今日も三蔵一行は西へ向かってジープを走らせていた。
変わらない光景―――ただ車中を漂う重苦しい空気を除いては。
「あの‥‥三蔵」
「‥‥」
「いい加減、悟浄と仲直りしてくれませんか?その、空気が重いんですけど」
今朝からずっと、三蔵と悟浄が口をきいていない。ちら、とミラー越しに後ろを伺うと、そっぽを向いている紅い髪が見える。ただし、こちらの会話に耳をそばだてているだろうことはバレバレなのだが。
「知らん。奴に言え」
後ろからピシッという音が聞こえたような気がする。空気がさらに重く冷たくなっていく。日頃元気な悟空も、関わりたくないのかさすがに今日はおとなしい。
(はああ‥‥)
八戒は心の中で、ため息をついた。
「だあって、あれは三蔵が悪いんだろーがよ!」
休憩の為にジープを止めた川のほとり。煙草を吸う悟浄に、先程三蔵にも言ったことを繰り返す。返ってきたのは、やはり拒絶だった。
「お前もそう思うだろ?ぜってー謝らねぇぞ、俺は」
(う‥‥でも僕、三蔵の気持ちも分かるんですけどねぇ‥‥)
八戒はこの痴話喧嘩の原因を思い出していた。
それは夕べ泊まった宿での出来事。
宿の中にあった酒場で、悟浄は他の泊り客連中と盛り上がっていた。その中の一人が、悟浄に声をかけたのだ。
『兄ちゃん、よかったらこの後俺の部屋で飲み直さねーか。いい酒持ってんだ』
『んん?そーねぇ‥じゃ、ご馳走になっちまおーかな』
スパ―――ン!
『いい加減にしろ。部屋戻るぞ』
今まで離れたところで八戒と飲んでいた三蔵が、不機嫌極まりない顔でハリセンを握っている。
『あにすんだ、痛ぇだろこのクソ坊主!いいじゃねぇか、ちょっと位!同じ宿ん中なんだし、別に単独行動ってわけじゃねーだろ!』
『そうそう、あんまり干渉しすぎると嫌われ‥‥』
横から口を挟むその男を、まるで熊をも射殺すような眼つきで睨みつけて黙らせると、強引に悟浄の腕を引いてその場から連れ出した。そのままずるずると引きずられていたが、我に返ったのか三蔵の腕を振りほどく。
『おい、お前!いい加減にしろよ!何だってんだよ、一体?』
せっかく美味い酒が飲めるチャンスだったのだ。悟浄からすれば三蔵の行動は理不尽極まりない。納得いく説明して貰おうじゃねーの、と息巻いていたが。
『他の男、誘ってんじゃねーよ』
三蔵の科白に、悟浄はキレた。
「おかしーだろ!何で俺が男誘わなくちゃなんねーんだよ!?たかが、酒飲もうって言われただけだろ?百歩譲って、まだ『男に誘われるな』ってのならともかく!いや、誘われてもねーけど!!俺から誘ったってのは、どう考えても納得いかねぇ!」
激高する悟浄の声に、八戒は浸っていた回想から引き戻された。心の中で、今日何回目か分からないため息をつく。
(やっぱり、自覚無いんですね‥‥)
変わった、と思う。この友人は。三蔵とそういう関係になってから、何というか‥‥艶が増した、というのだろうか。元々、色気のある男だったが、最近は何かが以前とは違う。華奢でもなく、所作が女っぽいという訳でもないのに、何かハッとするような色香を感じる時があるのだ。悟浄に恋愛感情を持たない八戒でさえ、時々ふとした仕草に眼を奪われる。「誘っている」と云うのは、少々語弊があるだろうが。
夕べの男に下心があったのは、端から見ていれば明らかだ。しかし、本人に全く自覚が無い以上、説明しても納得しないだろう。
(ちょっと、三蔵が気の毒ですね‥‥)
そうしてまた、ため息をついた。
「ねー、八戒」
