Happy Medicine -First Step- (3)
今度は、悟浄は案外早くに宿に戻ってきた。 ばたばたばたばた‥‥‥‥。 またしても、聞き覚えのある騒がしい足音が近付いてきたが、八戒と悟空はもう関わらまいと決意していたので、それぞれの部屋で動かなかった。だが、その足音は意外にも、一番端の三蔵の部屋でなく、そのひとつ手前である、ちょうど悟空の隣の部屋に飛び込んでいった。悟浄に宛がわれた部屋である。 「――――?」 もしかして、薬が切れて悟浄もようやく正気に戻ったのかも、と悟空が希望的観測に胸を膨らませた途端、隣の部屋から大音響。 どがんどがん、ばりんばりばり、どがんべりっ! 「やめてくれェ、宿が壊れちまうー!!」 哀れな泣き声は宿の親父だ。咄嗟に、悟空は部屋を飛び出した。同様に、三蔵と八戒も姿を現す。 開け放たれた悟浄の部屋の扉。強面の宿の親父が、それでも中に踏み込めない異様な雰囲気が滲み出ていて、思わず悟空の足も鈍る。 「おい、悟浄‥‥‥」 悟浄はちょうど部屋の窓枠を引き剥がそうと躍起になっている最中だった。悟空の声に振り返った悟浄の顔を見て、悟空は凍りついた。 「何だよー、お前覗くなよー。まだ途中なんだから恥ずかしいだろー?」 照れ臭そうに、それでもにこやかに答える悟浄。だがその顔は、驚くほどに憔悴しきっていた。 「‥‥‥‥悟浄、誰、それ?」 悟浄の背中に張り付いている、半分透けたオッサン。額にねじりハチマキという古典的な風体の、泥棒髭が愛らしい、絵に描いたような大工の棟梁といった中年男が、悟空に向かってぺこりと頭を下げた。 「あ、この人?源さん。大工の」 口を動かしながらも悟浄の手は止まらない。悟浄の目はこちらを向いているのに、手元は危なげも無く作業を着々と進めている。 「ふ、ふうん。そうなんだ。こんちわ」 その猛烈な違和感にも関わらず、ついうっかりと悟空も頭を下げてしまい、途端に、鈍い衝撃を頭に感じた。 「テメェはナチュラルに流してんじゃねぇよ!」 痛みに頭を抱える悟空を押しのけて、ずいと三蔵が部屋に入ってきた。途端に悟浄の顔が赤く染まる。 「うわぁぁぁ!駄目だってばお前は入ってきちゃ〜。出来上がったら呼ぶから!」 わたわたと声は焦るが、やはり手元は作業を続行している。 「‥‥‥‥‥‥」 今、悟浄が格闘している窓は、真っ白な窓枠も眩しい出窓になるようだ。風にそよぐカーテンは純白のレースのスカラップに豪奢なドレープのセンタークロス。窓辺には花が飾られ、横に小さなクマのぬいぐるみが描かれている。散らばる荷物の中に、絵のクマと同じ色の茶色の布切れがあるのが気になっているのだが、もしかして今から縫うつもりだろうか。壁は薄いピンクで天井にはシャンデリア。シングルの部屋に圧倒的な存在感を放つダブルベッドは天蓋付き。猫足つきの小さな木製の丸テーブルの上には、純白のテーブルクロスにティーセット。 「‥‥‥‥何のつもりだ、貴様‥‥‥」 言葉を発することが出来た三蔵を、一種尊敬の眼差しで悟空が見つめた。 「ん。ちょっと部屋の模様替え」 ‥‥‥‥不毛な会話とはこういうのを指すんだろうなと悟空は思った。 『そーいや、自分で作った巣をメスにプレゼントする鳥とかいたっけか‥‥‥』 人目も憚らず怒鳴りあいを始めた二人を眺めながら、悟空は以前読んだことのある鳥類図鑑を思い出していた。オスがせっせと作った巣をメスが気に入れば、めでたくカップル成立‥‥の筈だが。 「大体、何だソイツは?何でそんなのにとり憑かれてやがんだ貴様!?」 ‥‥‥この求愛行動も成功の望みはないだろうな‥‥‥。 飛び交う怒号の中、悟空はぼんやりと思った。
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この恐怖の空間から最初に立ち直ったのは、三蔵だった。 「‥‥‥‥悟浄、ちょっと聞くが」 現金なもので、三蔵が口調を変えた途端、悟浄はあっという間に機嫌を直した。どうやら、今の悟浄は三蔵に逆らわないのが基本方針であるらしい。 「その作業、お前じゃなくて、その『源さん』とやらがやってるんだな?」 全くもって悪びれない悟浄に、三蔵は頭痛を覚える。どうやら大体の事情は飲み込めてきたようだ。 「ひょっとして、今日の弁当とセーターも‥‥‥」 知らねぇよ、と言いたげな三蔵の視線を受け、悟浄は何故か納得したように頷いた。 「ま、実言うと俺も知らなかったんだけどさぁ、カタログ見るまでは」 こちらも何となく話が見えてきた悟空が、ちらちらと三蔵の様子を伺っている。 「‥‥‥で?」 うん、と悟浄は頷いた。 「料理は悩んだんだけど、やっぱ一番人気かなーって『当店オススメ!』な『桃源郷選抜料理人競技会』の初代グランドチャンピオン、杏々ばぁちゃんを選んでみましたー!死んで20年経った今でも、杏々ばぁちゃんは伝説の料理人って呼ばれてるんだって。源さんは本名『李泰源』っつーて、屋根から足を踏み外して死んじまったんだと、気の毒になぁ。桃源郷史上並ぶものなき名工との誉れも高く、って‥‥‥な?」 悟浄がカタログ記載の紹介文らしき文言を口にして同意を求めると、背後の源さんが半分透けた顔でニヤリと笑った。怖い。 「―――ソレでお前は立て続けに三人を憑依させた、と」 料理と編み物と大工仕事と、三人でないと数が合わない。三蔵は眉根を寄せた。 「楊さんにも手伝って貰ったから」 「魔戒天浄ぉっ!」 「どわーっ!」 悟浄の説明半ばで、三蔵の臨界点は超えたようだ。久しぶりの三蔵の大技に、悟浄はあえなく吹飛ばされる。
