両手一杯の荷物を抱え、買い出しから戻った八戒と悟空がまず最初に見たものは、屋根の上で悪戦苦闘する宿の亭主の姿だった。 「おっちゃ〜ん、気を付けてなぁ〜!」 気のいい主人は太った身体を揺らしながら、ぶんぶんと手を振った。
Happy Medicine 番外編
「あーあ、全くだらしがないですねぇ」 開口一番、八戒は呆れた声を出した。 (たった、ビール一本で?) 八戒が違和感を覚えながら足元の空き缶を拾い、何気にラベルを見やると、全く聞いた覚えのない銘柄が派手な文字で踊り、どこかで聞いた憶えのある製薬会社の名前がちんまりと、控えめにその存在をアピールしていた。横にはしっかり『試供品』の文字が入っている。更なる違和感に八戒は眉を顰めた。 (製薬会社が、ビールの試供品を?) しかもこの製薬会社の名は、確か‥‥‥。
「あのさぁ、八戒‥‥‥」 呼ばれて振り向くと、複雑な表情の悟空が八戒を見詰めていた。
――――――いつもご愛顧ありがとうございます。 注:ロシアン・ルーレット・ビアーは催淫剤ではありません! ビール自体に催淫剤の効用があるのではなく、体内に残留するハッピーメディスンの成分と反応して効果を再現します。 ――――――ロシアン・ルーレット・ビアー 試供品解説書より抜粋
「「‥‥‥‥」」
悟空と八戒は、うつろな視線をさ迷わせた。いつの間にこんな怪しい試供品を貰ってきたのだろう。どうせ三蔵と悟浄の事だ、説明書もビールのラベルも、全く読んでないに違いない。 「えっと、このまま二人が目を覚ましたら‥‥。悟浄が飲んだのは‥‥緑の奴だっけ?」 かくいう八戒も、実はしっかり憶えている。 「‥‥‥そう言えば三蔵は二種類飲んだんですよね。それのどちらか、という事になりますか」 ははは、と八戒は力なく笑った。 「こないだ悟浄が3日寝込んだときの奴と、‥‥‥‥前の時のって確か、間違えて飲んだ‥‥」 間違えたのは悟空でしょ、と危うく八戒は口が滑りそうになった。 あの時の三蔵は、確か‥‥‥。 「‥‥思いっきり嫌な予感がするんですけど」 二人はしばらく無言で互いを見交わしていたが、同時に盛大なため息をついた。
「とにかく、このままだと僕たちも困ることになりますから、無理にでも水を飲ませて‥‥」 「うー‥‥ん」 突然の三蔵の呻きに、びくうっ!と二人はびびった反応をしてしまった。 「さ‥‥三蔵?えと、大丈‥‥」 ごしごしと目を擦る三蔵に、悟空が恐る恐る声をかけてみる。眠気が覚めないのか、何度か瞬きを繰り返した後、三蔵は目の前で突っ伏している紅い頭に気が付いたようだ。 「ごじょ?ねてるの?」 ((あぁ‥‥、やっぱりだよ‥‥‥‥)) 小首を傾げる仕草と舌足らずな口調に、悟空と八戒は内心涙に暮れていた 「とにかく、食堂にでも行って休みましょうね?」 こうなれば無理にでも水を飲ませまくって正気に戻すしかあるまい。扱いやすいのは人間である三蔵に決まっている。 「ヤだ!ヤだ!ごじょおといるぅ!ごじょおがいい!」 ヒクヒクと強張った笑顔を引きつらせながら三蔵を引き摺る八戒に、脅えまくる三蔵。ある意味、側で見ている悟空にも恐怖の光景だった。 「ヤだ怖い!!ごじょ!たすけて、ごじょ!ごじょお〜っ!!!」 三蔵の絶叫と同時に、悟空の背後でガタリと何かが音を立てる。振り返ると、怒りのオーラを滲ませた悟浄が立ち上がっていた。 「お前ら‥‥俺の大事なベイビーをどうする気だ?」 