Single Room
三蔵が少し長めの風呂を終え、バスルームから出ると、紅い髪の男が自分のベッドの上に転がっていた。 「おっせーなぁ。どこ磨いてたのよ」 ジーンズだけを引っ掛けて、タオルで乱暴に髪を拭きつつ、三蔵はベッドの端に腰を下ろした。程よく効かせた暖房のお陰で、肌寒さは感じない。 「そーそー。だから『寝』に来たワケよ」 顔も向けず、側にあったマルボロを咥えて火を灯した。背後で悟浄がもぞもぞと動く気配がする。三蔵が無視を決め込んでいると、悟浄は三蔵の腰に手を回して縋り付いて来た。 「そーゆーなよ。せっかく三蔵様が、寂しがってんじゃないかと思って来たのにさ」 これがもし一時間ほど前なら、問答無用で発砲していただろう。いつも手元に置いてある筈の銃は、残念ながら風呂に入る前に向こうの棚に置いたままだ。三蔵は、今度からどんな時も愛銃は手離さまいと心に誓った。 だが、次の台詞に、三蔵は咥えた煙草を取り落としそうになった。 「なーんて、嘘。ホントは俺が寂しかったの」 思わず目を向けてしまった三蔵だったが、額を三蔵の太腿に押し付けるような体勢でしがみ付かれている為、悟浄の顔は見る事が出来ない。だがそのうち、僅かな振動が伝わってきた。悟浄が笑っている。 ―――――俺をからかおうなんざ、百年早ぇ。 相変わらず顔を上げない悟浄を引き摺ってでも、銃を取りに向かおうと腰を浮かしかけた時、三蔵の鼻に微かに届いた独特の香り。初めて三蔵は、悟浄の挙動不審の理由を理解した。 「飲んでんのか」 元々酒量の多い悟浄は顔には殆ど出ないのだが、よくよく喋ってみれば言葉の端々に酔いが伺える。酔っ払いの上機嫌は傍迷惑なだけだ。三蔵は悟浄に聞こえるように盛大にため息をついた。 「俺も同感だな。自分の部屋に戻ってさっさと寝ろ」 ぎゅう、と腰に回す手に更に力を込めてくる悟浄の姿は、もしこれほどまでに酒が入っていないのならば三蔵も歓迎したい処ではあったが。酔っ払いに煽られた挙句に突っ走ってしまえば、明日の朝、八戒の爽やか風の笑顔に彩られた皮肉攻撃を喰らうのが確実だ。 どういう手段を講じて悟浄を引き剥がし、自らの安眠を確保しようかと思いを巡らしていた筈の三蔵だったが―――。いつの間にか自分が右手で悟浄の髪を宥めるように梳いているのに気が付いた。どうやら自分も相当「酔って」いるらしい。 久し振りの、穏やかで心地良い時間。 「あのさぁ」 そのまま三蔵が長く紅い髪を弄んでいると、擽ったそうに首を竦めていた悟浄が、突然ぽつりと言葉を発した。 「昼間にさぁ」 喋りながら、三蔵の腰を引き寄せるように力を込めて身体をずらし、膝の上に頭を乗せてくる。おい、と喉元まで発せられかけた三蔵の抗議は、余りにも心地良さげに目を閉じる悟浄の横顔の前に、飲み込まれた。 「俺らが買い物してる間、お前、市場の隅で子供と話してたろ」 三蔵は密かに眉根を寄せた。あまりの人込みの鬱陶しさに、他の三人に買物を命じておいて、自分は少し外れたところで待っていたのだった。あの人込みの中、遠くに離れていた筈の悟浄から、まさか自分が見られていたとは思わなかった。 「すげーよなぁ、お前」 意味不明な酔っ払いの戯言に、三蔵は自分の膝の上にある悟浄の顔をまじまじと眺めた。相変わらず目を閉じたままの悟浄の横顔は、とても穏やかに見える。 「普通、目の前で子供が転んで泣いたりしてたら、つい抱き起こしたりするよなぁ。でもお前、しゃがみもしねーでさ」 そーじゃねーよ、と軽く口元を持ち上げて悟浄は笑った。 「あの子、ちゃーんと自分で起き上がったよな」 いつの間にか、悟浄は目を開けて三蔵を真っ直ぐに見上げていた。その強い光を宿す紅い瞳は、三蔵の好むものだ。それが今日は酔いのせいか、僅かに潤んで煌きが倍増しているように見える。