退屈な日

 

■■■ シーン1:宿の一室 ■■■

 

「じゃ、二人とも。大人しくお留守番お願いしますね」

旅の途中に立ち寄ったとある町。買出しを終えた三蔵一行は、腰を落ち着けた宿でまったりした時間を過ごしていた。
そのうち退屈に負けた悟空が外へ出かけたいと喚きだすのも、それに付き合わされる羽目になったのが八戒ということも、そこそこの規模の町に入ったときのお約束のようなものだったが、悟空も八戒もいつもより浮かれたように見えるのは、久しぶりに味わう町の活気にあてられたせいかもしれなかった。

悟浄はベッドにうつ伏せた体勢で、雑誌をパラパラとめくっている。三蔵はベッドに腰掛けたまま、読み耽る新聞から顔を上げようともしない。

八戒を早く早くと急かしていた悟空が、ふと窓の外に目をやった。

「あ、さっきの女の人まだいる。三蔵に家に来てお経あげてもらいたいって言ってた人」
「ウゼェ‥‥」

悟空の言葉に、三蔵はげんなりとした様子で吐き捨てる。
この宿に入る直前、一行の行く手を阻むようにして現れたうら若き女性。

――――――実は最近身内に不幸が続いている。これは何か悪いものが家に取り憑いているせいではないかというのが親類一同の出した結論である。是非とも高名な僧侶に祓ってもらいたい――――――

だが、涙を浮かべて縋り付く女性の願いを、三蔵はすげなく断ったのだ。

 

「行ってやりゃあいいじゃんよ。どうせ暇なんだろ?」
「冗談じゃねぇな」

八戒たちが出ていき、二人きりになった途端、悟浄がぼそりと呟いた。相変わらず目線は雑誌のグラビアを飾る女性の豊満な胸に這わせたままだ。そして三蔵は、いかにもつまらなさそうに、そんな悟浄の台詞をいともあっさり切り捨てる。
三蔵の返答は予期していたものだったらしく、悟浄は軽く笑うと勢い良くベッドから身を起こして立ち上がった。そのまま、部屋を横切っていく。

「どこへ行く?」
「テメェと顔つき合わせててもしゃああんめぇ?ちょっと出かけてくらぁ」
「‥‥‥勝手にしろ」

三蔵は興味なさ気な表情のまま、新聞を捲った。

 

 

 

 

■■■ シーン2:悟浄の出発 ■■■

 

「まだ諦めてねぇの、おねーさん?」

件の女性は、宿の玄関のすぐ側で立ち続けていた。悟浄に気付いた女性は、慌てたように微かに頭を下げた。

「まぁ、いくら粘っても無理だと思うよ?」
「どうしよう‥‥。三蔵様のお越しを皆が待っているのに‥‥」

落胆を隠せない女性の声が沈む。親戚連中に余程強く言い含められて来たに違いなかった。何が何でも、三蔵法師様をお連れしろと。

「あのさ。言いにくいんだけど、祟りとかそーゆーの、気のせいじゃねぇの?」

正直、この長い旅の途中には、似たような話はごまんとあった。だが、ひとつとしてそれが真実だった例はない。だから三蔵も、彼女の頼みに首を縦に振らなかったのだ。
だが、彼女は悟浄の言葉も終わらぬうちに、頭を横に打ち振った。

「いいえ、いいえ‥‥!だって今月に入ってから、もう身内に三人も怪我人が出てるんです!突然、上から物が落ちてきたり、岩が崩れたり‥‥。そんなの偶然じゃないわ‥‥!」
「ふーん‥‥」

必死に言い募る女性を横目で眺めていた悟浄が、突然、大きく頷いた。

「じゃ、俺が行ってみよっか?」
「え?」

唐突な悟浄の申し出に、女性は目をぱちくりとさせた。悟浄はすかさず女性の肩を抱く。

「こんな美人のお願いを放っとくわけにいかねぇっしょ?俺がその祟りってのを退治してやろうじゃねえの」
「え?え?」
「いいから、いいから。ささ、いこーか」

そうして悟浄は彼女を引き摺るようにして、宿を離れて行ったのだった。

 

 

 

■■■ シーン3:三蔵の出発 ■■■

 

控えめなノックが部屋に響き、三蔵は新聞から視線を上げた。

「‥‥開いている」

三蔵の応えを待ち、ほんの僅かに開けたドアの隙間から部屋の中を伺うように首だけを覗かせたのは、ひとりの少年。
三蔵は少年に見覚えがあった。
この町に到着してすぐに、数人の大人たちに囲まれていたところを悟浄が助けてやっていた少年だった。みすぼらしい身なりの少年は、病気の母親の薬代のためにと高価な宝石を盗み、折檻されていたのだった。三蔵は最後まで見届けなかったのだが、悟浄が少年に幾許かの金を貸してやっていたと後で八戒から聞いた。
返済はいつでもいいからと。出世払いでいいからと、笑って。