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「ああっ、源さーんっ!なぁにしやがるんだよ、三蔵!」 悟浄の大声に負けじと、三蔵が怒鳴り返す。 「なんだよっ‥‥!俺、三蔵に振り向いてもらいたくて一生懸命‥‥っ!」 キテレツな悟浄の呪縛から解き放たれた三蔵と、今まさに薬の呪縛中の悟浄の言い争いは、徐々に痴話喧嘩の様相を呈してきている。三回転半‥‥?と何やら頭の中でシュミレートしているらしい悟浄に三蔵は短く舌打つと、むんずと襟首を掴んだ。 「おい、テメェら部屋片付けとけ!」 背後でひっそりと見守る八戒と悟空に声高に言い放つ。 「片付けとけって‥‥これ」 中途半端に半壊状態の部屋を前に、呆然と佇んでいると。 「じゃ、取りあえずアンタはこれね。アンタはこっち」 横から、宿の親父に箒と金槌を差し出され―――。
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三蔵の、機嫌がいい。 昨日、三蔵が悟浄を伴って部屋に消えたのは、まだ夕方にもなっていない時刻だった。 (思いっきり、悟浄に『求愛行動』してもらったんだろうな‥‥。‥‥ごめんな、悟浄‥‥‥) 無表情のままながら機嫌の良さを隠しきれていない最高僧を横目で盗み見つつ、悟浄の身体を心配し、心の中でひっそり謝る悟空であった。
流石に昨日の昼間から眠ってすっかり体力が回復したのか、悟浄はそれほど遅くならずに起きだしてきて、八戒と悟空を密かに驚かせた。 「それがさぁ、よく覚えてないんだよなぁ‥‥‥。なんか、丸一日スッポリ抜けてる感じ?」 ギク。 悟空の身体が強張った。 「いや、別に‥‥‥。ああ、ケドそーいや悟空に飴玉貰った直後からの記憶がなんか‥‥‥」 ズキ。 八戒の即座の否定に、悟空の心臓が痛む。悟浄と、八戒と、それぞれへの感情が複雑に湧き上がった。 「あらぬ疑いを掛けちゃ悟空が可哀相ですよ、ね、悟空?」 やはりまだ体調が万全ではないのか、絡みもせずあっさりと引いてしまう悟浄に悟空も真実を言い出せない。どのみち、八戒の前で言えることでもないのだけれど。 「あのさ、悟浄‥‥。これやるよ」 どうにも拭いきれない罪悪感からそっと自分用のおかずを差し出せば、途端に丸くなる悟浄の目。悟浄にしてみれば、飴玉とおかずと、二度続けて悟空が自分に食べ物を差し出したことになる。驚くのも無理はない。 「お前大丈夫?なんかヘンだぜ?どっか具合でも悪ぃんじゃねぇのか」 二人の真剣な瞳から慌てて目を逸らすと、斜め向かいに座る三蔵と目が合った。 『ばーか』 口の形だけで言われて、悟空はしゅん、と項垂れた。
何事も無かったように、四人は朝食を摂った。何だかんだと言いつつも、やはり悟空の食欲はそれなりで、八戒が甲斐甲斐しくお代わりを促す。 (それにしても、悟浄にはこれだけ効果があったのに、八戒にはどうして全然効かなかったんだろ) ご飯を盛られた茶碗を受け取りながら、悟空は八戒の顔を盗み見ては考え込んでいた。 (僕ったら、またこんなに大盛りにしてしまって‥‥!あんまり悟空を贔屓しちゃうと僕の秘めた想いがバレてしまいます!でも、最近、何だかちょっとダイタンな僕‥‥) そうなのだ。 実はあの薬はしっかりと八戒にも効いていた。しかも細く長く効く体質だったのか、今も効果は持続している。 あの夜。 (昨日は悟空が僕を抱きかかえてくれて、オマケに僕の手を握ってくれたりして‥‥。ああ、思い出すだけでも、ご飯三杯はいけます!) 最初に悟浄が食堂に飛び込んできたとき。気を失っていた筈の八戒は、実は案外早くに目を覚ましていた。だが悟空に抱きかかえられているという喜びで、気絶しているフリを続けていただけである。道理で、その後機嫌が良かった筈だ。 (こんなにあからさまに気持ちを見せて、悟空に気付かれたらどうしましょう‥‥!) ‥‥‥‥しかし、普段から八戒は、三蔵や悟浄に対するのに比べ、悟空の世話をよく焼いている。 かくして今日も、二人の内心の葛藤を他所に日常と何ら変わる事のない光景が繰り広げられているのだった。 (ああ、また大盛りによそってしまった‥‥!僕の馬鹿‥‥でも、でも、手が勝手にっ!) すれ違いっぱなしのこの二人に明るい夜明けはくるのだろうか。 「‥‥ばーか」 ただ一人、事の真相に気付いている三蔵が、今度は悟空にも気取られないように、小さく小さく呟いた。
当事者でありながら何も知らない悟浄が、ふぁ、とのんきに欠伸している。
「Happy Medicine -First Step-」完 |