三蔵はざわつく心を押さえ込むのに必死だった。 「別に‥‥泣き止ませようと思ったわけじゃねぇ。大体が迷子なんてものは泣き声で親を呼ぶもんだ。あの子供が泣き止んだのは、たまたまそういう性格の子供だった、ってだけだろ。俺がどうしようと、誰が抱き起こそうと、泣き続ける奴はいつまでも泣き続ける。俺がどうこうという問題じゃねぇよ」 体内で発生した熱が、急速に膨張していくような感覚を誤魔化すために、三蔵は殊更に憮然とした調子で言葉を紡いだ。だが、悟浄は何がそんなに嬉しいのか、柔らかく笑いながら頬を三蔵の膝にすりすりと擦り付けてくる。 相手は酔っ払いだ、酔っ払いだ、と言い聞かせる三蔵の僅かな理性も、既に破綻寸前だった。無意識に、悟浄の髪を弄ぶ指が、耳、顎、首、と身体のラインをなぞり始める。 「さんぞー」 三蔵の手を止める言葉が発せられるのかと思ったが、悟浄の口から紡がれたそれは、違っていた。 「何て言ったの。あの子に」 三蔵の指の動きに身を任せ、どこか恍惚とした表情を浮かべる悟浄は、いつもより幼くすら見える。いつもの酔い方とは違う顔を見せる悟浄に、三蔵の箍は完全に外れてしまった。 「―――『自分で立ち上がれば、見えてくるものもある。見つかるものもある』」 悟浄の目が大きく見開かれたと思うと、くしゃりと相好を崩す。 「ガキに言う台詞じゃねぇなぁ」 ケラケラと笑う悟浄の腕を、自分から外させる。思っていた抵抗は無く、あっさりとそれは外れた。そのまま三蔵はベッドに乗り上げると、仰向けにさせた悟浄に性急に覆い被さった。 「けど‥‥‥何かさ、力があるんだろな。お前の言葉にはさ」 口付けようと顔を近付けた三蔵の唇を、悟浄の指が押し止めるように、ゆっくりと撫でる。 「子供とか大人とか、人間とか妖怪とか。そんなの関係なく背中を押す力がさ‥‥‥。だから、あの子も泣き止んだんだよ、きっと」 きっぱりと言い捨て、自分の唇を巡っていた悟浄の指をぺろりと舐めてから、乱暴にシーツに縫い付ける。唇を合わせ、薄く開いた隙間から舌を捻じ込むと、やはり強いアルコールの匂いが三蔵の口内に逆流してきた。悟浄の吐く息全てを逃さぬよう舌ごと絡め取り、口内に導きながら飲み込んだ。それだけで酔う筈もないが、三蔵の身体をそれに似た熱が駆け巡る。 「なあ」 激しい口付けの後、三蔵の愛撫が悟浄の首筋に移った頃を見計らったのか、悟浄が再び口を開いた。 「煩せぇな、何だよ」 三蔵の口からは苛付いた声。自分に集中しない悟浄が腹立たしい。だが、酔いの回っている悟浄には通じなかったようだ。 「優しい顔してたよ、お前」 もう一度、そのよく喋る口を塞いでから、三蔵は悟浄の衣服に手をかけた。
狭いシングルのベッドで、艶やかな紅い髪を散らして眠る男の顔は、やはり穏やかなものだ。三蔵は上半身だけ起こし、一人煙草を咥えていた。行為後の気だるさと、充足感を満喫する。 一体どういう酒がどういう作用をもたらしたのか、熱に潤みきった目で呼吸を乱しながらも、悟浄の饒舌は中々止まらなかった。 ――――だってさ、ちょっと羨ましかったりしたんだもん。 ――――俺も、いつかあんな風に笑って貰えるように頑張ろー。なーんてね。 早く何も考えられなくしてやろうと、躍起になって三蔵は悟浄を責め立てた。恐らく、明日は一日中、足腰が立たない筈だ。 シャツを羽織る程度に衣服を整え、部屋を出る前にもう一度ベッドに屈み、眠る悟浄の髪に口付けた。 「てめぇにゃ、笑ってやれねーよ」 その声音に、かつてない程の甘さと優しさが含まれている事に、三蔵自身は気付いているのだろうか。 「いつだって、一人で勝手に起き上がってんじゃねーか‥‥‥」 たまには、手を貸させてみろ。そしたら、見せてやるよ。 悟浄の欲しがった優しい笑みを浮かべ、三蔵は静かに部屋を後にした。
「Single Room」完 |