他所に日常と何ら変わる事のない光景が繰り広げられているのだった。
そして再び、悟空が八戒にお代わりを頼む。

(ああ、また大盛りによそってしまった‥‥!僕の馬鹿‥‥でも、でも、手が勝手にっ!)
(うーん、やっぱりちょっと残念だよな。八戒にも効けばよかったのに‥‥)

すれ違いっぱなしのこの二人に明るい夜明けはくるのだろうか。

「‥‥ばーか」

ただ一人、事の真相に気付いている三蔵が、今度は悟空にも気取られないように、小さく小さく呟いた。

当事者でありながら何も知らない悟浄が、ふぁ、とのんきに欠伸している。
今回の騒動は、こうして幕を閉じたのだった。
 

 

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「Happy Medicine -First Step-」完