紫陽花

 

「ありえねぇ〜!」
「だろ!?」

ぎゃははと大声で笑いあう、悟浄と悟空。
二人部屋の片隅。悟浄に宛がわれたベッドの上に広げられたカードを挟み、悟空と悟浄が昔話に興じている。
外は結構な雨。出発は延期され、暇を持て余した悟空が悟浄の元に押しかけてきたのだ。どうしてそんな話になったものか、話題は『三蔵の好きな花』へと移行していた。

三蔵に拾われてから間もなくして、悟空は三蔵に何か贈り物をしようと思い立った。だが当然金など持たない悟空は、悩むに悩んだ挙句、三蔵の好きな花でも贈ろうと本人に問い質したのだという。

花。

あの三蔵に、花。

今では到底あり得ないだろう悟空の選択に、悟浄も、当の悟空も笑いが止まらない。

「‥‥でさ、俺、『ガクアジサイ』って何だ?とか思ってさー、通りかかった坊主に聞いたんだよな、そしたら、」

―――紫陽花の、真ん中の部分がないヤツだ。

「何のことだかさっぱりわっかんなくてさァ。しつこく聞いたらソイツ怒り出しちゃって」

それでも何とかがく紫陽花の形状を聞きだし、必死になって探したものの、生憎と悟空たちのいた寺の周辺にはいわゆる一般的な紫陽花しか咲いていなかったらしい。

「しょーがねーから、フツーの紫陽花の真ん中の花びらをむしりとって、三蔵にあげたんだ。『ガクアジサイ』って」
「へぇ〜。で、三蔵様は何て?」

ちらりと横目で伺えば、当の最高僧は興味なさ気に背を向けて、もうひとつのベッドに寝転がっていた。

「ハリセンで何度も、思いっきり叩かれた!痛ぇって言っても容赦なしだぜ!?俺、何でバレたんだろーって本気で悩んだね、あん時は」
「バッカでぇ〜!」

腹を抱えて悟浄が笑い転げる。
一緒になって大声で笑っていた悟空だったが、つと、カードを弄んでいた片手を止めた。
どした、と視線だけで悟浄が問えば、口元に浮かぶ柔らかな笑み。
子供とも、大人ともつかない表情で、悟空は三蔵の背を見つめていた。

「けど‥‥、飾ってくれた」

無残な姿になった紫陽花を。それでも、きちんと執務室の机上に。しかも、三蔵の目に一番つきやすいところに。
その時の情景でも思い浮かべているのか、少し遠い目をして懐かしそうに笑う悟空は、きっと悟浄が穏やかな瞳で見守っていることなど、気付いていないだろうけれど。

「‥‥そか。良かったな」
「ん」

流石に照れ臭くなったのか、悟空は軽く笑って、思い切り良くカードをベッドに叩きつける。隣の三蔵に気付かれないようにと、声を潜めていた密やかな空気が、一気に砕け散った。

「やったっ!俺の勝ちだー」
「え?‥えええ!?こ、このクソ猿、いつの間にーっ!?」

再び騒がしくなった部屋の中、奥のベッドで最高僧が小さく身じろぎをした。
 

 

 

 

 

三蔵が目を覚ましたとき、まだ辺りはほの暗かった。

夜は明けた筈の時刻だが、空を覆う雨雲のせいなのだろう。静かすぎる空気の匂いは、昨日から降り続いている霧雨のもたらすものだ。
眠る前にはシャワーを浴びてはいるものの、身体全体がじっとりと、この季節独特の湿った感覚に包まれている。
夕べ、確かに腕の中に抱きしめて眠った筈の身体はそこにはなく、この部屋にたったひとつ存在する小さな窓の側で見つかった。

悟浄は、外を見ていた。

備え付けの安っぽいスツールに腰掛け、狭い窓枠に片肘をついて、額をガラスに擦り付けるようにして。三蔵が身体を起こしたのに気付いた様子でもなく、ただぼんやりと外を見ていた。
三蔵はベッドを降りると、悟浄に近付いた。

「何を見てる?」

悟浄の身体が小さく刎ねた。三蔵が起きだしてきたのに、全く気付いていなかったようだ。

「あ、目ぇ覚めたの‥‥?」

ちょいビビった、と正直に口にしながら、悟浄は薄く笑って窓から離れようとする。

「なんかあるのか?」

立ち上がりかけた悟浄の肩を押さえつけるように押し止め、三蔵は悟浄がしていたように窓から外を窺った。自分が起きたのにも気付かないほどに、一体何に気を取られていたのだろうと。
窓の外は、宿の裏庭だった。三蔵の目に、雨にけぶる様々な色彩が飛び込んでくる。誰もが名を知る花が、そこに植えられていた。

「紫陽花、か‥‥‥」

三蔵は、呟くように口にした。

「ちょっと暗いけど‥‥、ま、結構な眺めだろ?」

裏庭を埋め尽くすほどの紫陽花が、霧雨の中で少し霞んで見える。確かに眩しいほどの朝日の下で眺めるほどの鮮烈さには欠けるが、乳白色の空気に溶け込んだ淡い色彩はそれなりに壮観だった。
三蔵はつと眉を顰めた。昨日、この部屋に悟空が押しかけてきたときのことを思い出したのだ。

「そーいやお前もいいトコあるじゃん。悟空のキモチを汲んでやったりしてさー。三蔵様、やさしー」
「‥‥‥違う」

三蔵の嫌な予感どおりに悟浄がその話題をふってきて、自然と三蔵の声に不機嫌さが加わった。あのとき悟空と悟浄は声は抑えていたが、あの至近距離では、当然二人の会話は全て三蔵に筒抜けだった。
嫌そうに眉間に皺を寄せる三蔵を横目に、悟浄は嫌な笑みを口元に浮かべてニヤついている。

「照れんなよ〜。オマエ紫陽花、好きなんだ?」
「いや‥‥特別にってわけじゃねぇな」

三蔵の返答に、悟浄はきょとんとしたようだった。

「へ?でも悟空にはそう言ったんだろ?」
「ウゼぇから、適当に返事しただけだ。丁度、季節だったしな‥‥」

忙しいところにしつこく悟空に問われ、思いついた花を口にしてしまっただけだったのだが、その後の悟空の行動により、自らの軽率な発言に舌打ちの漏れる思いを味わった。
苦虫を噛み潰したような表情の三蔵を、じゃあさ、と悟浄が首を捻るようにして見上げてくる。

「わざわざ、『がく』紫陽花にしたのは?なんか理由あんだろ?」
「‥‥‥別にねぇよ」

嘘ではない。特別に、意味があったわけではない。
ただ、その花が好きだった人がいた。

『なんとなく、こっちの方が可愛いなぁとか思いません?』

そう笑って、あの人はがく紫陽花をよく眺めていた。それを咄嗟に思い出しただけだ。―――――それだけだ。

 

「ふうん」

何を感じたのか悟浄はそれ以上は追求せず、再び窓の外に目を向けた。
 

 

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