両手一杯の荷物を抱え、買い出しから戻った八戒と悟空がまず最初に見たものは、屋根の上で悪戦苦闘する宿の亭主の姿だった。
そう言えば、雨漏りがどうとか女将に言われていたようだったが、自ら修理に乗り出したらしい。
お世辞にも小柄とはいえない亭主がせこせこと屋根の修繕に追われている姿は、ある意味可愛らしく、八戒と悟空は思わず顔を見合わせて笑った。
玄関をくぐる前、悟空が屋根へと声をかける。

「おっちゃ〜ん、気を付けてなぁ〜!」
「おうよ!」

気のいい主人は太った身体を揺らしながら、ぶんぶんと手を振った。
 

 

 

   Happy Medicine 番外編

 

 

 

「あーあ、全くだらしがないですねぇ」

開口一番、八戒は呆れた声を出した。
ジープの運転で疲れ果てた身体を引き摺って、悟空との超健全なデートを心密かに楽しんで戻ってみれば、三蔵と悟浄が向かい合って机に突っ伏している。
一瞬『妖怪が!?』と身構えたものの、机上にひとつ、床にひとつ、ビールの空き缶が転がっており、二人からは規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら、酔い潰れてしまったらしい。

(たった、ビール一本で?)

八戒が違和感を覚えながら足元の空き缶を拾い、何気にラベルを見やると、全く聞いた覚えのない銘柄が派手な文字で踊り、どこかで聞いた憶えのある製薬会社の名前がちんまりと、控えめにその存在をアピールしていた。横にはしっかり『試供品』の文字が入っている。更なる違和感に八戒は眉を顰めた。

(製薬会社が、ビールの試供品を?)

しかもこの製薬会社の名は、確か‥‥‥。

 

「あのさぁ、八戒‥‥‥」

呼ばれて振り向くと、複雑な表情の悟空が八戒を見詰めていた。
悟空の右手には一枚の紙切れが。左手には試供品のビールが入っていたと思われるビニール製の手提げ型袋が握られている。悟空は黙って右手を差し出した。

 

 

 

――――――いつもご愛顧ありがとうございます。
弊社のハッピーメディスンによる激しい夜が忘れられない、でも恋人に警戒されて薬を飲ませるのが難しくなったとお嘆きのあなたに朗報です。
その名も『ロシアン・ルーレット・ビアー』!
おいしくビールを飲むだけで、効果を発揮!薬が身体に合わなかった方にも安心してお勧めできます。

注:ロシアン・ルーレット・ビアーは催淫剤ではありません!

ビール自体に催淫剤の効用があるのではなく、体内に残留するハッピーメディスンの成分と反応して効果を再現します。
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――――――ロシアン・ルーレット・ビアー 試供品解説書より抜粋
 

 

 

「「‥‥‥‥」」

 

悟空と八戒は、うつろな視線をさ迷わせた。いつの間にこんな怪しい試供品を貰ってきたのだろう。どうせ三蔵と悟浄の事だ、説明書もビールのラベルも、全く読んでないに違いない。

「えっと、このまま二人が目を覚ましたら‥‥。悟浄が飲んだのは‥‥緑の奴だっけ?」
「よく憶えてますねぇ、悟空」

かくいう八戒も、実はしっかり憶えている。
確か『ジャングル・クルーズ』と銘打たれた緑色の錠剤の威力は、危うく悟浄に手篭めにされかけた三蔵の憔悴しきった表情が如実に物語っていた。

「‥‥‥そう言えば三蔵は二種類飲んだんですよね。それのどちらか、という事になりますか」

ははは、と八戒は力なく笑った。
つい先日も、懲りない最高僧様がリベンジを敢行し、ついに悟浄を思いのまま乱れさせるのに成功したらしい。何せ、その時はわざわざ宿の部屋を離して取らされた上、3日も同じ宿に滞在する羽目になったのである。
三蔵にどんな目に合わされたのか、聞くだけ馬鹿をみるので悟浄にも聞いてはいない。

「こないだ悟浄が3日寝込んだときの奴と、‥‥‥‥前の時のって確か、間違えて飲んだ‥‥」

間違えたのは悟空でしょ、と危うく八戒は口が滑りそうになった。
頭痛薬と間違われて三蔵に手渡された、ピンクの錠剤。忘れもしない、あの騒動は八戒的にもかなり迷惑だった。