「あの‥‥紅い髪のお兄さんは?」
「奴なら出かけている。何か用か?」

おどおどとした様子で尋ねる少年は、決して部屋の中に入ってこようとはしない。基本的に他人を信用していないという証拠だ。あたりを警戒するようにさ迷う視線には、子供のあどけなさは無い。大人たちに、世間に、よほど虐げられて生きているのだろう。

「あの‥‥昼間、助けてもらったこと母さんに話したら、どうしても直接お礼が言いたいって。だから家に来て貰えませんかって」
「‥‥‥‥」

三蔵は無言で、銜えていた煙草の火を消した。

「本当はこっちから来なくちゃいけないんだけど、母さん身体を壊してて無理だから‥‥‥‥。‥‥でも、いないなら仕方ないね。外、探してみる」

「待て」

ドアを閉めて立ち去ろうとした少年を、三蔵は呼び止めた。

「代わりに俺が行こう」
「え?」

立ち上がる三蔵に少年はきょとんとした表情を浮かべ、ほんの少し首を傾げた。

 

 

 

 

■■■ シーン4:悟浄の行き先 ■■

 

悟浄が女に案内されたのは、町を外れたところにぽつんと佇む、一軒の廃屋だった。荒れた庭に一歩足を踏み入れた途端、屈強な男たちに周りを取り囲まれる。
全員、妖怪だった。
悟浄は四方から妖怪たちに刀を突きつけられ、あえなく手を挙げて降参のポーズをとった。

「三蔵法師はどうした?」

リーダーらしき男が声を荒げたのを合図に、悟浄をここへ誘った女性が、手首のブレスレットを投げ捨てる。それが妖力制御装置だったのだろう、見る間に女性の耳が特徴的に変化した。

「申し訳ありません頭領!でも仲間を連れてきましたから、彼を人質にすれば三蔵法師をおびき出せます」

跪く女妖怪をじろりと一瞥し、頭領と呼ばれた妖怪は悟浄へと向き直った。

「沙悟浄、か。ふん、女好きの噂は本当だったみたいだな」
「いやあ、それほどでも♪」
「褒めてねぇよ!」

右側の妖怪が、悟浄のとぼけた返答に刀を更に押し付ける。悟浄は大げさに怖がって身を竦ませた。

「随分と余裕じゃねえか。あっさり罠にかかった間抜けが」

頭目の勝ち誇った笑みは、変わらない。
ク、という微かな笑い声を聞きとがめたのは、悟浄の最も近くにいた妖怪だけだった。

「‥‥‥アンタ、結構おめでたいねぇ」
「なんだと?」

ヒュ、と風を切る音が聞こえた気がした。

妖怪の頭目の目前に血飛沫が舞う。悟浄に刀を突き付けていた妖怪たちが、ゆっくりと崩れ落ちた。
瞬きをする間の出来事だった。無様に倒れゆく魂の抜け殻には、例外なく首が無かった。悟浄がいつの間に武器を取り出したのか、いつ振るったのか、頭目には全く見えなかった。

「な‥‥‥」

悟浄は、どうやったのか返り血も浴びていない。何事も無かったかのように長い髪をかきあげて、頭目へ向かって口元を引き上げて見せた。
頭目の背中に、冷たいものが伝わる。

「こんなこったろうと思ったぜ。―――目的は経文か?」

凄みのある笑み。目の前の男の豹変に、頭目の喉がごくりと鳴った。罠に嵌ったのは自分たちの方なのだと、今更ながらに気付く。
背中を向けて逃げ出さなかったのが、頭目としての精一杯の矜持だった。

「や、やっちまえ!」

頭目の上ずった合図が、場に空しく響いた。

 

 

 

勝敗は、あっけなくついた。
敵方で生き残っているのはたったひとり、あの女妖怪だけだった。

「俺は女には手を上げないってのが、信条なんだけど」

経文を手に入れて、妖怪たちがどんな報酬を得るのかは悟浄には興味もない。ただ、降りかかる火の粉はきっちり払う。それだけのことだ。
血溜りの中、悟浄は錫杖を肩に担ぎ、腰を抜かしている女にのほほんと笑いかける。女は恐怖に顔を引き攣らせ、必死に逃げようと後ずさる。

