眠れぬ夜の過ごし方

「う゛〜。ちくしょ〜、また負けた〜。おい、もう一回だ!もう一回!」

悟浄はがりがりと頭をかきむしった。床に散るカードを集め、とんとんと整える。
「それは構いませんが、いいんですか?こんな事してて」
「あ?何がだよ」
「何がって、三蔵の所行かなくていいんですか?雨が苦手なの、僕だけじゃないんですよ?」

そう、外は大雨。宿の一人部屋で、三蔵がぐっすり眠っているとも思えないが。

「ああ、いーの、いーの。ほっとけば。ガキじゃねぇんだ、一人で大丈夫だろ」
カードを器用にシャッフルしながら言う悟浄に、意外なものを感じていた。
3年前、自分を拾ってくれた命の恩人。自分が雨の日に沈みがちなのを見て取ると、いつもこうやって側にいてくれた。あるときは酒を飲んだり、あるときはカードをしたり。時には他愛もない話を一晩中したこともあった。

何気なく、さり気なく。少しも押し付けがましく感じない彼の優しさが心地よくて。
随分と、救われた。
だが、今、それを感じるべきなのは自分ではない。てっきり大事な人の元に、押しかけると思ったのに。夜更けに急に訪ねてきたかと思うと、自分の返事も聞かずに入り込み‥‥そのままカードに付き合わせられている。
 

「僕は大丈夫ですから、行ってあげて下さい」
「ば〜か、別にお前の事だって心配してねぇっつーの。お前はもうそれなりに自分に向き合う方法を知ってるっしょ?お前、自分がそこそこ立ち直ったからって邪険にすんなよ。寂しいじゃん」
「誰も邪険になんかしてませんよ。そうじゃなくて、僕が言いたいのは‥‥」
「三蔵は、いいんだよ。今日は一人になりたいんだから」
「今日は?」

カードを配る悟浄の手つきに思わず見とれてしまっていた。危うく聞き逃しそうになって、問い返す。
「そ、今日は一人になりたいぞオーラがでてんの。だからほっとけばいーの。うし!いい手じゃん!今度はイケそうよ、俺〜」
「無理にでも側にいてあげたほうが、いいかもしれませんよ?」
手の内の札を眺めて、何気ないふりで話し掛ける。

「俺が必要なら、手を伸ばしてくるっしょ。俺は奴がそうした時に、見逃さなきゃいいの。最初っから他人を頼るほど弱い奴じゃねえし、俺も余計なことはしません、ってね。まあ、相手が何望んでるのかなんて、所詮自分の推測でしかねぇんだから、エゴといやあエゴだけどよ」

「寂しくないですか?弱ってる時に頼られないのって」
「何で?あいつがイザと言う時手を伸ばすの、間違いなく俺よ?あの三蔵様に求められるって、結構自慢できることだと思うけど?」

事も無げに言い放つと、悟浄は髪をかきあげた。
「さらっとすごい事言いますね‥‥」
「あー、のろけちゃった?悪ぃ悪ぃ。でもさ、せっかく自力で立ち上がれる奴の邪魔するなんて俺には出来ねーな、なんてね」

「それって、僕は自力で立ち上がれない奴だって聞こえますけど」
目の前の男に拾われてからしばらくは、雨の日は必ず明け方まで二人で起きていた。
時の流れと共に、その回数は減ってきたけれど。
今でも、時々は、こうやって側に居てくれる。
「よく言うぜ、お前が誰かに依存するようなタマか?誰が側にいたところで、ちゃんと自分で立つよ、お前は」

その言い方に、何か含みがあるように感じたのは気のせいだろうか。

「‥‥三蔵は、依存すると?」
「すると思う?あの三蔵様が」
「いいえ」
「俺も、そう思う」
「じゃあ、行けばいいじゃないですか」

そこで悟浄は「勝負!」とカードをさらした。つられて八戒も手の内を披露する。
結果は―――悲しいかな、八戒の勝利。
「だああ!何で勝てねーかな!俺、自信なくしちゃうぜ、ったく」
ぶつぶつと文句をたれる悟浄に八戒は苦笑する。
そして、散らばったカードを集めていた悟浄だったが、不意にぽつりと呟いた。