あの時の三蔵は、確か‥‥‥。

「‥‥思いっきり嫌な予感がするんですけど」
「うん、俺も」

二人はしばらく無言で互いを見交わしていたが、同時に盛大なため息をついた。

 

 

 

「とにかく、このままだと僕たちも困ることになりますから、無理にでも水を飲ませて‥‥」
 

「うー‥‥ん」

突然の三蔵の呻きに、びくうっ!と二人はびびった反応をしてしまった。

「さ‥‥三蔵?えと、大丈‥‥」

ごしごしと目を擦る三蔵に、悟空が恐る恐る声をかけてみる。眠気が覚めないのか、何度か瞬きを繰り返した後、三蔵は目の前で突っ伏している紅い頭に気が付いたようだ。

「ごじょ?ねてるの?」

((あぁ‥‥、やっぱりだよ‥‥‥‥))

小首を傾げる仕草と舌足らずな口調に、悟空と八戒は内心涙に暮れていた
いつか読んだ説明書によると一度経験すると必ず嵌るという、恐るべし幼児回帰ハッピーメディスン『チャイルド・プレイ』。
ごじょお、ごじょおと呼びつつ悟浄の髪をつんつんと引っ張る最高僧は夢ではない。
やっぱりコレだったかと八戒は嘆き、悟空は初めて目の当たりにする三蔵の壊れっぷりに目が点だ。

「とにかく、食堂にでも行って休みましょうね?」

こうなれば無理にでも水を飲ませまくって正気に戻すしかあるまい。扱いやすいのは人間である三蔵に決まっている。
八戒は鬼の形相で三蔵を引き摺って行こうとした。本日の部屋は四人部屋。他の部屋に移ろうにも、宿は満杯で空室はない。このままこの馬鹿ップルを放置すれば、自分たちは廊下で寝る羽目になるのは明白だった。

「ヤだ!ヤだ!ごじょおといるぅ!ごじょおがいい!」
「我侭言わずに、ね?」

ヒクヒクと強張った笑顔を引きつらせながら三蔵を引き摺る八戒に、脅えまくる三蔵。ある意味、側で見ている悟空にも恐怖の光景だった。
どうしようかと思案しているうちに血走った目の八戒に睨まれ、ビクつきながらも三蔵を連れ出そうとしているのを手伝う。

「ヤだ怖い!!ごじょ!たすけて、ごじょ!ごじょお〜っ!!!」

三蔵の絶叫と同時に、悟空の背後でガタリと何かが音を立てる。振り返ると、怒りのオーラを滲ませた悟浄が立ち上がっていた。
 

「お前ら‥‥俺の大事なベイビーをどうする気だ?」

妖怪相手でも滅多に聞けない、悟浄の本気で凄んだ声。
 

(兄貴モードになってるよ!)

ひーん、と悟空は泣きたくなった。

「悟空、悟浄を頼みます!」
「え?うわっ!?」

ドン、と突然押し出され、悟空は勢いよく悟浄にぶつかった。

「どけ!」
「わわわ‥‥ととっ、待てって!」

何がなんだか分からぬまま、悟空は悟浄を押さえ付ける。八戒を見れば、もうすぐドアまで到達しそうな場所まで三蔵を引き摺っている。

「その調子で、悟浄を押さえといてくださいね!三蔵は僕が引き受けます!」
「そんな〜!」

俺も三蔵の方がまだマシだと訴えたかったが、暴れ始めた悟浄を押さえるのに必死でそれどころではなくなってきた。

「俺の可愛い三蔵に触んな八戒!コルァ!殺すぞクソ猿、離せ!待ってろマイハニー、今助けてやるからな!」
「うん、ごじょお!」

何なんだよ、こいつらは‥‥。悟空はいっそのこと自分も薬を飲んでこの現実から逃避したい気分になった。いつも前向きな悟空のテンションすら下げる、恐怖の薬と言えなくもない。

