それ、食べたい!

もう夕飯の時間も過ぎたというのに、悟浄が部屋から出てこない。
三蔵と大喧嘩した挙句、部屋に閉じこもってしまった。
原因は、些細な事―――らしい。三蔵に問いただしたら、そう答えた。

「どうせ、また悟浄に『他の男に色目使うな』だの『誰かれ構わず誘ってんじゃねーよ』とか言ったんでしょう?」
「‥‥‥」

八戒の推測は、どうやら図星だったらしい。三蔵は目も上げず無言で新聞を読んでいる。
だが、今回に限って言えば、特に八戒の洞察力が優れていた、というわけでもない。今までの経験から言って、悟浄がスネる時には大体においてそれが原因なのだ。これまでも幾度と無く、同じ事があった。

確かに悟浄は魅力的ではあるけれど、仮にも立派な成人男性だ。男に愛想を振りまいていると言われれば、腹も立つに決まっている。三蔵だって判っているはずなのに、いつも口に出しては悟浄を怒らせてしまうのだ。

「ここを出たら、次の街まではかなりの移動をしないといけないんですよ?くだらない喧嘩で無駄な体力使う暇があったら、まずゆっくり疲れを取ることを考えて下さいよ」
「‥‥‥」

やはり無言で新聞を広げる三蔵に、八戒はつかつかと歩み寄った。

「聞いてるんですか?三蔵」
「‥‥‥」
「仲直り、してくださいますよね?」

鬱陶しいんですよvとにっこり微笑まれ、三蔵はようやく新聞から目を上げた。
 

 

 

あ。
あいつが近付いてくる。
 

悟浄は部屋に接近してくる慣れた気配を感じ取り、扉を注視した。
続いて聞こえる、乱暴なノックの音。

「‥‥只今、留守にしております。ピーッという発信音の後に、メッセージをお入れクダサイ」
「ふざけた事抜かしてんじゃねぇぞ、クソ河童」

どがっ、とドアが鈍い音を立てる。突然銃弾を打ち込まれるよりは、まだドアも幸せだよな、などと悟浄は何故か考えてしまった。

「とっととメシ、食え。片付かねぇだろが」

いらねぇって言っただろ。そう言いかけて、悟浄はふと、疑問を感じた。

「―――なに、お前。わざわざメシに誘いに来たわけ?三蔵様が?」
「‥‥八戒の奴が煩せぇんだよ。てめぇが餓死したら俺のせいだとか何とか」

そんな馬鹿な。悟浄は思わず口元に笑みを浮かべた。いくら八戒にそんな嫌味を言われた所で、普段の三蔵なら黙殺していたはずだ。
謝罪のつもり、だろうか。
そう考えるとおかしくて、悟浄は今までの不機嫌もどこかへ飛んでいく気分になった。
我ながら単純だと思いつつも、笑みを隠さず、ドアを開ける。

「遅い」
「はいはい、ゴメンナサイ」
「何ニヤついてやがる」
「はいはいはい、いいからいいから」

悟浄は表情だけは思い切り不機嫌な三蔵を押すようにして、食堂へ向かった。
 

 

 

「あれ?八戒と悟空は?」

食堂にいるのだろうと思った二人の姿は何処にもなく、ただ卓上に、きれいに取り分けられた一人分の膳がちょこんと乗っているだけだった。

「今、何時だと思ってやがる。メシの時間はとっくに終わってんだろうが。―――二人はヤボ用で出かけてる」
「こんな時間に?何処へ?一体何しに?」
「ごちゃごちゃ言わずにとっとと食え!で、さっさと片付けろ!」
「‥‥‥‥」

三蔵の高飛車な物言いに、せっかく収まった腹の虫がまたむくむくと頭をもたげてくる。本当に反省して自分のことを呼びに来たのかどうか怪しいものだと思いながら、悟浄は料理に箸をつけた。
質素ながらも丁寧に作られたその料理に、悟浄は思わず感嘆の声を上げる。

「あ、美味いじゃん。これ。よく悟空が俺の分残してくれてたよな」
「食ってねぇよ」
「あ?」
「悟空も八戒も、食ってねぇよ」
「え?何で?‥‥‥ああ、そっか‥‥これって全然肉が入ってねぇもんな‥‥。これじゃ悟空には辛いよなぁ。あ、それで外に食いに行ったんだ?」
「‥‥ちげーよ」
「えー?けどよ、この料理、味はいいけど野菜とかばっかじゃん、まるで精進‥‥‥」
まるで精進料理みたいだと、悟浄は続けようとして固まった。
 

まさか‥‥これって。
 

「どうした、さっさと食え」
「お、おう」

ぎくしゃくと料理を口に運び、もぐもぐと咀嚼する。が。先ほど浮かんだ考えが払拭できず、食べることに集中できない。

「‥‥なあ。八戒と悟空は、どこ行ったって?」
「猿がいると何かと煩せぇから、八戒に連れ出させた」

その返答に、悟浄は自分の推測が的中していることを知った。手を止めて、三蔵の顔を見つめる。

「ナンで‥‥」
「食いたい、と言っていただろうが」
「そりゃ、そうだけど」
「いいから、食え。それとも口に合わねぇか?」
「いや、美味かったって!美味かったけど!」
「けど、何だ。『美味かった』ってのは、もう食いたくねぇってことか?」
「〜〜〜〜」

どうしよう。どう言えば伝わるんだろう。
さっきまでは確かに美味かったはずの料理が、今は味すら分からないぐらいに気が動転してる。
嬉しくて。お前が俺の為にだけに料理を作ってくれたのが、すっげー嬉しくて。

勿体無くて、食えねぇよ。

動くことも言葉を紡ぐ事も出来ず、固まり続ける悟浄の指から、三蔵は箸をもぎ取った。

「あ‥‥」

怒らせちまった。せっかく三蔵が作ってくれたのに。俺の為に作ってくれたのに。
悟浄は絶望的な気分になった。そもそも他人から何かをしてもらうことに慣れていない悟浄は、こういう時にどうしていいのか分からないのだ。

「おい、何呆けてやがる」
言葉と共に、目の前に箸で摘まれた料理が差し出された。

「え?」
「食わしてやるよ。おら、口あけろ」

一瞬、ぽかんとした悟浄だったが、次の瞬間にはものすごい素早さで三蔵から箸を取り戻していた。
 

「いいっ、自分で食うっ!」

猛烈な勢いで料理を口に運びながら、悟浄は向かいに腰掛けた三蔵にちらりと目をやった。顔を背け、僅かに下を向いて―――肩を震わせている。
笑っているのだ。

「てめぇ、からかいやがったな!」
「この前の、お返しだ」

くっくっと喉を震わせて、自分を見つめてくる紫の瞳の持ち主に、悟浄は「降参」のため息をついた。
 

 

「で?美味いか?」
笑ったままの顔で、聞いてくる。珍しく、上機嫌だな、お前。
でも、何度も言ってるのに。もしかしてお前も結構緊張してて、聞いてなかったんじゃねぇの。
 

そして悟浄は、自分もまた笑みを浮かべた。
三蔵が、本当に聞きたいのは料理の味の事なんかではない、ということに気付いたから。
 

「――ああ。俺も好きだよ、三蔵様」
 

眩しいほどの金色が、ゆっくりと自分に近付いてくるのを感じながら、悟浄は黙って目を閉じた。
 

 

「それ、食べたい!」完