「じ、じゃあ見逃して、お願い!私の体が欲しければ、あげるから!」
「あら〜、魅惑的なお誘いだこと」

口元に手を当て、悩む素振り。それに僅かな希望を見出したのか、女妖怪はここぞとばかりに畳み掛けた。

「そうだわ、貴方にも三蔵法師の肉を分けてあげる!私が言えば、まだいくらでも仲間は集まるわ。だから私と一緒に―――」

ひっ、と女は短い悲鳴を上げた。再び、悟浄を取り巻く空気が変化したのだ。

「‥‥‥‥前言撤回。やっぱ、放っとくわけにいかねーな」

悟浄が初めて女に見せた、氷のような瞳。
ありもしない不老長寿を追い求め、三蔵法師の肉を狙った愚かな女は自分の失言を悟ったが、遅かった。

悟浄に踏みつけられた砂利が立てる乾いた音が、女へゆっくりと近付いた。

 

  

 ■■

 

「さーてと。あんま遅くなると怪しまれっかな」

すっかり静けさを取り戻した町の外れで、悟浄はやれやれと空を仰いだ。

 

 

 

 

■■■ シーン5:三蔵の行き先 ■■■

 

案内された裏街の小さな家で、三蔵は病床の母親にしきりに頭を下げられた。
お連れ様になんとお礼を申し上げてよいのやら、と涙さえ浮かべる母親は時折咳き込み、その度に少年が甲斐甲斐しく背中を擦ってやっている。
三蔵は適当に頷くと、早々にその家を後にしたのだった。
 

「どういうことだい?坊さんなんて金になるわけないだろ?」
「勝手について来ちゃったんだ、仕方ないじゃんか!」

三蔵が去った後の部屋では、急に元気になった母親が起き上がり、引き出しから煙草を取り出していた。
ベッドの上で片膝を立て、ばりばりとほつれた髪を掻き毟る。まだ若く、顔を作ればそれなりに美しい母親であろうが、今は化粧気もなく髪も櫛を通していないような乱れようである。尤も病人ならば仕方がないだろうが、すぱすぱと煙を吐き出す姿からは少年の言う病弱な母親といった様子は微塵も見られない。

「お前がいい金ヅルになりそうな男を見つけたって言うから、こっちだって重病人のフリまでしたんだよ、全く‥‥‥」
「悪かったって。ちぇ、見舞金ぐらい置いていきゃいいのによ、シケた坊さんだぜ」

二本目の煙草に火をつけながら愚痴る母親の横で、少年も先ほどまでとはうって変わってふてぶてしい態度をとっている。少年が煙草に手を伸ばしても、母親は別に咎めもしない。代わりに煙草を指で叩いて灰を落とし、母親はああそうだ、と思い出したように少年に目を向けた。

「そろそろこの街も潮時だって連絡がきたよ。旅人を引っ掛けては金を巻き上げる詐欺集団って噂になり始めてるらしい。逃げるが勝ちさね」
「りょーかい」

そう。全てが演技だった。
旅人が街に入るのを見ると、先で待ち伏せていた少年とその仲間たちに連絡が入り、人気がなく、かつ旅人から目に付く場所で芝居を始める。旅人は期せずして、ガラの悪い男たちに絡まれていた女性に助けを求められたり、母親の薬代を賄うために盗みを働いた少年が捕えられた現場に出くわしたりするわけだ。悟浄のように少年を憐れんで金を出す旅人もいれば、騒ぎに気を取られているうちに懐から財布を失敬される場合もあった。
どちらにせよ、少年たちは街から街へと渡り歩いては他人から金銭を搾取して生活をしているのには違いない。

「あーあ、あの兄ちゃん、いいカモになりそうだったんだけどなー。ちょっと泣き真似でもすれば、いくらでも金出すぜきっと」

大人びた仕草で煙草をふかす少年の顔に、悪びれる色はない。

「今からでも探しておいでよ。母ちゃん頑張ってせいぜい同情引く芝居してやるからさ。この街での最後の稼ぎだ、がっぽり頂こうじゃないか」

嫌な笑みを浮かべ、母親が息子をたきつける。そうだなぁ、と相槌を打っていた少年が、あ、と何かを思いついた声を上げた。

「それよか、さっきの坊さん売り飛ばした方が早かったんじゃないの?」
「そういや、やけにイイ男だったよねぇ」

そして親子は、腹を抱えてげらげらと笑いあった。

 

 

 