「怖えーよ八戒ィ‥‥」
「悟空、目を逸らしたら負けです。しっかり!」

涙声で訴える悟空に、八戒は意味不明な檄を飛ばす。しかし、火事場の馬鹿力を発揮して手こずらせる三蔵に、八戒の声にも余裕がなくなっていた。

「前もこんなのだったのかな?!」
「知りたくもありません!‥‥‥イタッ」

三蔵が隙をつき、八戒の腕にがぶりと噛み付いた。そのまま八戒を振りほどき、悟浄に飛びつく。

「ごじょ〜!!」
「三蔵!!」

ひしと抱き合う馬鹿ップルに、悟空が呆気に取られていると。

「‥‥なんだか馬鹿らしくなってきましたねぇ」

おどろおどろしい気配がし、室内の温度が一気に下がった。

 

ふふふ、と低い笑い声に恐る恐る悟空が隣の様子を伺えば、薄笑いを湛え、三蔵に噛まれた腕を擦っている八戒の姿。

(コ、怖エ〜)

絶対に怒っている。かーなーり、怒っている。

触らぬ八戒に崇なし、といきたい所だが、いかんせんこの場から去るわけにもいかず、悟空は内心途方に暮れる。

「いっそのこと、このまま放っておきましょうか」
「で、でも、そしたら俺たちの寝る場所が‥‥」

だからあんなに必死に引き剥がそうとしてたんじゃん。そう反論しかけた悟空だったが、うつろな笑みを浮かべる八戒に言葉を飲み込んだ。

目が全く笑っていない。

これはかなりキている時の八戒だという事実に気付いてしまった悟空の心中は、果たしていかばかりか。
目の前では、既に互いにしか目に入っていない様子のイかれた二人が、抱きしめあいながら怪しく手を動かしている最中だ。さっきも目の前で濃厚な口付けを交わしていたが、今の悟空には八戒の怒りの方が強烈で、三蔵たちが何をしていても赤面するどころではない。

「僕は同室でも平気ですよ?悟空は照れ屋さんですねぇ」

いや、そういう問題じゃないだろ。とは口が裂けても突っ込めない。
そんな命知らずな真似をするくらいなら、妖怪の集団に一人で突っ込んで行った方が数倍マシだ。
いつの間にか、悟浄が三蔵を抱き上げていた。いわゆる『お姫様抱っこ』の状態で向かう先には当然、ベッドが。

「たっぷり可愛がってやるぜ」
「うん‥‥だいすき、ごじょお」

心なしかいつもより筋肉まで余分に付いた気さえする悟浄と、目をウルウルと潤ませ頬を染める三蔵が、完全に二人の世界を繰り広げている。
いよいよ、本格的にヤバい。

「なぁ、八戒‥‥。やっぱ引き剥がすか、俺ら出て行くかした方が‥‥」

一応やんわりと、八戒に常識的な判断を促してみる。いつもと逆の立場を喜ぶ状況でもないのが情けない。

「ビデオにでも撮って、売りさばいてやりましょうかねぇ」

今の八戒なら本気でやりかねない。そうこうしている間に、仰向けに横たわった三蔵に悟浄が覆い被さって。
二人の影が、今まさに重なろうとした瞬間。

けたたましい轟音が宿中に轟いた。

 

もうもうと立ち上る埃が、視界を白く遮る。けほけほと咳き込みながら、目を凝らせば、天井から覗く青い空と、ベッドに転がる3人と―――3人?

いつの間にやら増えていた人物をよく見れば、見覚えのある巨体。あ、と悟空は合点した。
屋根を修理していた宿の主人が、屋根を突き破って落下したのだ。見事なまでのコントロールで、悟浄と三蔵のちょうど真上に。
悟浄も三蔵も、宿の主人も。三人とも気を失っているようである。

「‥‥‥‥とりあえず、助けますか」
「だから、気をつけろって言ったのに、おっちゃん‥‥」

この衝撃で、どうやら八戒も正気に戻ったようだ。
何よりそれが一番嬉しかったと、悟空は後でこっそり悟浄に洩らしたものである。キれた八戒が、余程恐ろしかったらしい。

 

 

 

何とか今回も三蔵の貞操は守られた。

後日。
宿の屋根が職人の手で見事に修理されたのは勿論のこと、頭上に落下した自分を咎めもせず、屋根の修理費用まで快く支払ってくれた若き三蔵法師の慈悲深さを、宿の主人は終生語り継いだという。
 

 

「Happy Medicine 番外編」完