「依存すんのは、俺の方」

はっとして、悟浄に目をやった。長い髪が俯いた顔を覆って、その表情を窺い知ることは出来ない。

「何か‥‥あったんですか、悟浄?」
「あ、いや。何にもねぇよ」

明らかに自分の失言を悔いている様子に、八戒はため息をつく。
そのまま、無言で悟浄に話の続きを促すと、軽く肩を竦めて、悟浄は口を開いた。
「大した事じゃねぇよ。ちょっと夢見が悪かっただけ。‥‥付き合わせて、悪かったな。ホントは今日お前、寝たかったんだろ?マジ、悪かった」
「悟浄?待って‥」
悟浄を引き止めようと立ち上がる八戒を、笑顔で振り返り瞳だけで制止する。

「オヤスミ」

ぱたん、とドアが閉じられた。
 

  

八戒には、何となくだが理解できた。何故、悟浄の気遣いがあんなに心地良かったのか。
悟浄は、相手の望みを適えようとするのだ。一人になりたい時には一人に。そうでない時にはそれに付き合って側に。幼い頃から、そうやって生きてきたのだろう。
押し付けがましいところがない優しさ。それは美徳なのだろうか。エゴと言いつつ他人の心情ばかりを汲み取ろうとする悟浄。

では、彼の望みはどこにあるのだろう。いつ適えられるのだろう。

彼が見た夢というのは、恐らくは、子供の頃の夢。母親に虐待された時のものか、殺されかけた時のものか――いずれにせよ、彼が幼い時から植え付けられてきた自分の存在意義への疑問を思い起こさせるものであったに違いない。
本当は、三蔵に会いたいのだ。会って、自分を必要としてくれる人のぬくもりを感じたいのだ。

だが、行けなかった。―――雨が降っていたから。
大切な人の邪魔になりたくない、と彼は言った。でも一人にはなりたくなくて、気兼ねしながらも自分のところに来たのだろう。

今一番一緒に居て欲しい人に、そうして欲しいと言えない悟浄が、悲しかった。
「仕方のない人ですね‥‥」
そう呟くと八戒は、自分の部屋を後にした。
 

 

コンコン、とノックをする。予想通り、返事は無い。ドアにも内側から鍵が掛かっている。
八戒は、小さく息を吐き出すと、実力行使にでた。

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン――――

ノックしつつも空いたほうの手でドアノブを廻す。果てしないノックの音とガチャガチャというドアノブの音が素晴らしく耳障りだ。他の宿泊客には申し訳ないが。


しばらく、ドアを隔てた我慢比べを行っていたが。

「やかましい!てめぇ、ぶっ殺すぞ!」
ようやく開いたドアから顔を見せたのは、この上なく不機嫌な顔の三蔵。しかし、一瞬掠めた驚きの表情を八戒は見逃さなかった。

「意外ですか?来たのが僕で。誰だと思ったんです?」
「‥‥何だ。話なら朝にしろ」
「悟浄の部屋に行って下さい」
「何で俺が。用があれば向こうから来るだろ」

雨の日に、悟浄の訪問を受ける事に慣れきっている三蔵の言葉に、八戒は怒りを覚える。今日は彼も余裕が無いのだということは分かっていても、つい、声を荒げてしまいそうになる。それを必死に抑え、努めて冷静な声を出した。

「お願いですから、悟浄のところに行ってあげて下さい、三蔵」
そこでようやく、八戒の様子がいつもと違うことに気が付いたらしい。

「あいつに、何かあったのか?」
腹いせに、わざと黙っておく。

何も答えない八戒に業を煮やし、三蔵はひとつ短い舌打ちをすると、そのまま八戒の横をすり抜けて、部屋を出て行った。
 

「‥‥本当に、仕方のない人たちですねぇ」

悟浄は自分のことを弱いと思っているらしいと、八戒は以前から感じていた。けれど決してそうではないことを、本人以外は知っている。

「貴方だって、結局は自力で立ち上がりますよ。それなら、三蔵に側に居てもらったって、別にいいでしょう?」
 

――――それは、依存ではなく、きっと共存と呼べるものだから。
 

 

「眠れぬ夜の過ごし方」完