妖怪相手でも滅多に聞けない、悟浄の本気で凄んだ声。 (兄貴モードになってるよ!) ひーん、と悟空は泣きたくなった。 「悟空、悟浄を頼みます!」 ドン、と突然押し出され、悟空は勢いよく悟浄にぶつかった。 「どけ!」 何がなんだか分からぬまま、悟空は悟浄を押さえ付ける。八戒を見れば、もうすぐドアまで到達しそうな場所まで三蔵を引き摺っている。 「その調子で、悟浄を押さえといてくださいね!三蔵は僕が引き受けます!」 俺も三蔵の方がまだマシだと訴えたかったが、暴れ始めた悟浄を押さえるのに必死でそれどころではなくなってきた。 「俺の可愛い三蔵に触んな八戒!コルァ!殺すぞクソ猿、離せ!待ってろマイハニー、今助けてやるからな!」 何なんだよ、こいつらは‥‥。悟空はいっそのこと自分も薬を飲んでこの現実から逃避したい気分になった。いつも前向きな悟空のテンションすら下げる、恐怖の薬と言えなくもない。 「怖えーよ八戒ィ‥‥」 涙声で訴える悟空に、八戒は意味不明な檄を飛ばす。しかし、火事場の馬鹿力を発揮して手こずらせる三蔵に、八戒の声にも余裕がなくなっていた。 「前もこんなのだったのかな?!」 三蔵が隙をつき、八戒の腕にがぶりと噛み付いた。そのまま八戒を振りほどき、悟浄に飛びつく。 「ごじょ〜!!」 ひしと抱き合う馬鹿ップルに、悟空が呆気に取られていると。 「‥‥なんだか馬鹿らしくなってきましたねぇ」 おどろおどろしい気配がし、室内の温度が一気に下がった。
ふふふ、と低い笑い声に恐る恐る悟空が隣の様子を伺えば、薄笑いを湛え、三蔵に噛まれた腕を擦っている八戒の姿。 (コ、怖エ〜) 絶対に怒っている。かーなーり、怒っている。 触らぬ八戒に崇なし、といきたい所だが、いかんせんこの場から去るわけにもいかず、悟空は内心途方に暮れる。 「いっそのこと、このまま放っておきましょうか」 だからあんなに必死に引き剥がそうとしてたんじゃん。そう反論しかけた悟空だったが、うつろな笑みを浮かべる八戒に言葉を飲み込んだ。 目が全く笑っていない。 これはかなりキている時の八戒だという事実に気付いてしまった悟空の心中は、果たしていかばかりか。 「僕は同室でも平気ですよ?悟空は照れ屋さんですねぇ」 いや、そういう問題じゃないだろ。とは口が裂けても突っ込めない。 「たっぷり可愛がってやるぜ」 心なしかいつもより筋肉まで余分に付いた気さえする悟浄と、目をウルウルと潤ませ頬を染める三蔵が、完全に二人の世界を繰り広げている。 「なぁ、八戒‥‥。やっぱ引き剥がすか、俺ら出て行くかした方が‥‥」 一応やんわりと、八戒に常識的な判断を促してみる。いつもと逆の立場を喜ぶ状況でもないのが情けない。 「ビデオにでも撮って、売りさばいてやりましょうかねぇ」 今の八戒なら本気でやりかねない。そうこうしている間に、仰向けに横たわった三蔵に悟浄が覆い被さって。 けたたましい轟音が宿中に轟いた。
もうもうと立ち上る埃が、視界を白く遮る。けほけほと咳き込みながら、目を凝らせば、天井から覗く青い空と、ベッドに転がる3人と―――3人? いつの間にやら増えていた人物をよく見れば、見覚えのある巨体。あ、と悟空は合点した。 「‥‥‥‥とりあえず、助けますか」 この衝撃で、どうやら八戒も正気に戻ったようだ。
何とか今回も三蔵の貞操は守られた。 後日。
「Happy Medicine 番外編」完 |