「んあ〜?俺、何で寝てんの?んーさんぞー?オマエ何よ、そんなしけた煎餅みてぇなツラしやがってよ」 スパーン! 勢い良く振り下ろされたハリセンは、寸分違わず悟浄の脳天にヒットした。 「てめぇは、第一声がそれかっ!」 がばりと跳ね起きた悟浄は、身体に走った激しい痛みに顔をしかめ身体を庇うように丸める。三蔵は舌打ちしたいのを押さえて悟浄の額をぺちりと叩いた。 「暴れんな、怪我人が」 あまりの騒がしさを聞きつけたのだろう、厨房に篭っていたはずの悟空と八戒も部屋に飛び込んでくる。 「悟浄!目ぇ醒めたのかよ!」 一気に賑やかになった部屋の中心に居る悟浄は、だがしかし、きょとんとした表情で辺りを見回している。 「‥‥‥俺、何で怪我してんの?ここんとこ、妖怪の襲撃もなかったのに」 八戒は、そこで妙な事に気がついた。 悟浄は目覚めてから、三蔵の様子を気にしたのだろうか? そう、まるで、『そんな事などなかった』かのように。 思わず隣を伺うと、やはり眉間に皺を寄せ、厳しい視線で悟浄を見つめる三蔵の姿があった。 丁寧な断りと共に顔を覗かせたのは、この宿で働く麗華だった。三蔵に想いが実らなかった今でも、気丈に振舞い悟浄の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれている女性。 「悟浄さん!気がついたんですね、良かった、私――――」 ベッドの上で起き上がる悟浄の姿に、表情が輝いた。 「えーっと‥‥?どちらさん‥‥?」 ぽりぽりと頬をかきながら、困ったように曖昧な笑みを浮かべる悟浄。一同が信じられないという目を向けるが、本人はいたって本気らしく首を傾げたままだ。 「君みたいな美人、一度会ったらぜってー忘れないと思うんだけど‥‥。ごめん、どこで会ったんだっけ?」 一瞬にして、部屋を沈黙が支配した。
Give and Take
旅の途中で通った森の中で、三蔵一行は怪しげな迷路とも呼べる仕掛けに遭遇し、抜け出すのに相当の骨を折った。やっとのことで森を抜け村に入れば、今度はその森に仕掛けを作った張本人の妖怪に三蔵の記憶を奪われ、散々な目に合わされて。
「へえ〜。んな事があったのか」 例の老妖怪に纏わる一連の出来事を説明されても、まるで他人事のようにのほほんと答える悟浄の様子に、思わず三蔵はこめかみを押さえた。 心配する麗華を宥め仕事に戻してから、悟浄に今までの経緯を説明する事、小一時間。 「ホントに覚えてねぇの?」 八戒の言葉にも、やはり悟浄は頭を捻ったままの体勢を崩さない。 「ま、いいじゃん。三蔵の記憶も戻ったんだろ?今までどおりって事で、別に旅に支障があるわけじゃなし」 そう言われてみれば確かにそうなのだが。 悟浄にとっては、失ったところで問題のない記憶なのかもしれない。 「あー。何か猛烈に腹減ってる気ィするわ」 ですから、それは。三蔵に想いを拒絶されたショックで――。 「‥‥また明日、話してあげますね‥‥」 ようやくそれだけを絞り出すと、八戒は脱力した足取りでスープを取りに厨房へと向かった。今日は早く眠ろう。そう心に誓いながら。
「もし奴に詳しい事情を聞かれたら、お前らが説明しとけ」 翌朝。三人は朝食を済ませ、悟浄の休む部屋へと移動しながら、記憶の飛んでいる悟浄の面倒を誰か看るかで揉めていた。既に三人からは、『この件は無かった事にしよう』という後ろ向きな姿勢が垣間見える。 「大体普段は悟浄に構うと機嫌悪いくせに、こんな時だけ押し付けようなんて‥‥」 八戒の愚痴めいた言葉と共に、部屋の扉が開かれる。 「何やってんだよ悟浄!まだ起きんのは無理だって!」 慌てた様子で、悟空が駆け寄る。 「‥‥なぁ、俺何で怪我してんの?」 早速に始まった悟浄の「何で?」攻撃に、さしもの悟空も肩を落とした。 「だーかーらー。昨日言ったじゃんか、それは‥‥」 続けられるはずの言葉を、悟空は飲み込んだ。 「なぁ、ここ何処?お前らが俺を黙って連れてきたわけ?大体、何でお前と三蔵がいるんだよ、当分忙しいって言ってただろーが。‥‥また寺、抜け出してきたのか?それとも仕事か?どーせ厄介な事持ち込んだんだろ?八戒、ひょっとしてお前もグルか?‥‥‥‥おい、黙ってないで説明しろ!」 矢継ぎ早にぶつけられる質問の意味を理解しても、悟空は口を開く事が出来なかった。どこかギクシャクとした動きで、後ろを振り返る。
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