「どうかしましたか?悟空」
「もう、放っときなよ?どーせ、我慢できなくてすぐ仲直りするんだからさ。それより、俺、八戒がそんな気を使ってる姿、見たくない‥‥」
何を我慢できなくなるんだろう?などという考えはさて置き、優しい少年に謝意を述べる。
「ありがとうございます。悟空に心配して貰えるなんて、嬉しいですね」
「‥‥とか何とか言っちゃって。本当はどっちが先に折れそうか、チェックしてたんだろ」
「あ、分かっちゃいましたか」
「ズリーぞ!!自分だけ探り入れてさ!正々堂々と闘えよ!俺、今度はぜってー負けねぇ。勝つかんな!‥‥前んときは負けたけど」
「ふっふっふっ。悟空はまだまだ人を見る目が甘いですよ」
「だ〜って、普通思うじゃん?あの女好きのエロ河童が"攻め"だって。体だって三蔵よかデカいしさ」
チッチッ、と八戒は人差し指を振った。
「だから悟空はお子様なんですよ。よく見てごらんなさい。あんなに受け受けしい人は滅多にいませんよ?そんなことを言ってるようじゃあ、今回も僕の勝ちですね。先に謝るのは三蔵か、悟浄か‥‥」
「忘れんなよ!負けた方の晩飯のおかず、没収だからな!」
その時、後ろでカサ、と何かが音を立てた。思わず振り向いた二人の眼に飛び込んできたのは、怒り爆発寸前の三蔵と、眼が座ってる悟浄の姿。なにも喧嘩中に、仲良く二人揃って登場しなくてもいいだろうに‥‥。
「ほほう‥‥貴様ら、随分楽しそうなことしてるじゃねぇか」
「さ、三蔵‥‥聞いてた?」
「ふ〜ん、八戒‥‥お前、あの時随分こだわってると思ったら、ほ〜、そうか賭けてたわけね‥‥」
「ははは‥‥悟浄‥‥」
迫力に押されてジリジリと後ずさる。そしてチラ、と互いに目配せしたかと思うと。
「逃げよ!、八戒!」
「逃げましょう、悟空!」
同時に叫ぶとくるりと向きを変え、ダッシュする。
「出発は1時間後ということで〜それじゃあ、ごゆっくり〜」
「ちゃんと仲直り、しとけよな〜!」
「っコラ待て!てめぇ等!」
言いながら走り去っていく二人を追いかけることも出来ず、呆然と佇む悟浄と三蔵だったが、はっと我に返り、顔を見合わせる。‥‥やはり、気まずい。
横をすり抜けて離れていこうとする悟浄の腕を、三蔵が掴んで引き止めた。
「何だよ」
何も言わない三蔵を、絶対謝るまで許してやるもんか、と睨みつける。しばらくそのまま動かなかったが、不意に三蔵が悟浄を抱きしめた。
「!離せ‥」
「悪かった」
「‥‥」
抱きしめられる腕に力がこもる。
「だから、いい加減、機嫌直せ」
それは、やっと聞き取れる位の声だったけれど。
悟浄はふうっと息を吐いた。目の前の肩に、こてん、と頭を乗せる。
「俺が誘うの、お前だけよ?三蔵‥‥」
くいくいと後ろ髪を引っ張り、腕を緩めさせて正面から顔を合わせる。
「だから、信じて?」
また何も言わなくなった三蔵に、苦笑しながら眼を閉じて口付けを強請った。
その光景を、少し離れた場所からこっそり見ている八戒と悟空の姿があった。
「ふ〜やれやれ、やっと仲直りしたよ。まったく、いい迷惑だよなあ」
「お疲れ様でした、悟空。それじゃ、今晩のおかずは僕がいただきます」
「え?何で?どっちが謝ったかなんて、ここからじゃ分かんなかったじゃんか!あの三蔵が先に謝るわけねーって」
「‥‥だから貴方はまだまだ甘いんですよ」
猪八戒、恐るべし!
「喧嘩」完
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