「――――カモってのは、あの馬鹿のことか?」

突然、背後から聞こえた低い声に、親子はぎょっとして振り返る。
開いたままだった扉に、とっくに立ち去った筈の僧侶が腕を組んで凭れ掛かっていた。

「あ‥‥」

無表情な美貌に、少年の足が竦んだ。
三蔵は、決して親子を睨みつけているわけではない。だが、まるで金縛りにあった如くに、二人とも指先ひとつ動かすことも出来ず、ただ息を呑んだまま固まり続けるだけだ。

「奴のお人好し加減に付け込んで、搾り取ろうって寸法か。まぁ、そんなことだろうとは思ったがな‥‥‥。ったく、また面倒ごとに巻き込みやがって」

やれやれ、といった風体で、三蔵は袂から煙草を取り出す。この部屋に充満している親子の煙草の匂いは、三蔵の好みには合わなかったようだ。
淀んだ空気を吹き飛ばすかのように、大きく紫煙を吐き出すと、じろりと視線を親子に移す。母と息子は同時にビクリと身体を強張らせた。だが、三蔵は静かに煙草をふかし続けているだけだ。
無言の威圧に耐え切れなくなったのは、少年だった。

「‥‥あ‥‥、ゆ、許してよ!そりゃ、悪いことしてるってのは分かってるよ!でも‥‥でも、こうしないと食えないんだ!生きていけないんだよ!今回だけ見逃してください、お願いだから!もう、しないから!」

崩れ落ちるように跪き、少年は涙声で哀願した。母親もベッドから飛び降りると、息子に縋り付いて大声で泣き始めた。
憐れな母親とその息子。

だが、二人とも内心は舌を出していた。今までも幾度となくこんなことはあった。現場を押さえられ捕えられると、いつもこの演技で同情を誘ってめでたく無罪放免、を繰り返してきたのである。ましてや、目の前に立ちはだかるのは僧侶。慈悲の心は人一倍の筈だという計算が働いた。

「そうだな‥‥、奴も恐らく言うだろうな。『勘弁してやれよ』ってな」

チョロい。親子は内心ほくそ笑んだ。
後はせいぜい派手に泣く真似でもして、前非を悔い改心した演技をすれば、それで万事がうまくいく。

「――――だがな」

いつ僧侶から自分たちの解放が告げられるかと、互いに目配せし合いながら待っていた親子は、三蔵が発した言葉に顔を上げる。短くなった煙草が、三蔵の指先から床へと落とされた。

「お前らがあいつにしたことを、例えあいつが許したとしても、」

靴先で踏みにじられる煙草の残骸が、床に黒い染みを作る。完全に火を消し去ると、足元に落とされていた三蔵の視線が、再び親子へと向けられた。

「――――俺は、許さねぇ。絶対にな」

全ての感情を封殺したかのような低い声。
獲物の選択を誤ったことに初めて少年は気付いたが、もう手遅れだった。

 

 

 ■■

 

「チッ。奴より早く帰っとかねぇとな」

いかにも面倒臭いといった様子で、三蔵は建物を後にした。
 

 

 

 

■■■ シーン6:宿の一室 ■■■

 

「ただいま帰りました」
「あーあ、腹減ったぁ」

悟浄はベッドにうつ伏せた体勢で、雑誌をパラパラとめくっている。三蔵はベッドに腰掛けたまま、読み耽る新聞から顔を上げようともしない。

出て行く前と寸分変わらぬ体勢の二人に、八戒は苦笑を洩らした。

「なんか街は大騒ぎでしたよ。前々から悪さをしていた妖怪たちが街の外れで死んでいたんですって。どうも仲間割れで揉めたらしいですよ。あと、この近辺の町を荒らしまわっていた詐欺集団が一網打尽に捕まったとか」
「なんか、お祭り騒ぎだったよなー。屋台とかまで準備してたもんな!」

住人たちを悩ませていた懸案が一度に払拭されたという喜びで、街中が浮かれているらしい。
余程屋台が気になるのか、後でもう一度出かけるのだと息巻く悟空の興奮しきった態度とは裏腹に、その話題は留守番組の二人の興味は引かなかったらしく、全く気のない相槌しか返ってはこなかった。
 

「こっちは、僕らが出てる間に何か変わったことはありませんでしたか?」

昼間から放置されたままだった買い出しの荷物たちを手際よく片付け終わった八戒が、思い出したように三蔵と悟浄を振り返る。

相変わらず悟浄はベッドにうつ伏せた体勢で、雑誌をパラパラとめくっている。三蔵はベッドに腰掛けたまま、読み耽る新聞から顔を上げようともしない。

 

そして二人同時に、それはそれは退屈そうに。

 

「「別に」」
 

 

「退屈な日」完